午後一番であろう野外演習を、アカデミーの広い庭で行なっている集団があった。

その中に身振り手振りを混じえて、指導している大人が一人。

一際目を惹く、【白い】存在。

子供達も輝いて見えるのだが、中心の男とは全く違う輝き方なので識別は瞭然だ。

カカシは日差しを避けた木の影で、その演習をしばらく見学する事にした。

「先生ー、できませーん」

「イルカ先生、わかんないよー」

「イルカ先生!もう一回教えて〜」

変化の術を練習しているようだった。

なんというか、場の空気が自分のアカデミー時代とは大分変わっている。

昔のアカデミーは優秀な忍者をどれだけ早く育てるかという、無言のプレッシャーと殺伐とした雰囲気に満ちていた。

カカシも、将来は上忍になってやると意気込んでいた頃だ。

上忍がどれだけ大きいリスクを背負っているかも知らない無垢な頃。

なんとなく自嘲してしまう。

「イルカ先生!見て!見て!」

「やったー!イルカ先生!こっちも!」

もし、過去のアカデミーに彼のような教師がいたのなら、今の自分は違った人生を送っていたかもしれない。

まあ、考えても詮無い事だが。

彼のような教師…、という言葉で一つ重大な事に気が付いた。

そういえば、彼の名を知らなかった。

イルカというのか。

それだけだなのに、妙に嬉しくなった。

表情が勝手に綻ぶ。

そのまま顔を弛ませてイルカを見ていたら、彼が【白い】という事に疑問が涌いてきた。

自分は黒い。

それは、昔、夢に出てきた怪しい男から、黒い辞書を受け取った事に端を発している。

では、イルカの白さにも、何か由来があるのだろうか。

イルカ自身も、自分が【白い】という事を自覚しているようだし、カカシも無性に気になったので、機会があれば聞いてみようと決心した。



そんな機会など、きっと忘れていも勝手に訪れるもので。

質問すると決めた翌日には、受付でイルカに遭遇できた。

唐突だったが、報告書の提出とほぼ同時に問い掛けた。

「イルカ先生は白い辞書なんて、お持ちじゃないですか?」

自分に、『イルカ』という名を呼ばれた事に驚いているようだった。

「カカシ上忍?」

初回に続き、また奇妙な事を言っている自分を訝しんだのか、黒目がちな瞳で不思議そうに見つめてきた。

カマを掛けたのが、外れたのだろう。

「あ、いえ。人違いでした」

もしイルカが白い辞書を持っていたら、不思議な巡り合わせを信じてみる気になったのだが。

しかし当然の結果に、わかっていた事でも、肩を落とすほど残念だった。






* * * * *






『白い辞書』。

カカシに言われた奇妙な言葉。

遠い昔に聞いたフレーズのような気はするのだが。

これが既視感というものだろうか。

何だかとても気になるので、次の休みに部屋を捜索しようと思った。



よく晴れた日曜日。

久々に布団を干して、シーツも洗濯した。

「さてっ、と」

やる事は一通り済んだので、早速、例の『辞書』とやらを探し始めた。

まずは、古い物がしまってある押し入れから。

最初に出てきたのは授業で使った資料や、幼少時の衣類など。

それらはきちんと段ボール箱に詰められており、小分けにされたダンボールまであった。

だが、一人暮らしの家にそれほど物があるわけもなく、狭い押し入れはほどなく捜索を終えた。

「どこだろ…」

そして、ふと、押し入れと並んだ本棚に意識を引かれた。

四段ある棚の、下から二段目の左隅。

ぎっしりと詰まった本棚に、不自然だが当然のように、本一冊分の隙間があった。

「あ」

見覚えがあった。

たしか、昔誰かに貰った本を、両親に見つからないように隠しておいた場所だ。

「あれ?あの時って二冊貰った気がするんだけどなぁ」

曖昧な記憶を何とか呼び覚まそうと、目を瞑った。

「懐かしいなぁ…。ああ、そうそう、あの後すぐに一冊になったんだ」

同じ男が、黒っぽい辞書の方だけ持っていった。

「じゃ、白い辞書はどこにいったんだ?」

残っているはずの一冊すら、無くなっている。

考えるだけでは何も進展しないので、一日、日が暮れるまで探し続けた。

しかし、結局目的の辞書は全く見つからなかった。



「あれから気になって家の中を大捜索したんですよ」

報告書を持って受付に現れたカカシに、笑いながら愚痴をこぼした。

散々探して何も見つからなかったのに、なぜか心は満ち足りていた。

その余韻で、つい笑顔が洩れる。

「そうですか」

