前から知っていたけど、自分には縁がないと思っていて咄嗟には頭に浮かんで来ない事。 縁がないと思っていたのは、しばらくそんな相手がいなかったっていうのが大きい。 あとは恋愛ザタには滅法疎いから、例え相手が出来ても、その人がそんな事をする人だなんて考えていないから。 『急に優しくなったり…』 『家での食事量が減ったり…』 『いつもやらない事を急にやり始めたり…』 全部当て嵌まった。 やっぱりそうなのかもしれない。 「イルカ先生、今日も夕飯ご馳走になっていいですか?」 最近は余り食べないくせに、こうやっていつもイルカの家で食事をしたがる。 さっき受付で業務中にカカシがやって来て、報告書を提出するついでに言っていった。 何かを隠しているという確信はあるが、カカシが何も言ってくれないので、聞いてはいけない事のような気もするのだ。 正直、本当の事を聞くのが怖い。 帰宅する時も一緒が多かったのに、ここの所はずっと一人。 以前はイルカの家で食事をするなら必ず一緒に帰っていたが、今はカカシが一旦自分の家に帰宅し、改めてイルカの家にやって来る。 一緒に帰れない事情があるのか、一旦家に返らなければならない理由があるのか。 イルカに教えてくれない何かがあっても、カカシがイルカの家で食事をしたいと言っているのだから、イルカは出来る限りの事をするまでだった。 今日は魚屋でサンマと鮭を買った。 白身の魚と赤身の魚なら、食卓が華やかになるだろうと思って。 家に着いてからすぐに支度を始め、みそ汁にみそを溶いている頃にカカシがやって来た。 「こんばんは〜。みそ汁の良い匂いがしますね〜」 「今日は豆腐とワカメのみそ汁ですよ」 今日の献立は海の物を多く使った。 しかもサンマはカカシの好物で、きっと残さないで食べてくれるだろうと思って選んだ。 こちらの思惑を知ってか知らずか、食事中の会話はいつもと変わりなく、和やかな雰囲気で過ごせた。 カカシの様子がおかしくなってからも、この短い間だけは本当に楽しいものだった。 しかし、イルカが箸を置いて食後のお茶を煎れる頃には、そんな楽しい時間があった事さえ幻だったかのように沈んだ気持ちになっていた。 カカシがサンマを残したのだ。 鮭も残した。 ごはんとみそ汁は一杯ずつ食べてくれたが、鍋の中にも炊飯器の中にもまだ、ごはんもみそ汁も残っている。 最近のカカシは、本当に食が細くなった。 湯のみに緑茶を注ぐ口実でカカシに背を向け、見つからないようにひっそりと溜め息を吐いた。 どこか他の場所でも食事をしているのだろうか。 「イルカ先生、後片付けはオレがやりますから。イルカ先生はお茶飲んだら風呂に入ってきて下さい」 「…はい…すいません…」 カカシの変化は、こうやって食後にも現れる。 以前は後片付けなんて手伝う程度しかやらなかったのに、最近は毎回やってくれるようになったのだ。 何か後ろめたい事を隠すために、家事の手伝いを始める人がいるという話を聞いた事がある。 優秀な上忍でもプライベートではただの人になるのか、カカシの行動から滲み出るものがイルカの不信感を増長していた。 それに、他にもまだ変わった事がある。 イルカから口に出すのはどうしても躊躇ってしまう事。 以前は家に来る時は必ずしていた行為が、あからさまに激減したのだ。 今は一週間に一度、あるかないか。 イルカの体に負担が掛かる行為なので、減ったおかげで仕事が円滑に進むようになったという良い点はある。 でも、何の相談もなく、急に減少したら不安になってしまう。 余所で排出しているのだろうか。 風呂上りに腰にタオルを巻いただけの格好でフラフラしていても、カカシはこちらを見ようともしない。 全く意識していない感じなのだ。 長風呂をしないイルカが風呂を出た頃は、まだカカシが後片付けをしている。 その背中を見つめ、カカシに気付かれないようにまた一つ溜め息を吐いた。 「あ、イルカ先生、風呂出たんですね」 「カカシ先生も入りませんか?今ならまだお湯も冷めてないですし」 「いえ、今日は片付けが終わったら帰ります」 「そうですか…」 カカシの手がテキパキと早く動くようになり、焦って片付け始めたのがわかった。 イルカと過ごす時間を短くしたいのだというのが伝わってきて、悲しくなって唇を噛んだ。 「じゃ、帰りますね。ごちそうさまでした。おやすみなさい」 ストイックなカカシの笑顔が胸に痛かった。 自分だけが一方的に欲望を抱いているのだ。 戸が閉まるパタンという音を残して、カカシが部屋を出て行った。 その虚しい音に、もう二度とここには来てくれないのではないかという考えが頭を過ぎった。 * * * * * 受付に置いてある簡易ソファーにアスマとカカシが座っていた。 他にも座っている人がいたが、名前を知っているのはその二人だけだった。 行列するほどではないが報告者が途絶えない窓口で業務を続けながら、無意識に二人の会話を聞いていた。 「カカシ、お前、最近可愛い子猫ちゃんに夢中なんだって?」 「はぁ?何言ってんの?イルカ先生のいる所で変な事言うのやめてくれる?」 そのやり取り以降、二人の声が急に静かになり、ひそひそ話に変わってしまった。 話の途中でカカシが席を立ち、余計な事言うなよ、とイルカにも聞こえる声でアスマに釘を刺し、受付を出て行った。 子猫ちゃん。 男性が女性に対して、そういう代名詞を用いる事があるというのは知っている。 そういう表現をする人は、大抵が、人との付き合いを遊びでも出来る部類の人なのだ。 カカシは過去、確かにそんな事をしていた。 今は大丈夫だと信じたいけど、気持ちを暗くする要素ばかりが頭に浮かぶ。 まだ勤務中なのに、仕事が手につかなくなってきた。 今日は早く帰ろう。 それに、今日はカカシが来たいと言っても断ろう。 こんな風に落ち込んでいる自分を見られたくないし、悪くないかもしれないカカシを責めてしまいそうで嫌だ。 * * * * * 夕飯の買い物はしないで帰宅した。 カカシが来たら追い返すし、一人分なら今までの残り物で充分だ。 自分で片付けをしていないから、何がどのくらい残っているかまでわからないが、一人分なら何とかなるだろう。 もしかすると、ラップの掛かった小皿が冷蔵庫一杯に入っているかもしれないと思って苦笑した。 そんな期待も込めて、ゆっくりと冷蔵庫を開けた。 「…」 中を見た途端、顔がくしゃりと歪んでしまった。 一言で言えば、空っぽ。 肉じゃがとか、春雨サラダとか、作った記憶と残ってしまった記憶はあったけど、冷蔵庫には入っていない。 他にも、残った惣菜や白飯は結構な量があったと思うが、何一つ残っていない。 カカシはイルカと違って、勿体無いからと言って残り物を保存したりしないのだろう。 きっと、イルカが風呂に入っている間に捨てていたのだ。 カカシがイルカの作った料理の残り物を、ゴミ箱へ放り投げている姿が目に浮かんだ。 脱力感が込み上げてきて尻餅を着くと、何だかとても悲しくなった。 一本だけあった缶ビールを手に取り、空きっ腹にぐびぐびと流し込んだ。 気持ち悪くなって、そのままのろのろとベットへ向かい、倒れ込むように横たわった。 ss top count
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