「行きましょうか」 カカシはニコニコして、何もなかったかのように言う。 「す、すみません…!」 滑り込むように受付にやって来た上忍が、急ぎの報告書を持って現われたのは、今から約二時間前。 依頼人へ送付する任務完了通知書の手配や、その添付物の準備を大急ぎでやったのだが。 結局、二時間以上もカカシを待たせてしまった事になる。 それなのに、何も無かったかのように。 「イルカ先生も大変ですね〜。ところで、この時間から入れる湯葉の店って、繁華街になっちゃうんですけどいいですか?」 ずるいです…。 今まではカカシの負担にならないように、居心地の良い関係で甘んじてきたのに。 「呼び込みとか結構多くて、煩わしい所なんです。イルカ先生、そういうの苦手でしょ?」 優しすぎる。 箍が外れてしまう。 「ねぇ?イルカ先生?」 もう、止まらなかった。 「…好きです…」 涙まで出てきた。 心から溢れだす気持ちを抑えられない。 言葉に出さずにはいられない。 「え」 「…好きなんです…」 すぐそこに見えるネオン街が、ひどく遠くに感じた。 手が震える。 膝に力が入らない。 「イルカ先生」 腕を強く掴まれて、カカシの方に目をやると、唐突に検討違いの方向へ歩き出した。 ぐいぐい引っ張られる。 眩しいネオン街とは対照的な、薄暗い森の中へと。 そのまま無抵抗に付いて行くと、三日月の灯りを柔らかく浴びる、少し開けた場所に出た。 そして漸くカカシが向き直り、こちらに目線を合わせてきた。 「イルカ先生」 硬い声音に、身体がびくつく。 緊張し過ぎて気を失いそうだ。 「冗談では済まないですよ」 耐えられなくて目を逸らす。 初めて見る真剣なカカシの顔は、目を逸らしても脳裏に焼き付くほど、印象的だった。 「…はい」 こちらだって冗談で言ったわけではない。 「…好きなんです」 やっとそれだけ声に出す。 「…っ!?」 一瞬、何が起こったのかわからなかった。 「オレだってあなたが好きですよっ。もちろん恋愛感情でっ」 カカシに全身を包まれていた。 「もうっ…俺っ、嬉しくって!」 危機迫る迫力に、疑念など浮かぶ暇もない。 「…あ、痛いですか…?」 抱き締める力が緩まり、鼻先が触れるほど近いカカシの顔が、心配そうに見つめてきた。 「い、いえ。あの…」 近くで顔を見られているのが、こんなにも恥ずかしいものだったとは知らなかった。 カカシを直視できない。 「…しょ、食事はいいんですか…?」 気の聞いた台詞の一つも言えない自分。 「ぶっ。もっと色気のある言葉が聞きたかったなぁ。けど、そんなイルカ先生も可愛いです」 「か、可愛い?誰がですかっ」 真っ赤になりながら反論した。 「だーかーら、イルカ先生が可愛いの!ささっ、ご待望のお食事でも行きましょうか」 カカシが後ろを振り返りがてら、こちらに手を伸ばしてきた。 導かれるようにそれを掴めば、ぎゅっと握り返された。 冷たい手を感じて、それでも反射的に顔がにやけてしまった。 イルカが抵抗しないのをいい事に、カカシは手を繋いだまま、たった今来た道を逆戻りして行った。 すぐにネオンが見えてくる。 繁華街の夜はまだまだ長そうで、その証拠に、キラキラのネオンはその勢いを全く失っていなかった。 「あそこの店です」 一本路地を入った所にある店を、カカシが指差した。 ネオンと隔離された空間に、ひっそりと佇んでいるような店。 店先に掛かる藍染の暖簾には、まるで歴史までも染み込んでいるようだった。 「何度か来た店なんですよ」 ああ…。 自分なんかを、あなたの行き付けのお店に連れて来てくれたんですね。 「ふふっ。少し意外です。カカシ先生がこんなお店をご存じなんて」 「意外ですか?」 そう言って微笑みながら、もう何度目かわからないが、また見つめ合った。 一度繋いだ手は未だ変わらずで、二人の間に緩やかな空気を流している。 そして、あと何歩か歩いたら店に入れるという時。 「カカシさん!」 女性の声での突然の呼び掛けに驚き、二人揃って足を止めた。 驚いたというよりも、現実に戻ったというべきか。 「待ってたのよー!」 なぜか高揚している女性が、暖簾を潜って店から出てきた。 咄嗟にカカシから手を離す。 「あんた誰?」 カカシの冷たい声が響いた。 「前に酒泥で会ったじゃないですか!」 あ…。 この女性、見覚えがある。 アカデミーで、くの一クラスを受け持ってる先生だ。 最近、くの一クラスとは交流が無かったので、一瞬誰だかわからなかった。 そういえば、以前、自分に流れ弾を当てた張本人だ。 「もしかして、上忍中忍交えて飲みに行った時の事、忘れちゃいましたー?あの時は、有機大豆料理について散々語り合ったじゃないですか!アカデミーネタでも盛り上がったし!」 カカシを見ると、何か心当たりがあるようで、難しい顔をしていた。 「あの時の話に出てきたお店って、ここでしょう?よかったー。何日も待った甲斐がありましたよ」 一方的に話している女性に、何も言わないカカシをフォローするために言った。 「偶然ですね。俺は知らなかったけど、この店って有名なんですね」 すると女教師はそれを聞き流したようだった。 そして、飽きる事なく、しきりにカカシに話し掛けている。 なんとなく疎外感を感じて、肩身が狭まる思いがした。 何も言わないカカシが何を考えているのかわからずに、徐々にだが、ここに居てはいけない気もしてきた。 彼女は、『今日の大豆はカカシさんが好きだと言っていた、国産の無農薬大豆で…』、などと機関銃のように話していた。 もう居た堪れなくなって、遠慮がちに言った。 「オレ、今日は帰りますね。…じゃ、失礼します」 「イ、イルカ先生っ」 カカシは、少し情けない顔をしていた。 「カカシさん、また大豆について語りあいましょう!」 酔っているのかもしれないが、女性の声が高ぶっている。 まだ、よく知りもしないカカシの人間関係に、自分が口を出せるわけも無い。 苦笑いにならないように、気を使って微笑んだ。 きっと情けない顔をしている自分を見られないように、さっと振り向くと、喧騒へ向かって歩き出した。 家に帰ればいつもと変わらず静まり返った部屋に一人で、先程の告白合いでさえ、夢のように思えた。 物を食べる気にもならなかったので、シャワーを浴びてすぐにベットに入った。 枕に顔を埋めたら、じわじわ涙が滲んだ。 カカシはあの女性とどんな関係なのだろう。 彼女に出会い頭に『あんた、誰?』と言ったカカシは、すごく冷たい感じがした。 まさか恋人にそんな事は言わないだろうから、一夜限りのとか、そういった関係を持った女性のうちの一人なのだろうか。 今までカカシとは、色恋沙汰の話をあまりしなかったが、カカシの女性関係の派手さは、それなりにわかっていた。 これからは自分も、彼女と同じような扱いを受けるのだろうか。 「…ちょっと、ツライかも…」 想像しただけなのに、目からは涙が零れ落ちた。 |