都心の大学に行くつもりだったので、遅くても高校最後の学年には地元を離れると決めていた。
その転校先選びで色々な学校を見学しに行っていたら、木の葉学園という学校で物凄いものを見つけてしまった。
柔道着の帯に『うみの』という刺繍が入った中学生。
熱心に練習に取り組む姿を見て、一目で恋に落ちた。
転校後、思い切って柔道部に入部しようかとも思ったけど、あの子と寝技の練習なんかしたら大変な事になりそうだったので諦めた。
道場が隣同士だし、もしかしたら得意の剣道で気を惹けるかもしれないと下心を抱き、結局は剣道部に入った。
そこでヤマトと知り合い、とんとん拍子にイルカとの接点ができた。
既にデートの約束も取り付け、さっきその下見から帰って来たばかりだ。
時計を見たら、丁度午後から活動している部活が終わる頃だったので、その足で学校へ向かった。
コートにいた女子テニス部には目もくれず、正門をくぐって真っ直ぐに道場を目指す。
耳を澄ますと、柔道場から微かな物音が聞こえた。
練習中はどたばたと派手な音がするので、もう練習後の片付けに入ったのだろう。
道場の上がり口に腰掛けて、イルカが出て来るのを待つ事にした。
カカシがこんな時間に学校に来たのには理由がある。
渡り廊下でイルカと二人きりになった時、柄にもなく緊張して、返事すらまともに聞けなかったので、明日イルカが来てくれるか不安で、それを確認しに来たのだ。
チケットはこっそりカカシの分まで渡して、一応は最悪でもイルカが待ち合わせ場所までは来るようにと小細工はしたが、それだけでは心もとなかった。
ふと背後に人の気配を感じて振り向くと、道場の隣にある更衣室から高等部の部員がぞろぞろと出て来る所だった。
カカシに気付いた生徒が挨拶をして通り過ぎて行く。
部活の後に中等部が片付けをするのは知っているけど、それがどれくらいの時間が掛かるものなのかはわからない。
待っている間はイルカの事ばかり考えているから、それが長くなると、また緊張してしまう。
既に心臓は、試合前よりもばくばくしている。
心を落ち着けようと目を閉じるが、瞼の裏にイルカの柔道着姿が浮かんでしまって効果はなかった。
柔道着というものは、剣道の装備と違って隙だらけで危うい感じがする。
襟を取られれば簡単に胸元が肌蹴るし。
しかも柔道着の下には、下着を穿かないというじゃないか。
更に輪を掛けてカカシの心臓がうるさく鳴り始めた。
これではいけないと思い、イルカから意識を逸らすために嫌な事を思い出そうとした。
すると、午前中の出来事が、ぱっと頭に浮かんだ。
タダ券を手配した恩を、一緒に過ごす事で返せと言ってきた女の事。
この女には、水族館の他に、別の施設のタダ券も手配してもらったので、あまり無下にはできなかった。
下見に同行させる事でとっとと清算し、途中で用があると言って別れてきた。
水族館も遠くから外観を見ただけで、中身は明日に取ってある。
海沿いの水族館だから、きっときれいな夕日が見られるだろう。
加えて、電車に乗って橋を渡れば、たった一駅であの有名な遊園地にも行ける。
ネズミのキャラクターがいる所だ。
イルカの時間が許すなら、そこまで足を伸ばしてもいいかと思っている。
その反面、最初のデートでそこまで味わってしまうのは勿体ないと思う自分もいた。
「おいカカシ、剣道部は午前中だぞ」
道場から出て来た教師が、苦笑しながら声を掛けてきた。
どうやら片付けが終わったようだ。
中等部の生徒が続々と更衣室へと入って行く。
その中から、なぜか目を輝かせた中等部の生徒が一人、カカシの方へ近付いて来た。
しゃがみ込んでカカシと視線の高さを合わせ、ひそひそ声で話し掛けてくる。
「お疲れっす!あ、あのきれいなカノジョさんと、あれから…ら、ラブホ…行ったんすか?」
「はあ?」
唐突な質問に、名前も知らない中等部の生徒の顔をまじまじと見つめた。
「き、キスとかっ、むっ、胸もんだりとかっ、したんですかっ」
生徒があまりにも生き生きとした表情で勢い込んで話すので、思わず笑ってしまった。
カカシが女と一緒に歩いている所でも見たのだろうか。
まったく、思春期の想像力の逞しさには敵わない。
「今日のアレは、そんなんじゃないのよ」
カカシの返事で、生徒はがっくりと肩を落とした。
それを見て、またくすりと笑みが零れる。
「高等部の先輩たちが…デートの後は絶対ヤってるはずだって言ったのに…」
生徒はそう言い残し、更衣室の中へと姿を消した。
