「俺に恨みでもあんの?」 好きな人に告白され、自分の気持ちを伝え、やっとこれからという時に。 「恥、かかせないでよ」 うんざりした気持ちを、そのまま表情に出した。 「そんなつもりじゃ…。ただ、カカシさんと親しくなりたくて…。だってやっと共通点が見つかったのに」 共通点…。 その程度のもので、折角の記念すべき初デートをぶち壊されたわけか。 「あのねぇ、言っとくけど別に俺が大豆を好きなわけじゃないし、アカデミーの話だって、アンタじゃなくたって誰でもよかったの」 出来るだけ厭味ったらしく喋った。 だって、大豆はイルカの好物だったから話題に出した。 アカデミーの話だって、イルカの立場や環境を知りたかったから出しただけだ。 「そんな言い方っ!ひどくないですかぁ!?」 前回の初めて会った時には感じなかった、というか印象にすら残らなかった彼女の、汚い部分をありありと感じた。 「女の好意より男の友情を取るんですね…」 女の目に暗い光が宿った。 「イルカ先生に石をぶつけたのは、やり過ぎかと思いましたけど、今になってやっとスッキリしました。カカシさん、友人はもう少し選んだ方がいいですよ。彼は貴方に釣り合わな…っう!」 最後まで聞かずに頬を叩いた。 「俺、男女差別はしない主義だから。二度目があったら容赦しないよ」 怒気をたっぷりと含んで睨み付けた。 女は裏拳で叩かれた右頬を、両手のひらで押えたまま固まっていた。 イルカと過ごすはずだった楽しい時間が踏み躙られ、沈んだ気持ちを抱えて、一人家路についた。 その間中ずっと、イルカの事を考えていた。 イルカは店の目の前であんな事になり、どう思っただろう。 普通だったら怒る所だが、別れ際に見せたイルカの表情は、そういった感情を含んでいなかった。 感じたのは、諦めと淋しさに近いようなもの。 あんな顔をされたのは初めてで、焦って上手く言葉が続けられなかった。 告白し合ったばかりで、イルカとの距離を測りかねたせいだ。 本当に、イルカはどう思ったのだろう。 漠然とした不安が湧いてくる。 これからやっと、イルカの事をたくさん知っていけると思った矢先にだ。 「ああっ!もう駄目だっ」 考え出したら気になって、瞬く間にイルカ宅へと脚を向けた。 別れてから四、五十分といったところか。 月光を避けるでもなく最短距離を翔った。 イルカは真っすぐ家に帰ったんだろうか。 誰かを呼んで他の店で食事でもしたのだろうか。 「クソッ…!」 本当なら自分が彼と過ごしていたはずなのに。 イルカの家が見えてきた。 部屋の明かりは消えていて、物音も聞こえない。 だが、うっすら掴んだ気配は紛れもなくイルカのもので、とりあえず一安心した。 ドアの前に立ち、遠慮がちにそれを叩く。 中の気配が微かに動いた。 「イルカ先生っ、あの、開けてくれませんかっ?」 気配が大きく動く。 緩慢な動作でドアが開いた。 「か、カカシ先生ー?どうしたんですか?」 寝呆け眼が、ぱっと開く。 …頬には涙の跡。 「あの、オレ、気になって…」 イルカは思い出したように眉間に皺を寄せ、それを隠すためか俯いた。 「イルカ先生…」 「…湯葉、おいしかったですか?」 イルカが顔を上げ、弱々しく問い掛けてきた。 「あなたと二人で行った店に、一人で入るわけないでしょう。こっちから誘っておいてあんな、…本当にごめんなさい」 「いえ、気にしないで下さい」 イルカは人差し指で目元を拭った。 「カカシ先生も、彼女を知っているとは思いませんでした」 言い方は柔らかかった。 薄っすらと、微笑みさえ浮かべている。 イルカの、そのはかなさに喉が詰まった。 しかし、カカシにはイルカに伝えなければいけない事があった。 「イルカ先生、以前あの女に嫌がらせを受けましたよね?あれ、オレのせいなんです」 イルカは首を横に振った。 「彼女には釘を刺しておきました。でも、オレと付き合っていたら、また、誰かに何かされるかもしれないです」 今までの経験でわかっている事だった。 過去に付き合った女達は、忍としての実力も上忍以上だったので、自分で対処していたのを知っている。 その辺りの事は女達自身に任せていたが、イルカにはそんな事して欲しくなかった。 