住まいが定まってからすぐに店を決め、そこで働き始めてから半年が経った。 イルカの仕事は朝が早いので、一緒に生活しているのにカカシとは擦れ違ってばかりだ。 でもその分、休みの日には二人で過ごす時間を大切にしている。 「せっかくのハロウィンなのにごめんね。でも、出来るだけ早く帰って来るから」 ハロウィン当日はお互いに仕事だったので、前日の日曜日に二人でかぼちゃパーティーをしようと話していたのだが、急遽カカシに仕事が入ってしまった。 パーティーと言っても、カカシがかぼちゃのお菓子を作り、イルカがかぼちゃ料理を作るだけの事だったのだが、カカシがその日を楽しみにしていた事はイルカもよく知っている。 だから、残念そうにしているカカシを少しでも慰めようと思って言った。 「ちょっとだけですけど、俺もハロウィンぽいこと準備して待ってますから」 申し訳なさそうに、でも嬉しそうに笑ったカカシが、いつもより長めにいってきますのハグをして出掛けて行った。 自炊をするようになってから行きつけになっている、お菓子屋さんを兼ねたパン屋さんで、カットされていない角型食パンを2斤買って来た。 甘い物が好きなカカシに、ジャックランタンのようにくり抜いてハニートーストを作ろうと思ったのだ。 その店では、この辺りにしては珍しく日本人の職人が働いている。 大ベテランという風体だが、とても気さくな人だ。 今日も店で会った時に色々と楽しい話を聞かせてもらった。 そんな事を思い出しながら、夕飯の支度と合わせてハニートーストの準備をしていると、キッチンに固定電話のベルが聞こえてきた。 ざっと手を洗って、慌てて受話器を取りに行く。 『イルカさんですか? オレです、カカシです』 早口で喋るカカシに、もしかして仕事で遅くなるのだろうか、と不安と寂しさが胸をよぎる。 『今日オレが帰宅する前に新しい秘書が日本からお土産を持って来るかもしれないので、もし来たら、物だけ受け取っておいてもらえますか?』 嫌な予想が外れて、ほっと息を吐く。 新しい秘書については少しだけカカシから聞いていた。 カカシがイルカと一緒に渡欧した時から同行していた、再不斬という秘書の交代要員なのだという。 再不斬は長い間恋人に会えないのがつらくて交代を申し出たそうだ。 目付きの鋭さを差し引いても余りあるほど良い人だった再不斬らしいな、とそれを聞いた時にイルカは思った。 渡欧の際、イルカがカカシと同じファーストクラスのシートに座れたのは、イルカが予約していたエコノミークラスのシートに再不斬が座ってくれたからだった。 いくらカカシの命令とはいえ、イルカと初対面だったにも関わらず嫌な顔ひとつしなかった再不斬には、とにかくその後も良い人だったという印象しかない。 「わかりました」 『家に入れるのは物だけで、人は入れなくて良いですからね』 「え…? でもそんな事…」 せっかくお土産を持って来てくれる人を、カカシはお茶も出さずに帰せと言うのだろうか。 『気にしないで下さい。あいつには冷たく接するぐらいが丁度良いんです』 カカシが秘書の事をここまでぞんざいに扱うのは初めてだった。 それほどカカシとは気が合わない人なのだろうか。 『あの、帰るのは6時頃になると思うんで、よろしくお願いしますね』 電話の向こうでは、何ヶ国語もの言葉が飛び交っていて忙しそうだった。 どんな人が来るのかなんて訊ける雰囲気ではない。 イルカは「はい」とだけ返事をして電話を切った。 カカシの仕事を支えてくれる秘書を歓迎出来ないのは残念だ。 でも、帰る時間をわざわざ電話で知らせてくれたカカシの気遣いは嬉しかった。 キッチンに戻り、カカシと過ごす時間を思い浮かべながら作業を再開する。 それが粗方終わると、イルカは一息入れるために紅茶を持ってリビングのソファーへと移動した。 今日はシナモンティーにした。 ハニートーストの準備で調味料棚を漁っている時に、シナモンシュガーを見つけて久々に飲みたくなったのだ。 のんびりと口に含み、シナモンの香りと味を堪能する。 そうやって、イルカが完全に気を抜いている時だった。 急に玄関のチャイムが鳴って、肩がびくりと跳ね上がる。 壁時計を見ると、カカシが帰ると言っていた時間の約30分前を指していた。 きっと新しい秘書が来たのだ。 どきどきしながらインターホンのモニターを覗きに行く。 以前カカシが、青春を連呼するような熱血系の人は苦手だと言っていたので、勝手にそういう人を想像していたのだが、そうではなかった。 モニターには、大きな黒目が印象的な爽やかそうな男性がスーツ姿で映っている。 