イルカの手が冷たい。
有り余るこちらの熱を、少しくらい渡せたらいいのに。
「ヤマトにできる事はオレにもできます。ヤマトより上手くやります。資格が必要なら次の試験で必ず合格します」
「ちょっ…、きゅ、急にどうしたんで…」
「今まで法に触れる事もしてきましたが、絶対にイルカさんに迷惑はかけません」
自分の後ろ暗い経歴はすべて、スケアという偽名で積み上げてきた表側の人生に押しつける。
多少は不正な操作もあるけれど、都合の悪い部分は架空の人物の仕業という事にして、最後は行方不明にしておく。
自分の秘密も、その隠蔽方法も、偽りなくイルカに話した。
黙っていたほうがいい事だとしても、イルカをだますような事はしたくなかった。
「これからもイルカさんのそばにいたいんです。イルカさんを支えていきたいんです。できれば…公私、ともに」
突然こんな告白をされたら、普通は怯むだろう。
でも、イルカほど器の大きい人物なら受け入れてくれるのではないのか。
「イルカさんを愛しているんです。契約が切れても離れたくないんです」
イルカは面喰らった顔をしていた。
大きく見開いた目を何度も瞬かせている。
同性は恋愛対象として考えられないだろうか。
自分もイルカに出会うまでは同性に惚れるなんて考えた事もなかった。
「大事にします。尽くします。なんでもします。オレじゃ駄目ですか。必ず役に立ってみせます」
イルカが、ふっ、と吐息を零した。
「…俺、カカシさんにはあまり好かれていないんだと思っていました」
イルカが自嘲するように笑った。
抑制が強すぎたのかもしれない。
そうでもしないとイルカの前で己を保っていられなかった。
「カカシさんと一緒に何かをしようとしても、子どもたちのそばにいるように言われるし」
ふいに、イルカのさびしそうな顔が頭をよぎった。
夜の荷下ろしの時、朝の洗い物の時。
「2人ともイルカさんといるほうが…安心するし、喜ぶだろうと」
「なんとなくそうかなとは思っていました。でも、俺の事はただの依頼人か護衛対象としてしか見ていないんだなって」
「そう思い込もうとしていた時期もありました。すみません」
「子どもたちとセットでひとつ、っていう扱いなんだなって」
「すみません…。気持ちを抑えていたんです」
「謝らないでください。嬉しいんですよ。好意があるのも離れたくないのも、俺の一方的な気持ちでしかないって思っていたから」
好意がある?
イルカがカカシに?
離れたくない?
イルカがカカシと?
今、そう言ったのか。
ぼうっとしそうになる目に、イルカの照れたような笑みが飛び込んできた。
かわいい。
こういうイルカをこれからも見られるのか。
そう思ったら、痺れるほど幸せな気持ちがじりじりと込み上げてきた。
「でも、そのお気持ちだけで充分です」
「…えっ…?」
耳を疑った。
カカシを受け入れてくれたのだと、この先もそばにいさせてくれるのだと思ったのに。
やはり清廉なイルカの近くには潔白な人間以外は不要という事なのか。
ヤマトの件があったからこそ、余計に。
イルカに触れている事が急にいけない事に思えて、握っていた手をすっ、と離した。
「オレが…汚れた男でなかったら、返事は違っていましたか…」
唇を噛んだ。
こんな未練だらけの無意味な問いさえ口にせずにはいられなかった。
もしもの話なんてしても、過去の行いは何ひとつ変わらないというのに。
「カカシさんが汚れているとは思いません。でも、返事は同じだったと思います」
「じゃあ…、オレの何が…いけないんですか…」
フラれたくせにしつこい奴だ、と自分でも嫌になる。
誰かに執着した事だってないくせに、それでもイルカだけは特別で、簡単には引き下がれない。
だって両想いなのだ。
なんでもいいから好転の糸口がほしい。
「カカシさんは何も悪くないです」
「だったら…っ、どうして…」
声を荒らげそうになった。
なんとか抑えられたのは、子どもたちに聞かれたら心配させてしまうと思ったからだ。
「…さっきも言いましたけど、お金がないんです。本当にお恥ずかしい話なんですが…。ヤマトさんの働きに見合う対価も払えていなかったのに、さらに有能なかたを雇うなんて、とても…」
そんな事でっ…! と上げそうになった大声を飲み込んだ。
きっとイルカにとっては重要な問題なのだ。
金銭面なら気にしなくていい、という事を丁寧に説明して、もし納得してもらえたら。
かすかな希望の糸が切れないように、慎重に深呼吸をした。
「無報酬で構いません。すでに使いきれないほど稼いでいますし、運用している一部の資産で充分な不労所得があります。半永久的に」
常に死と隣り合わせで、厳しい鍛錬を続けなければやっていけない仕事だ。
リスクが高い分、収入というリターンも高いけれど、つらい時間のほうが圧倒的に長い。
それでも辞めなかったのは。
「心の底から命をかけて守りたいと思えるイルカさんのような人に出会った時のために、今まで体を張って蓄えてきたんです」
大切な人をちゃんと自分で守りたくて。
もう二度と、自分が未熟なせいで大切な人を失いたくなくて。
「…すごくありがたいお話です。でも…それを受けたら…カカシさんのお気持ちを搾取している事になります…」
