キス、してもいいですか






上期の業績がよかったそうで、全上忍と全中忍が1泊の温泉旅行に出られる事になった。
全体を10班に分けて、1日ずつずらして同じ旅館に泊まるそうだ。
事前のアンケートで出発希望日と同室希望者の欄があったので、カカシと日付を合わせ、同室希望はお互いの名前を書いて提出した。
1部屋の定員は3〜4人。
出発の2週間前に渡された同班の部屋割り表は、希望通りカカシと同室になっていた。
もうひとりはヤマトで、3人部屋。
あまり面識のない人と同室になるより、かなり運のいい組み合わせだなと思った。
当日、決められた時間に同じ班の人たちと集合して出発した。
カカシは任務帰りに旅館へ立ち寄るという、途中参加の現地集合組だった。
往路の旅路を共にできないのは残念だけど、復路は一緒だ。
カカシと特別な関係になって、そろそろ1年くらいになる。
外務に忙しいカカシとは、旅行どころか日帰り温泉にも行った事がなかった。
カカシは休日も忍犬の世話や自身の鍛錬、忍具の手入れなどでわりと予定が詰まっていて、2人でどこかへ出かける事はほとんどない。
内勤で里にいる事が多いイルカがカカシの予定に合わせないと、会う事すらままならなくなってしまう。
本当はもっと会いたい。
もっと長い時間、カカシの存在をそばで感じていたい。
そうでないと不安になる事もある。
中忍ほどの能力しかなく、容姿も平凡で、本来ならカカシの恋愛対象外である同性の自分では。
始まりはよくわからなかった。
何度か2人で飲みに行って、ある日の帰りにカカシの家で飲み直そうと言われて、付いていったら部屋でキスをされた。
自分も酔っていたので、酔ったノリとか、冗談とか、からかってとか、あまり深くは考えていなかった。
でも翌日になったら、カカシとのキスの事ばかり考えていて、キスの理由が知りたくなった。
キスの直後にそれを問わなかった後悔がどんどん膨らんでいった。
2週間か3週間か、もっと短かったのかもしれないけれど、カカシが任務から帰ってきて、受付で飲みに誘われた時は、初めて誘われた時よりも緊張していた。
それでもいつも通りに飲んで楽しんで、店を出た所で、イルカの家で飲み直したいとカカシが言った。
酔った頭で、それもいいかと思って家に帰って。
小さな円卓に、90度の向きで隣り合って座っていて。
遠い距離じゃないのに、もっとカカシの近くに行きたくなって。
畳に着いていたイルカの手に、カカシの指先が当たって。
すいません、とカカシが言って弾かれたように身を引き、わずかに広がった距離が無性にさみしくて。
今度はイルカから、すいません、と言ってカカシにキスをしていた。
唇が離れた途端、どうして、とカカシに問われた。
イルカにはできなかった事だ。
正直に、カカシさんが離れたのがさみしくて、と答えた。
へら、とカカシが眉をハの字に下げて柔らかく笑って。
この距離でないとわからなかったカカシの目尻に薄く浮いたしわに、きゅんとしていたら。
横から引き寄せられて、ふわ、と抱擁された。
これからはそばにいます、と耳元で囁かれた。
本当にそばにいてくれて。
イルカがそばにいる事も許してくれて。
任務が終わればカカシがイルカの家に来てくれて。
寝食を共にして。
本を読んだり、作業をしたりしている横にいさせてくれて。
カカシと同じ空間にいるだけで、それまで漠然と感じていた寄る辺なさが薄れて。
包み込まれるような安心感をくれて。
それをカカシにも返したくなって。
邪魔にならないように、過剰にならないように、気をつけながら極力カカシのそばにいた。
こんなに満たされているのに、これ以上を望んだら、何か悪いしっぺ返しが来るのではないかとさえ思えた。
だから、今回のような里主導の機会は、とてもとてもありがたかった。



