週末の午後2時すぎ。
最初の現場である公園には薄日が差していた。
大人も子どもも、それなりの人数がいる。
「対象、確認できましたか」
西側管理棟の陰で待機に入ったカカシの元に、ヤマトから無線が入った。
ヤマトはカカシとは反対の東側駐車場に停めた車内で待機している。
正直、どんな世間知らずな御曹司が出てくるのかと思った。
「黒髪、ひとつ結び、鼻を横切る傷のある人でしょ。子ども2人連れの」
事前情報がなければ、青年が親戚の子たちと遊んでいるだけのように見える。
もしくは、保育士や学童指導員が子どもたちの世話をしている、と。
それくらい、今回の護衛対象には政治家という雰囲気がない。
カネと汚職にまみれた業界では珍しい。
子どもたちのほうも、誰かに狙われている恐怖心があるようには見えない。
「うみのイルカ、元教育家です。三代目総理、猿飛ヒルゼンの秘書を経て、後継者になりました」
教育の仕事をしていたのか。
だから、いかにも日の当たる表舞台の人、という存在感があるのか。
護衛を生業にしている裏方の自分には、少し眩しい。
「恩のあった三代目に、処理能力の高さを買われて引き抜かれたようです」
よほど優秀な人物なのだろう。
でも、三代目の後継者にしては若すぎないだろうか。
「今いくつ?」
「先輩の4つ下です。三代目との血縁はありません」
そういえば、三代目は世襲に重きを置いていない、という新聞記事を読んだ事がある。
「血縁があるのは、小さいほうの子で、三代目の実の孫、木ノ葉丸です。大きいほうの子が、元後継者だった波風ミナトの子、うずまきナルトです」
3人とも、それなりに重要人物じゃないか。
ヤマトの頼みでなければ、あんな低額では絶対に引き受けなかった。
「昔、先輩に貸しを作っておいてよかったです」
「…等価とは思えないんだけど」
「そんな事はないでしょう」
貸し、というのは、まだヤマトと同じ特殊部隊に所属していた頃の話だ。
カカシが現場を離れられない立場だった時期に、ヤマトの一時帰国が決まり、愛読書の最新刊を調達してもらった。
ヤマトの今の本業は政治家秘書だそうだが、物騒な世の中だし、実戦経験は色々と役に立つだろう。
「相応の価値はあるはずです。先輩の精神はアレで正常を保っていられたんですから」
「大げさだな」
「僕はそう思っています」
あの組織は色々と制約が多くて、間もなくして辞めた。
以来、独立してフリーで活動を始めて、そろそろ七年目に入る。
専属の誘いは何度もあったけれど、すべて断ってきた。
長期間そばで守り続けたい、と心から思えるほどの人物に出会った事がないからだ。
「国内案件は久々かもしれませんけど、よろしくお願いします」
「はいはい」
自国に2日以上滞在するのは何年ぶりだろう。
この国は護衛の相場が安すぎて請ける気にならないのだ。
こちらは命を懸けてやっているのに、高いと難癖をつけるケチな奴が多くて。
「本当にお願いしますよ。先輩で6人目なんですから」
「6人目?」
「イルカ先生には黙っていてください」
そう前置きをして、ヤマトが前任者たちの解雇理由を語り始めた。
1人目は言葉遣いと態度が横柄。
2人目は子どもの扱いがぞんざい。
3人目は仕事中に飲酒。
4人目はイルカを盗撮。
5人目は、と続けようとしたヤマトが急に黙り込んだ。
不審人物でも現れたのだろうか。
広角で、さっと目を配る。
だが、他の家族連れも、単独行動らしい数人の高齢者も、不自然な動きはない。
「どうした?」
「いえ…、なんでもありません。5人目は…その、イルカ先生のベッドで、…自慰、を」
「うっわー…」
思わず声が出てしまった。
それで口ごもったのか。
この国には碌な同業者がいないようだ。
それとも、あの爽やかな好青年に、人を狂わせる特殊な魅力でもあるのだろうか。
護衛に盗撮されたり、露骨に夜のオカズにされるなんて、尋常じゃない。
「先輩なら、そっちのほうは困ってはいないですよね」
自分が呼ばれたのは、そういう理由もあったのか。
たしかに間違ってはいない。
連絡をしたら夜の相手をしてくれる人は、あちこちの国にいる。
もちろん、お互いに割り切った関係だ。
「そういえば先輩って、女性の好みに服を合わせるタイプでしたよね」
状況によっては、そういう事をする場合もあった。
若い頃は誰だって色々あるだろう。