「はい。でも確かに昔、辞書を貰った記憶はあるんですよねぇー」

確認を終えた報告書を渡そうと、カカシを見上げたら、出ている右目をこれ以上ないくらい見開いていた。

「カカシ上忍?」

不審に思って声を掛けた。

「…白い辞書ですか…?」

「はい。あと黒い辞書も貰ったんですが、すぐに失くしてしまって」

口布ではっきりしないが、口をあんぐりと開けているように見えた。

「…持ってるんです」

「何をですか?」

「いえ、半分の黒い辞書を」

「半分?」

カカシが深呼吸をした。

「はい。あれは二つで一つのようなんです」

そう言うと、カカシが和らかく微笑んだ。

「イルカ先生、今夜お時間ありますか」

なぜか、すごく嬉しそうな顔をしたカカシが、声にもそれを滲ませた。

「ええ、ありますよ」

カカシの笑みが伝染して、自分まで笑顔になる。

「やった!えーと、アカデミーは五時半が定時でしたよね…?じゃぁ、その時間に迎えに来ます!」

カカシが微笑むと、必ずというほど自分まで微笑んでしまう。

「はい。お待ちしています」

カカシが急に生き生きし始めた。

突然で誘われたのに、全然嫌な気がしなかった。

よくわからないが、それを楽しみに思っている自分までいた。






* * * * *






運命だろうか。



「俺が思うに、あの辞書は物質的な物ではなくて、精神空間に存在するものではないかと」

先ほど、白い辞書が見つからなかったと言ったイルカに、自分なりの解釈を披露した。

イルカはそれをフムフムと深く頷きながら聞いていた。

「やはり、カカシ上忍は優秀な方なんですね。俺はそんな事、考えも及びませんでしたよ」

言い方によっては厭味に聞こえる言葉だが、イルカがはにかみながら言うと素直に頭に染み渡る。

「イルカ先生、カカシ上忍なんて呼ばないで下さいよ。カカシ、でいいですから」

店に入ってから始終にやけた口元をイルカに見られまいかとドキドキする。

食事をする時に口布を外すのも考え物だ。

「そんな…」

「はい、呼んでみて下さい?」

イルカは恥ずかしそうに俯いた。

「…カカシ…さん…」

「はい」

輪を掛けて口元が弛む。

「…こんな事言ったら失礼かもしれないんですが、初めて会った時に他人のような気がしなかったんですよね」

目尻も下がったままで、だらしないかもしれない。

「イルカ先生、これから仲良くして下さいね」

イルカは、はっとしてこちらを向いた。

「はい。不束者ですが、よろしくお願いします」

少し変わった挨拶だと思った。

「ははは。なんか、お嫁に貰うみたいですね」

イルカの顔が瞬時に真っ赤になった。

口をパクパク動かして、焦っている。

「ちがっ…」

わかっています、と微笑んだ。

そして、今まで誰にも話さなかった自分の事をすんなりと口にした。

「オレって白い物に縁が無くて。だから、『白』っていう存在すら忘れそうになってたんですよ」

唐突に切り出した話だったが、イルカは耳を傾けてくれた。

「あ、俺も『黒』がそうでした。気付いたら周りに黒が無くて」

おかしな事を言うなぁと思った。

だって。

「イルカ先生、肌身離さず黒いもの身につけてるじゃないですか」

イルカが自分の支給服を指差し、これですかと目で聞いてきた。

だが、カカシは首を横に振り、他の場所を指差した。

「違いますよ。カミです。イルカ先生の黒い髪」

イルカは自分の髪に手を伸ばして、毛先を手櫛で梳かした。

そして、あっ、と言った。

「カカシさん、あなた白い物に縁が無くて、存在すら忘れそうだって言いましたよね?」

イルカが何か企んでいるような顔をした。

「言いました」

本当の事だ。

自分の周りは全てが黒に覆われている。

イルカがいれば、そこだけは白が存在するが他には…。

「カミ。あなたの髪も銀色で、白に近いじゃないですか」

あっと思って、髪に手を伸ばした。

そして、お互い見つめあう。

「同じですね」

台詞がが重なった。

次いで、笑い声も重なった。

どちらからともなく自然と顔を近付け、額と額をくっつけた。

兄弟が戯れ合うような仕草。

しかし、大人がするには余りにも子供染みていて、他人が見たら驚くかもしれない。

でも、そんな事は関係ない。



これは運命なのだろうか。












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2002.11.02