旅館に着くなり、荷車や駕籠を停める広場の端でヤマトが何かの印を組んだ。
すぐに結界を張り、その何かを隠したようだった。
もしかして、宴会の余興関係だろうか。
だったら見なかった事にしたほうがいい。
「…イルカさんの倫理観だけが頼りですから」
「えっ、何がですか?」
「部屋での過ごし方です。イルカさんにメロメロな先輩じゃ役に立たないと思うので」
めろめろ、だなんて物静かなカカシには不似合いな言葉に、自分の聞き違いを疑った。
それよりも、カカシはヤマトのような身近な相手にイルカの事を話したりするのだろうか。
自分は周囲にカカシとの関係を話した事はない。
聞かれても濁してきた。
「あの…、俺たちの事…ご存じなんですか…?」
「知りたくなかったですけど、先輩が言いふらしているので」
「ええっ」
「イルカさんを合コンまがいの飲み会に誘おうとしてる奴がいると聞きつければ、あの人オレのだからそういうのやめて、って介入したり」
知らなかった。
たしかに、もう1年以上そういう誘いは誰からもない。
「先輩が誰かから下心のある声かけをされれば、永遠を誓った伴侶がいるから無理、って断ったり」
それも知らなかった。
知らない事だらけだ。
カカシはイルカを伴侶と思ってくれていたのか。
自分もカカシを伴侶と思ってもいいのだろうか。
永遠なんて、いつの間に誓っていたのだろう。
なんだか頭が、ぼーっとする。
ぼんやりしたまま仲居さんに付いていき、客室に通された。
荷物を置き、テーブルにあったお茶とまんじゅうで少し休憩をして。
ヤマトと一緒に温泉に入り。
それほど酒には強くないので、綱手が幹事の宴会では、ちびちびと飲みながら。
ずっとカカシの事を考えていた。
頭から離れなかった。
ヤマトから聞いたカカシの様子は、言いふらすというより、隠さずに堂々としている、という感じがした。
こちらからカカシの気持ちを尋ねた事はない。
束縛や独占欲が漂って、カカシが嫌がるかもしれないと思っていたから。
こちらからも明確な言葉を告げた事はない。
カカシの負担や枷になってはいけないと思っていたから。
それが、伴侶だなんて。
永遠だなんて。
宴会の途中で、うわーっと叫びそうになっては何度も飲み込んだ。
そのたびに両手で顔を覆った。
きっと変な顔になっていただろうから。
そんな事をしているうちに、けっこう飲んでしまったかもしれない。
宴会が終わってヤマトと部屋に戻った。
思ったよりも歩みがふらついていた。
カカシは到着しただろうか。
どきどきしながら開けた引き戸の先には、しかしまだ誰もいなかった。
がっかりして畳に座り込み、テーブルに突っ伏す。
カカシに会いたかった。
イルカの事を大切に思ってくれていた感謝を伝えたかった。
それに無頓着だった事を詫びたかった。
「イルカさん、水飲みませんか」
「あ、はい…。ありがとうございます」
自分で取りに行こうとしたら、ヤマトが冷蔵庫からペットボトルを出して渡してくれた。
視界に入った隣の部屋には、すでに布団が3組、等間隔で敷かれていた。
カカシが一番休まるのはどの布団だろう。
その時、館内放送を知らせるチャイムが鳴った。
『宴会の不参加者がいる部屋の者は、4階の食堂まで不参加者の人数分の弁当を取りに来てください』
カカシの分を取りに行かないと。
疲れて帰ってくるのだから、少しでもねぎらいたい。
本当は温泉にだって一緒に入りたい。
広い洗い場でカカシの背中を流してあげたい。
湯につかりながら、肩を揉んであげたい。
「先輩の分のお弁当、もらって来ます」
「あ、俺が…」
「イルカさんは休んでいてください。じゃないと僕が先輩に叱られます」
ヤマトがそそくさと部屋を出ていった。
自分の身じろぐ音しかしなくなる。
それだけで、ほのかに肌寒さを感じた。
室内には空調が行き届いているはずなのに。
早くカカシに会いたい。
カカシの存在をそばで感じたい。
些細なイルカの違和感を察して、どうしたの? 何かあった? と尋ねてくれるあの優しい声が聞きたい。
話せば大した事のない内容でも、丁寧に耳を傾けてくれるあの優しさに包まれたい。
こちらからは何も返せないのに、それに甘えてばかりで。
手を伸ばせば届く距離にいさせてもらえる者だけが知っている、カカシが笑った時の目尻の浅いしわが見たい。
初めて見た時から特別感があった。
思わずカカシに口づけてしまうくらいに気持ちが昂る。
カカシには、近くにいるとキスしてくる奴、と思われているかもしれない。
カカシとキスがしたい。
カカシからのキスは、日常のなんでもない時にいきなりされる事が多かった。
しかも、唐突なのに深くなる確率が高い。
今まで色々な事があったけれど、こんなにも満たされた日々を共にできる相手に出会えて、自分はなんて恵まれているのだろう。
ふいに涙が、つー、と目の端を伝い落ちた。
どうして泣いているのだろう。
こんなにカカシに大事にされているのに。
そうか。
さみしいのだ。
カカシに会えなくて。
カカシが出立してから、まだたった5日なのに。
今までに1週間や1か月近く会えない事だってあったのに。






map  ss top  next  □mail□
2025.02.09