エントランスの開錠ボタンを押し、部屋に上がって来て下さい、と告げた。 エレベーターのタイミングが悪かったのか、しばらく経ってからチャイムが鳴り、すぐに玄関へ迎えに行く。 「はじめま…」 「はじめまして。ヤマトという者です。イルカさんですよね? お噂は先輩から伺ってます」 ヤマトと名乗った男性を見て、イルカは思わず口を噤んでしまった。 その一瞬後に、ぷっ、と噴き出す。 モニターで見た時とは違って、ヤマトはスーツの上から黒いマントを纏い、頭には黒いシルクハットを被って、ドラキュラの仮装をしていたのだ。 口には犬歯を牙のように際立たせたマウスピースまで嵌めている。 ヤマトが手を差し出してきたので、イルカも慌てて手を出して握手を交わした。 「写真で見るより、ご本人の方が可愛いですね。エプロン姿もお似合いです」 おかしな格好でおかしな事を言い出したヤマトに苦笑すると、不意に半歩ほど距離を詰められた。 首の辺りに顔を近付けられ、くんくんと匂いを嗅がれる。 「シナモンの香りがしますね。もしかしてシナモンロールでもお作りになってたんですか?」 ヤマトの言葉ではなく、ヤマトの取った距離に驚いて、咄嗟に一歩後ずさる。 カカシや生徒たちにされたら笑って返せる事でも、初対面で、しかも自分と歳や背格好が同じぐらいの人にされても顔が引き攣るだけだった。 「シナモンロールといえば、僕いつも思うんですけど、あのアイシングって何かヤラしくないですか?」 アイシングというのは、粉砂糖を水で溶かしたとろみのある白濁液を、焼きたてのパンの上に飾りとして垂らす事だ。 それのどこにヤマトの言うようないやらしい部分があるのだろう。 さっきからヤマトの言動はよくわからない。 カカシの秘書は仕事は出来るのに変わった人が多いが、どうやらヤマトも例外ではないようだ。 「ああ、そんな事はどうでも良かったですね。えっと、先輩に頼まれてたお土産、お持ちしたんです」 そう言うとヤマトは、当然のように荷物を持って部屋の中に入ろうとして来た。 カカシに止められていた事を思い出して、慌てて通路を塞ぐ。 「すみません、カカシさんからはお土産だけを受け取るようにと言われていて…」 「でも重いですから中まで運びますよ。どこに置きましょうか」 ヤマトはイルカの腕を器用に避けて部屋の奥へと進んでしまった。 でも、カカシが帰宅する前にヤマトに帰ってもらえば問題はないか、と思い直してヤマトの前に出る。 重いお土産というのは何なのだろう。 置き物や書籍なら、カカシの部屋に運んでもらった方が良いかもしれない。 そう思ってヤマトに尋ねた。 「あの、お土産ってどんなものなんですか?」 「缶しるこ30本入り3ケースです」 「え…」 「たしか先輩、イルカさんの寝顔を見ながら一杯やりたいとか言ってたんで、寝室に運んだ方が良いですよね。寝室はどちらですか?」 今にも家中のドアを開けそうなヤマトを何とか制して、置き場所へと案内する。 さすがにカカシと一緒に寝ている部屋を人に見られるのは恥ずかしくて、寝室のドアの脇まで運んでもらった。 しかしヤマトはこちらの気も知らずに、運搬を終えてもなかなかドアの傍から離れようとしない。 どうにかヤマトを寝室から遠ざけようとして声を掛ける。 「…今お茶を入れますから、リビングでお待ちになって下さい」 長居されると困ってしまうのだが、お茶の1杯ぐらいなら構わないだろう。 カカシが帰って来るまでには、まだ少し時間がある。 イルカはヤマトが歩き出した事を確かめてからキッチンへ向かった。 お茶を淹れる前に、まずは茶菓子を選ばなくてはならない。 お菓子の製造に携わる人に変なものは出せないと思って、じっくりと選んでいたら少し時間が掛かってしまった。 選んだお菓子に合うお茶を選んで食器を用意する。 一式をお盆に載せてリビングへ戻ると、そこにヤマトの姿はなかった。 嫌な予感がして、お盆を持ったまま寝室へ向かう。 すると案の定、さっきまで閉まっていた寝室のドアが開いていた。 頬が熱くなるのを感じながらも、ヤマトを注意しようとして寝室に入ろうとしたが、その直前でイルカの足が止まった。 開いたドアの前に立っただけで、室内の様子が充分に見えたからだ。 そこには、いつの間に帰って来たのか、スーツ姿のカカシがこちらに背を向けて立っていた。 しかも、黒いマントとシルクハットで仮装したヤマトを後ろから抱き締めている。 イルカには、その光景が示す意味をすぐには理解する事が出来なかった。 map ss top count
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