決して、イルカが弱いだからとか中忍だからではなく。 「大丈夫ですよ。俺だって中忍ですが、一応忍者です」 「そういう意味ではっ…」 「それとも…」 イルカの声が震えた。 「弱い中忍なんてもう、うんざりですか?それを理由に、何もなかった事にしたいんですか?」 堪らなくなって、イルカを力一杯抱き締めた。 「そうじゃないです!!イルカ先生、謝るからそんな悲しい事言わないで」 イルカの肩に顔を埋めた。 そのせいで、声がくぐもる。 「カカシ先生…」 「違うんですっ。あなたを守りたいんです。オレの手で」 イルカの腕は、だらりと下がったまま。 「…中忍じゃ…頼りないですよね…」 イルカの声が擦れていた。 「そうじゃなくて!あなたに傷ついて欲しくないんです!掠り傷の一つでも!」 言うまいかと迷ったが、イルカには知っていて欲しかったので、そのまま続けた。 「…本当は世間から隠して、オレだけのものにしたいぐらいなんです」 確認するように強く抱き締めてから、ゆっくりイルカから離れ、じっと目を合わせた。 「それぐらい、あなたが好きなんです」 見つめ続けると、イルカの顔がみるみる赤く染まっていく。 そして口を開け、ゆっくり息を吸った。 「…白状すると…、カカシ先生が、あの人とも付き合っていると思ったんです」 イルカは一度眉間を寄せ、目を伏せた。 そして遠慮がちにカカシに腕を回した。 「イルカ先生…」 もう一度イルカの肩に顔を載せ、優しく抱き返した。 すると、首筋からイルカの匂いが香った。 こんな時に不謹慎だが、ドキッとした。 「俺だって…カカシ先生が…」 イルカは消え入りそうな声で、好きです…と続けた。 堪らなくなって、思わずうなじに口付けた。 「っ…!」 イルカの体がびくりと揺れる。 「カ、カカシ先生っ…」 名を呼ばれ、尚も強く抱き締めた。 今にも押し倒したい欲求を、必死に抑える。 「ねぇ、イルカ先生」 「はい」 善良で誠実なイルカの声に、自分の欲を浅ましく感じた。しかし。 「こんなんじゃ全然満足できません。覚悟、して下さいね」 今日の所はこれだけで我慢します。 体が目当てだと思われないためにも。 「えっ…」 戸惑うイルカを横目で楽しみながら、限界は近いだろうと実感した。 「あ、あ、明日も任務があるんですよね?遅刻しないために早く休んだ方がいいです」 警戒したのか、素に戻ったのか、おそらく後者だろうが。 どこまでも真面目なイルカに愛しさが募り、同時に悪戯心が沸き起こった。 「泊めてくれるの?」 ニタニタしながらの、幸せなからかい。 ついさっき、遠回しながらも、あなたが欲しいと伝えたばかりなのに。 「…違っ!ただ明日の心配を…」 イルカの頬に朱が走る。 「心配してくれるの?嬉しいなぁ」 その頬にわざとらしく音を立ててキスをした。 「カカシ先生っ!」 「はい?何ですか?オレは今、世界で一番幸せ者ですよ?」 イルカがいてくれれば、それだけで幸せを独り占めした気になる。 「…っ!もう!ふざけないで下さい!」 この密着状態のままではヤバイと思い、名残惜しくもイルカから離れた。 * * * * * 「感謝した方がいいのかな…」 もう頻繁に訪れるようになったイルカの家で、あぐらをかいたカカシが言った。 初めて二人が会話して、初めてイルカがハンカチを貸した、トイレでの経緯を話した直後だった。 自分と同じ事を考えたカカシに驚き、目を丸くした。 「でも、あの女教師、自分の立場を利用してイルカ先生に嫌がらせしたんだから、感謝なんて必要ないか」 次いで出てきた言葉に、更に目を見開いた。 「ん?どうしたんです?そんな顔して」 イルカはすぐに笑顔になり、へにゃ、っと笑った。 「秘密です」 上忍と中忍、美形と平凡、有名人と一般人。 余所から見たら、すごくかけ離れている自分達二人が、本人達も知らない所で巧く噛み合っていた。 「えー、教えて下さいよー」 子供っぽいカカシに、笑みが深くなる。 こんなにも満たされた感情をなんと呼ぶのか。 「ねぇー、イルカ先生ぇー」 カカシが擦り寄ってきた。 答えは既にわかっていたが、自分の中に留めておく事にした。 「秘密です」 カカシが諦めたようにちぇーと言った。 |