「オレにとっては、イルカさんのそばにいられるだけで充分な見返りなんです」
惜しまずに本心を晒していけば、イルカは砂の城がほろほろと崩れていくような儚げな笑みを浮かべた。
諦めと悲しみに満ちている。
どうしてそんな顔をするのだ。
振っても振っても食い下がる男を憐れんでいるのか。
「…冗談でも、そんなこと言っちゃ駄目でしょう…」
「こんな事、冗談でなんて言いません」
「…せっかくひとりで頑張っていく覚悟を決めたのに、すぐに撤回する事になっちゃうじゃないですか」
どくん、と心臓が跳ねた。
その音が、やけに耳についた。
「俺はそんなに意思の弱い人間じゃないんです」
「そこは弱さじゃなく、柔軟さだと思えませんか。ひとりじゃなく、オレと生きていく覚悟を決めてくれませんか。オレの覚悟はとっくに固まっているんです」
「…これでも今まで、自分で決めた事を破った事なんてなかったんですよ。だからもう、二度目はありません」
今度はこちらが目を見開いていた。
イルカが、カカシのために、一度だけ、戒を破る、と言ってくれた。
「俺、カカシさんに守ってもらう価値のある政治家になります」
体が、かぁーとなった。
届いた。
自分の思いが、イルカに。
みっともなくても伝え続けてよかった。
嬉しい。
泣きそうだ。
このままキスをして抱きしめてもいいだろうか。
イルカにはそちらの覚悟もできているのだろうか。
「…カカシさんって、けっこう熱い人なんですね…。どんな時でも…ストイックで淡々としている印象が強かったので…意外でした…」
どこまでも真っ直ぐだったイルカの眼差しが、恥ずかしがるようにシーツに落ちた。
急に、むわりとした色気がイルカから放たれる。
仕事に対する誠実さと、このいかがわしさとのギャップは、一体なんなのだろう。
鼻息が荒くなりそうになるのを、懸命に抑えて立ち上がった。
わざとらしいくらいゆっくりと、イルカのベッドに腰を下ろす。
いつでも唇を奪えるような間隔しかあけずに。
「ち、近いですよ」
わずかにカカシから離れる壁側へとずれたイルカが、たどたどしくカップに口をつけた。
伏せた目元、隠れた口元、露わになった喉元を、視姦のごとく、じっと見つめる。
「オレはもっとイルカさんに近づきたいと思っています」
できれば、布1枚すら隔てる事なく。
そこまでの本心を告げたら、さすがに警戒されるだろうか。
イルカの首の正面中央にある凹凸が、ごくり、ごくり、と小さな音を立てて何度か上下する。
ただの嚥下動作に性的なものを感じてしまう。
今キスをしたら、はちみつオレンジと、しょうがの風味がするのだろう。
イルカが静かにカップをサイドテーブルに置いた。
戻ってきた視線は再びシーツに落ちている。
「でも…カカシさん、俺相手に勃ちま…」
「勃ちます」
皆まで言わせず、語尾に被せて答えた。
今朝だって危なかった。
というか、あれはもう完全にアウトだった。
「イルカさんに欲情します。抱きたいと思っています。…そういう対象になる事に抵抗がありますか」
「抵抗は…あるような…ないような…半信半疑というか…」
こんな時まで素直で率直な人だ。
性の対象である事に無自覚だったイルカに、ここで手を出すのは時期尚早なのだろう。
のどや唇が渇くほど、自分がイルカを求めていたとしても。
散漫な自制心を掻き集めて、なんとか欲を堰き止める。
カカシがぎりぎりの状態だと知らないイルカの視線が、おそるおそるという様子でこちらを向いた。
がっちりと目が合った途端、イルカの顔が赤く染まっていく。
「そんな…、そんなやらしい目で見ないでください…」
もう隠すつもりはなかった。
イルカの視線がさ迷いながら、再びシーツに落ちた。
恥ずかしがる姿が興奮を煽るという事を、イルカは知らないのだろうか。
このままむしゃぶりつきたい衝動を、今にも崩れそうな自制心で強引に抑えつける。
ドアの向こうには、子どもたちがいるのだ。
「…カカシさんの口説き文句…、すごすぎます…」
ベッドについていたカカシの手に、イルカの指先が触れた。
触れてきたのはイルカからのくせに、怯むようにぴくりと震わせたりして。
それでも、そろり、そろり、と指の隙間を埋めてくる。
焦らすような時間を挟んで、やがてゆるく繋がった。
「いったい…今までどれだけの人を口説いてきたんですか…」
ほんのりと漂う嫉妬の気配に、いよいよ自制心の核に致命的なひびの入る音が聞こえた。






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2022.04.17

 

 

 

 

 

535353Hit Sさんからのリクエスト
「パラレルで身分違いの恋」
「映画『ボディーガード』のカカイル(映画は歌手でしたが、他の設定でも)」
「プロ意識が高くストイックなカカシ先生は
イルカ先生への気持ちに戸惑い距離を取ろうとするのですが、
やっぱり二人は離れることはできないハッピーエンドで!」でした。
完結まで時間がかかり力不足を感じておりますが
少しでもご希望に沿える形になっていたらいいなと思っております。

リクエストありがとうございました!