出入口、非常口、非常階段の位置は把握した。
ゴミ箱や物陰に不審物がない事も確かめた。
できるだけの緊急事態への想定と脱出経路は、頭の中で何パターンか組み立ててある。
待機位置は、正面入口と非常口が死角にならない場所で。
この施設では1階の飲料エリアが適していた。
商品を選ぶフリをしながら、警戒を続ける。
だが、本当にここまでする必要があるのだろうか。
家族連れでにぎわう店内は、平和としか思えない。
護衛の緊張感やモチベーションを高いまま保つには、苦労する環境だ。
「先輩、聞こえますか」
「うん。着いた?」
「今、3人が車を降りました。間もなく東口から入店します」
「了解」
「ここに来ると長いのでよろしくお願いします」
ヤマトが言い逃げるように無線を切った。
げっ、という嘆きの声はなんとか飲み込んだ。
急いで東側の入口へ移ると、対象の3人が入ってくるのが見えた。
2階の玩具店に、一番近い入口だ。
慣れた足取りで正面のエスカレーターに乗っている。
同じ経路で付いていくと、木ノ葉丸が戦隊ヒーローの名前を叫びながら走り出した。
ナルトも小走りで追っていく。
「走らない!」
すぐに発せられたイルカの声は、店舗の端から端まで響き渡りそうな大音量だった。
完全な注意で、怒りの感情は一切なかった。
恐怖心を与えるのではなく、反省や後悔を芽生えさせる言い方だった。
すごい。
さすが教育家だ。
子ども2人は、びくっ、と背筋を伸ばして足を止めている。
あまりの迫力に、実はこちらまで、びくりと肩が揺れてしまった。
温厚そうな人の意外な凛々しさに、口元が緩む。
久々に自分まで叱られた気分だった。
「廊下は?」
「…走らないんだってばよ」
「お店の中は?」
「騒がないんだコレェ…」
「よし」
規則か約束の確認をしているようだった。
イルカがナルトの肩に触れ、木ノ葉丸の手を取り、3人で歩き出した。
なんだか楽しくなってきた。
対象を見張る事ではなく、イルカを知っていく事が。
まだまだカカシが予想もしない一面があったりするのだろうか。
例えば、部屋がすごく散らかっているとか。
例えば、偏食がひどいとか。
考えているだけで、にやけてしまいそうになる。
例えば、夜は芸能関係の美女たちと遊び歩いているとか。
そんなイルカを想像したら、じっとりとした不快感が込み上げてきた。
頭の中の景色が、急に色褪せていく。
邪を払うために、ふっ、と強く短い息をついた。
対象がどんな人物であっても、守り抜くのが自分の仕事だ。
3人は目的の場所に着いたようだった。
それぞれが別々に行動を始めている。
イルカは絵本の売り場にいた。
試し読み用の長椅子に腰を下ろして、ページをめくっている。
その隣に、なんの遠慮も躊躇いもなく、小さな子どもが座った。
イルカの絵本を覗き込んでいる。
逆側の隣にも新たな子どもが座った。
イルカの周りに次々と子どもが集まってくる。
何か話しているなと思ったら、音読会が始まっていた。
イルカの声音と表情がころころと変わり、子どもたちがどんどん物語に引き込まれていく。
こちらまで惹き込まれそうになっていると、ふいにイルカが、蓮の花が咲き開くような笑顔を見せた。
途端に、きゅう、と胸が痺れた。
痺れた部分に、ぬくもりの余韻がかげろうのように残っている。
不思議な感覚だった。
足元がふわふわしていて、でも嫌な感じはしない。
その時だった。
突然、すさまじい爆発音が立ち起こった。
あちこちから悲鳴が上がる。
吹き抜けになっている1階の入口あたりから立ち上る炎と煙が見えた。
さっきイルカたちが通ったばかりの場所だ。
数分ずれていたら直撃していた。
この平和な国で、ようやく体の隅々まで仕事モードに切り替わっていく気配がした。
「先輩、聞こえますか」
ヤマトから無線が入った。
「聞こえるよ。下の階で爆発があったみたいなんだけど」
「東側の入口です。表の駐車場も混乱し始めていて、この様子だと出庫に時間がかかりそうです」
「了解。こっちで引き受ける」
ヤマトの心配は的外れではなかった。
最短距離でイルカの元へと走る。