複数と同時進行していて、服装くらい変えないと誰と過ごしているのかわからなくなる事とか。
仕事の時は、動きやすくて周囲に溶け込む格好が一番だ。
最近は、上は白いワイシャツで、下は黒いジーンズが定番になっている。
シャツの裾は出していて、ジーンズはストレッチ素材だ。
フォーマルな場に行く事になったら、シャツをインして黒いジャケットを羽織ればいい。
ヤマトはきっちり、上下紺のスーツ姿だった。
同じ護衛要員ではあっても、秘書を兼ねているからだろう。
「そんな事より、そろそろ依頼の経緯を聞きたいんだけど」
「失礼しました。3か月くらい前からなんですが、イルカ先生の自宅に脅迫状が届くようになったんです」
「内容は」
「ストーカー系です。あなたがほしいとか、私だけのものにならないなら殺すとか、周りの奴が憎いとか」
「警察には届けたんでしょ」
「はい。今特定できているのは、投函されたポストだけです」
真面目に対応していたら、溜め息が零れそうになった。
有名になれば、信者のような熱狂的なファンが付く事はあるだろう。
ここまで聞いた限りで、心の底から思った事がある。
「…オレ、いる?」
「いりますっ…! 絶対にっ!」
そんなに力説するほどだろうか。
イルカと同じ状況にある人は、芸能人やスポーツ選手など、国内だけでもたくさんいるだろう。
「どうしてもイルカ先生を守りたいんです」
もしかして、ヤマトは人生を懸ける相手を見つけたのだろうか。
「…それって、個人的な思い入れ?」
「それもありますが、この国の未来のためでもあるんです」
昔から有能だったヤマトがそこまで言うのなら、自分が関わる案件なのかもしれない。
もう少し様子を見てみよう。
手を引くのはそれからだ。
「脅迫状だけじゃありません」
そう言って、さらにヤマトが話を続けた。
イルカの街頭演説中に、近くの喫煙所で灰皿が爆発した事。
ナルトと木ノ葉丸が不審人物に尾行された事。
3人が住んでいた三代目の屋敷で、ゴミ置き場から不審火が出た事。
「今は3人ともホテルに滞在しています。あの子たち、イルカ先生はオレが守ると騒いで離れないもので」
ヒーロー気取りというか、お姫様扱いというか。
どちらにしても、イルカは大人からも子どもからも好かれるタイプのようだ。
「警察によると、爆発物はかなり精巧にできていたそうです」
その時、ブランコを地面と水平になるほど漕いでいたナルトが、急に飛び降りてイルカに駆け寄った。
腰に抱きついて、何かを話している。
木ノ葉丸もブランコを降り、同じようにイルカに抱きついた。
イルカが2人の頭を撫でて、携帯電話を取り出した。
「イルカ先生からの着信です」
その言葉でヤマトの無線が切れた。
3人が出口に向かっていく。
「競争だってばよ!」
「急にズルいぞコレェ!」
子どもたちの大声はこちらまで響いてきた。
イルカは困ったように笑いながら、軽く走って追っていく。
なんて嬉しそうに笑う人なのだろう。
あんな笑い方をされたら、周りにいる人まで幸せな気分になる。
政治家なら、もう少し感情を抑えたほうがいい。
狡猾なベテランたちに付け入られてしまう。
「先輩、移動します」
ふいに繋がった無線に、はっとした。
3人の姿は、もうカカシからはだいぶ遠くに離れていた。
「ベンチにいた高齢男性の中に、気味の悪い人がいるという訴えがあったそうです」
どの人だろう。
見える範囲で5人ほどいる。
ベンチで柔軟運動をする人、携帯電話を見ている人、ただ座って休んでいる人、隣の人と話している人。
「1人でスマホを見てニヤニヤしているのが嫌だったみたいです」
子どもなら、いや、大人でも、この場を離れたくなるかもしれない。
それに、子どもの勘や感覚は侮れない。
念のために、当該男性を簡単に撮影した。
必要があれば素性を調べよう。
「移動先は?」
「東南に約3キロ、国道沿いのショッピングモール内にある、トイトイアイらンドです」
「了解。先回りして現場の安全確認してくる。移動中の事は任せていいよね?」
「はい」
公園を出ると、ヤマトとは別の場所に停めていた車に乗り込んだ。
街乗りでも違和感のない、コンパクトな四輪駆動車だ。
じっくりとアクセルを踏み、次の現場へと向かった。






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2020.08.29