女性の団体を連れてきて以来、カカシが店に来なくなった。
魚を求める気持ちが薄れたのか、魚に飽きてしまったのか。
店主とお客さんという繋がりしかない関係は、それだけで簡単に切れてしまう。
もしかしたら、もう自分で買い物に行かなくてもいい生活になったのかもしれない。
かつて連れてきた女性の中の誰かと、身を固めて。
急に咽喉がひりひりしてきた。
教員室の机の隅で、すっかり冷めていたお茶を、ぐい、と呷る。
自分がカカシを思い出すように、カカシもたまにはイルカの事を思い出してくれるのだろうか。
いや、カカシが思い出すとしたら、魚屋の事だけだろう。
この所アカデミーのほうが忙しくて、店を開けられていないけれど。
今はシャッターに、しばらく休業します、と張り紙を出している。
定期試験の問題作りから採点まで、すべてが落ち着くまでは仕方がない。
はぁ、と零れた溜め息は、やけに重たい響きを持っていた。
駄目だ。
カカシと店の事ばかり考えてしまって、仕事が手に付かない。
先輩教員たちの足を引っ張りたくなくて、1人で残業をしているのに。
いつの間に、こんなに好きになっていたのだろう。
カカシを思っていたって、苦しいだけなのに。
その時、突然室内に強い風が吹き込んできた。
敵襲、という単語が頭をよぎり、一瞬で空気が張り詰める。
舞い上がった書類のあいだに人影が見えた。
「何があったんですかっ!」
聞き覚えのある声がした。
銀髪も覗き、相手が何者なのかを確信する。
それを聞きたいのは、こちらのほうだ。
「カカシさん、突然どうしたんですか」
「休業って何っ…! しばらくって何日ですかっ…!」
ああ、また魚屋の事か。
がっくりと、うな垂れてしまいそうだった。
せっかく久々に会えたのに、カカシが店に思い入れを持ってくれているのはありがたいのに。
これだけ取り乱している事が、イルカ個人への関心の薄さを強く現している。
「怪我したんですかっ、病気になったんですかっ」
「…えっ?」
顔を上げると、カカシがすさまじい形相でイルカの答えを待っていた。
怒っているようでも、泣き出す直前のようにも見える。
「いえ、あの…。アカデミーの試験期間は忙しくて…。そのあいだだけ休もうと…」
「なんだ…」
カカシが全身の空気をすべて吐き出すような深い溜め息をついた。
目元の険しさも消えている。
「あなたに何かあったのかと思って、心臓が止まるかと思った…」
もしかして、心配してくれたのだろうか。
魚屋の事ではなく、イルカの事を。
いや、どうせまた自分に都合のいいように聞き間違えたに決まっている。
「…カカシさんが気がかりだったのは、俺の事じゃないでしょう?」
かろうじて笑みを浮かべて告げると、胸が、ずきっ、と疼いた。
表面に笑顔を貼りつけたまま、淡い恋心に自らとどめを刺すように続ける。
「カカシさんが魚屋うみのにしか興味がない事はわかってますからね。お付き合いされている方があれだけ複数いらっしゃるんですから」
「ちょっ…! 前に店に連れていった人たちの事を言ってるんだったらっ、付き合ってなんてないですよっ、名前も知らない人たちですしっ」
え…、と微かな声を漏らしていた。
そんなの嘘だ。
だって、あんなに楽しそうに買い物をしていたじゃないか。
「で、でも…。ご自宅で一緒にお食事されたりしてたんじゃ…」
「ないですっ! オレ、そんなに気安く他人を家に上げたりしませんっ! あ、イルカ先生なら喜んでお招きしますけど」
最後のひと言に、どきっ、とした。
頼んだら、カカシの家に行かせてもらえるのだろうか。
忍犬たちにも会わせてくれるのだろうか。
そう思って、はっとする。
調子に乗るな、とすぐに自分を戒めた。
何を浮かれているのだ。
だってカカシは、いつも決まって2人分ずつ魚を買っていたじゃないか。
自分の家には呼ばなくても、相手の家で手料理を作り合う仲の女性はいたはずだ。
「でも、親しい女性はいらっしゃいますよね。うちの魚を毎回2人分ずつ買われてましたもんね」
「それはっ…!」
こんなふうにカカシの私生活を探るような事ばかり言って、自分は一体、何がしたいのだろう。
鬱陶しがられるだけじゃないか。
早く謝って、話を切り上げたほうがいい。
「すみません。余計な事を言い…」
「待ってくださいっ…! いつも2人分ずつ買ってたのはっ、イルカ先生に料理を教えてもらった時が2人分だったからじゃないですかっ!」
余裕のない顔をしたカカシが、額宛てで隠れた左目の写輪眼を指差した。
コピーしたのが2人分のレシピだったから、という事か。
カカシの必死な姿に圧倒されたのと、納得したのとで、肩の力が抜ける。
それが伝わったのか、カカシが弱々しい笑みを浮かべた。
どこか寂しげな。
「まいったな…」
溜め息混じりに呟くと、カカシが腕を組んで天井を仰いだ。
「オレの気持ち、今まで全然伝わってなかった…? 新規の客を連れてきて、売上げに貢献して、イルカ先生の気を惹こうって魂胆だったんですけど」
「え…」
「前に団体で押しかけた時は、長い任務に出るせいでしばらく店に行けなくてもイルカ先生に忘れられないように印象づけておこう、って下心からだったけど、それ以外は」
カカシを忘れる事なんて、もうできそうにないのに。
顔を見られないあいだだって、カカシの事ばかり考えていたのだ。
「オレが好きな魚って、安いのばっかりでしょう? いつも申し訳なくて。たまに1人で行くと、もっとお客さん連れてきてよ、って言われてる気がしたし」
「そんなっ、俺っ…」
「あなたがそんな打算的な人じゃないのはわかってるんです。貢献できない罪悪感で、つい被害妄想でそう思ってしまうだけで」
カカシに誤解されていると思って焦ったけれど、違っていたようでほっとした。
「そっかー。全然伝わってなかったかぁー」
とても残念そうに言ったカカシに、するりと頬を撫でられた。
はっとして、急に顔全体が熱くなる。
カカシの眼差しが、愛しくてたまらないものに触れるみたいに柔らかくて、とにかく狼狽える。
「これからはもっと積極的にいかないとなぁ」
あまりの恥ずかしさに、カカシの手を振り払う事もできなかった。
固まっていると、逃がさないよ、とでも言わんばかりに視線をがっちりと捕らえられた。
「というわけなんで、今度の休みにオレとデートしてくれませんか?」
断れなくて、ではなくて、自分の意思で小さく頷くのがやっとだった。






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2015.04.05

 

 

 

 

 

474747Hit かなこさんからのリクエスト
「魚屋うみの続編」
「しっかりハッピーな手ごたえのあるストーリーで」でした。
長々とお待たせしてしまって申し訳ありません…。
いつか続編を書かなければと思っていた話だったので
今回その機会をいただけて嬉しかったです。

リクエストありがとうございました!