「護衛の者です。非常口はあちらです、行きましょう」
「保護者と来ている子を引き合わせてからにしたいんですが」
イルカの理解の早さに驚いた。
肝の据わり具合にも。
イルカは穏やかに子どもの背中を撫で、名前を聞いては保護者を探す声を上げている。
それは施設の係員に任せればいい。
まずはイルカを避難させたい。
「オレの仕事は、あなたを守る事です」
「すぐに終わらせます」
意思の強さを感じた。
たぶんこれは、何を言っても通じない。
それならば、今できる最善を。
わかりました、と応じて、広い通路に出た。
走りながら、商品棚の路地を1列ずつ確認していく。
玩具店のスペースが終わる手前で、見つけた。
すでに一緒になってきょろきょろしていた2人に駆け寄る。
「今日からうみのイルカの護衛についたから、よろしく。走れるよね?」
木ノ葉丸を片腕で抱き上げながら、ナルトに尋ねると、少し考えるような間を挟んで頷きが返ってきた。
もう一方の手で、ぽんぽんとナルトの肩を叩いたのを合図に、手を繋いで走り出す。
非常階段に近い、絵本売り場のほうへと引き返していく。
そこでまた爆発音がした。
すぐ後ろからだった。
振り向くと、エスカレーター周辺の商品が、さらに散乱していた。
イルカたちが乗ったエスカレーターだ。
確実に近づいてきている。
「イルカ先生!」
ナルトが叫んだ。
商品棚の路地から出てきたイルカを、目聡く見つけたようだ。
カカシの手を振り払い、非常階段を無視して、イルカに飛びついた。
抱えていた木ノ葉丸も、むずがるように暴れ出す。
下ろしてやると、走ってイルカにしがみ付いた。
イルカは2人の背中をいたわるようにさすっている。
「終わりましたか」
「はい。避難しましょう」
「ごめん、イルカ先生…。おれ…廊下走ったってばよ…」
イルカが困ったような嬉しそうな微笑みを浮かべた。
じわ、とまたさっきの不思議な感覚が胸をよぎる。
今はそんな場合ではないというのに。
「歩けるか?」
イルカに優しい声で尋ねられたナルトは、弱々しく首を横に振った。
くっ付いて安心したのか、脚ががくがくと震えている。
木ノ葉丸も体が震えていた。
子どもと保護者の合流を優先したイルカの気持ちが、今になってわかった気がした。
「ナルトはオレが背負います。木ノ葉丸は頼んでもいいですか」
カカシがひとりで子どもを前後に持ったら、移動が遅くなりすぎてしまう。
幸い、イルカは健康そうだ。
ただ、護衛は立場の低い者、という認識がイルカにあれば、頼みごとをされて機嫌を損ねられる恐れはある。
「あ…、はい。助かります。ありがとうございます」
イルカが、ふわっと笑った。
羽毛でくるまれるような、あたたかい笑顔だった。
この状況とのギャップのせいか、ぼーっと見つめてしまう。
想定した嫌な事態の真逆を、なんて軽々と振り切ってくる人なのだろう。
バン、とまた爆発音がして、我に返った。
今度は玩具店の中央あたりから火が出ている。
「急ぎましょう」
そうイルカに声をかけ、2人で子どもを背負い、非常階段へと向かった。
外へ出ると、緊急車両のサイレンや避難誘導、悲鳴や叫喚で騒然としていた。
その混乱に乗じて、現場を後にする。
カカシが車を停めていたのは、ショッピングモール裏手の住宅街にある、コインパーキングだった。
後部座席に3人を乗せて、ドアを閉める。
運転席に入る前に、ヤマトに無線を繋いだ。
「とりあえず出たよ。今、車に乗せた」
「了解です」
「これからどうする?」
「あ、すいません。イルカ先生からの着信です」
無線が切れた。
ヤマトがイルカを最優先にするのはわかるのだけど、なんだかモヤっとする。
どことなくヤマトの声が浮かれているように聞こえたからだろうか。
イルカに頼られているのはカカシよりもヤマトだ、とさり気なくマウントを取られている気がするからだろうか。
2人の電話が終わるのをじっと待っているのは癪で、駐車料金を精算する時間として使う事にした。






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2020.11.23