そんな事より、道場の片付けが終わったのならイルカを探さないと。
入口に視線を戻すと、最後の一人が出て、道場の明かりを消している所だった。
馬鹿話をしている間に、イルカを見逃してしまったようだ。
ならば、更衣室から出て来た所を確実につかまえよう。
そう思っていたら、目当ての人が身支度もそこそこの格好で、ばたばたと慌ただしく更衣室から出て来た。
いつもきっちりと着込んでいる学ランのボタンが、一つも留まっていない。
足早に下駄箱の方へ向かおうとしている。
「うみの君!」
名前を呼ぶと、イルカがくるりと振り返り、目も合わせずにぺこりと頭を下げた。
「お先に失礼しますっ」
それだけ言うと、またすぐに踵を返し、やはり足早に離れて行こうとする。
急ぎの用でもできたのだろうか。
せめて1分だけでも話をさせてもらおうと、さっと立ち上がってイルカの後を追った。
「うみの君!ちょっと待って!」
その呼び掛けは聞こえなかったようだ。
諦めずに走って追い駆け、高等部よりも手前にある中等部の下駄箱の辺りで学ランに手が届いた。
「急いでるの?ちょっとだけでも話がしたいんだけど…」
イルカは俯いたまま黙り込んでいる。
ただならぬものを感じて、イルカを人目に付かないベンチのある、高等部の下駄箱の方へと促した。
大人しく従ってくれたイルカを先に座らせ、その横に荷物を載せる。
荷物を挟んだ隣に、カカシも並んで腰を下ろした。
「…すいません…」
イルカの搾り出すような声に胸が痛んだ。
鞄の把手を握るイルカの手は、力を入れ過ぎて白くなっている。
「…水族館の入場券…持ち歩いてたら良かったんですけど…」
「え…?なんで?どうしたの?」
「…返そうと…思ったから…」
一瞬、心臓が止まるかと思った。
あんなに浮かれていた気持ちが、あっという間に消し飛ぶ。
「…好きでもない場所に…無理して2日続けて行くことは…ないと思います…」
イルカの台詞の一部が、昼間の女の台詞と重なった。
水族館を好きかと聞かれて別にと答えた、あのやりとり。
あの時は、女と一緒に行かなければならない不快感からいいかげんな返事をした。
もしかして、イルカはそれを耳にしたのだろうか。
「オレ、あんまり水族館って行ったことないから好きかどうかはわからないけど、無理なんてしてないよ。うみの君と行くの、楽しみにしてるんだから」
「でもっ…俺と行くよりカノジョさんと行ったほうがっ…」
「カノジョなんていないもん。親戚のお姉さんみたいな人はいるけど」
生真面目なイルカの事だから、姉のような存在と言えば不純とは思われないような気がした。
付き合っている女だって、今は本当にいない。
前の学校ではそれなりに派手に遊んでいたが、転校してからは稽古を見に来る女子にすら手を出していない。
イルカに悪く思われないように注意を払っているし、イルカの気を惹こうと毎日のように稽古に励んでいる。
「今日現地に行ったのも、初めて行く場所だったから、近くまで案内してもらっただけです」
言い回しに気を付けながら、イルカの誤解を解くために言い募る。
「…それって…部活を休んでまで行くことなんですか…?」
イルカが顔を上げ、恐る恐るという感じで尋ねてきた。
部活とイルカなら、もちろんカカシは迷わずにイルカを取る。
ただ、それを、部活に情熱を注ぐイルカに包み隠さずに話すのは憚られた。
「…朝起きたら首を寝違えてて。筋を痛めないように今日は念の為に部活を休んだんです」
これは全くの方便だったが、イルカの肩からすっと力が抜けたのがわかった。
「ね、だから。チケット返すとか言わないでよ。悲しいじゃない」
鞄を持つイルカの手にも、いつもの血色が戻ってきた。
「…本当は俺も…。水族館に行くの楽しみにしてたんです…」
カカシと一緒に行く事ではなく、水族館に行く事が楽しみだとはっきりと言われ、複雑な気分になる。
「じゃあ明日は、2人でいっぱい楽しもうね」
2人で、という部分を強調して言った。
完全なる負け惜しみだったけど、イルカはそんな事に気付きもせず、ほっとしたような、はにかんだ笑顔を返してくれた。






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2009.08.11

 

 

 

313131Hit 匿名の方からのリクエスト
『木の葉学園モノ』 でした。
バタバタした内容になってしまいましたが、
少しでも楽しんで頂けると嬉しいです。

リクエストありがとうございました!