あのまま床で眠ったらしく、ノックの音で目が覚めて、寝呆けていたので条件反射で戸を開けてしまった。 「カ、カカシ先生」 ポロシャツにジーンズ、それにスニーカーというカジュアルな服装をしている見慣れないカカシが、イルカ宅の玄関に立っていた。 カカシの髪は濡れていて、いつもよりしんなりして見える。 どこかでシャワーでも浴びてきたのだろうか。 「イルカ先生、そんな格好していたら風邪をひいてしまいます」 首にタオルを掛けてはいるが、上半身は裸のままだった。 そんな自分に、いつもと変わらず気遣う言葉を掛けてくれる。 今は…あまり優しくしないでほしい。 「あの、俺、執拗に付き纏ったりはしませんから」 情けない告白について釘を刺しに来たのかと思った。 だって、他に理由が見当たらない。 「実は、今日やっと、あなたと向き合える立場になりました」 「は?」 会話が噛み合わない。 自分の話など、聞く気もないのか。 だったら何を言っても無駄だ。 早いところ、お引取り願おう。 「申し訳ありません。今日はもう帰って下さい」 声が掠れてしまった。 カカシの顔を見ずに、ドアノブに手を伸ばす。 「今日の夕方、最後の女に会って、きちんと清算してきたんです」 では、あの時に香った香水の匂いは、その時に移ったものだったという事か。 ノブに伸ばした腕を、そっと掴まれた。 弾かれたように、思わずカカシの顔を見上げた。 「やっと、完全なフリーになりました。イルカ先生に真剣なお付き合いを申し込む権利を得たんです」 「なっ…」 カカシの目は真剣で、真っ直ぐこちらを見つめてくる。 正直、カカシのこの目は苦手だった。 「さっきの店で、あなた言ったじゃないですか!男の俺とは、そういう関係になりたくないんでしょう?!」 その目から逃れるために、カカシから顔を背けた。 全てが引き摺られそうになってしまう、その眼光から。 「イルカ先生、それは違います。俺はあなたと、真面目なお付き合いをしたいんです」 掴まれたままだった腕が放され、今度はその両手でイルカの手を包んだ。 この真摯すぎる声と態度は何なのか。 「酒の席で酔っぱらい達に囲まれて言う告白に、そんなに価値があると思いますか」 そして、もう一度繰り返した。 「俺はあなたと、真面目なお付き合いをしたいんです」 カカシが手の甲に唇を押し付けた。 「っ…わぁ…」 驚いたために、変な声が出た。 手に、カカシに、キス、された。 「好きです」 信じてもいいのだろうか。 「ど、どうして…、そんな格好してらっしゃるんですか?」 素直に受け入れる事が出来ずに、気になっていた事から疑ってかかった。 女性の所からの帰りではないのですか?とは、さすがに言えなかった。 「今は職務とは無関係の全くのプライベートなんで、それを強調するために普段着で来ました」 「シャワーはどこで浴びてきたんですか?」 髪が濡れているのは川に落ちたから、とは言うまい。 「もちろん自宅です。…紅が香水くさいと言っていたので」 カカシに口付けられた手が熱を持ち始めた。 「…今言った事、全部信じてもいいですか?」 「信じてください」 カカシがイルカの手を引き、バランスを崩したところへタイミングよく腕を回した。 イルカの素肌とカカシのポロシャツ越しの張りのある体が密着する。 冷えた肌にカカシの体温は心地よかった。 「あったかい…」 無意識に言葉が出た。 「イルカ先生…」 「んっ…、ふっ…」 カカシがイルカの唇に、それを重ねた。 抗議しようと少し口を開いたら、カカシの舌が侵入してきた。 歯列を舐められ、背筋がゾクッとした。 「くっ…ん!…っ」 その隙に、カカシが舌を絡めてきた。 飲みきれなかった二人分の唾液が、イルカの口からだらしなく零れる。 息苦しくなって、カカシの背中を力の入らない拳で何度も叩いた。 「ぷはっ…!…はぁ、はぁ」 ようやくの解放に、呼吸をするだけで精一杯だった。 脳みそがドロドロに溶けてしまったように、頭の芯がぼーっとする。 何も考えられずにいると、カカシの舌がイルカの耳の裏側を這ってきた。 「あっ…」 鼻にかかった高い声が漏れた。 自分のそんな声にうろたえていると、カカシの口付けがどんどん下へ降りていってしまう。 同時にカカシの指までが、イルカの剥き出しの背中や脇腹をを撫で始めた。 「あ、あ、あっ」 全身がゾワゾワして、足元がフラフラする。 「ぁんっ」 カカシがイルカの胸の突起をぺろりと舐めた。 甲高い声が抑えられない。 「…っカカシ、先生っ、やっ…」 尖ったそこを、舌先で捏ね回される。 「やっ…だ!お、女じゃないんですっ、からっ」 その言葉に、カカシの動きがピタリと止んだ。 生理的に溢れた涙を、震える人差し指で拭う。 「ごめんなさい、イルカ先生。いきなり…。…泣かないで」 涙を掬うように、目元に口付けを落とされた。 「女とか男とか関係なく、イルカ先生が好きなんです」 力の入らない腰を支えるために、カカシに回した腕にぎゅっと力を込めた。 「あんな奴等と飲みに行くのは、もう止めて下さい」 「え…」 「以前、俺が目を離した隙に襲われそうになったでしょう」 襲われ…なんて。あれはただ服を脱がされただけで…。 口篭もっていると、カカシが顔を歪めた。 「だから心配なんです。ね、約束して下さい」 そしてまた唇を合わせてきた。 「んっ」 「イルカ先生…、今日泊ってもいいですか?」 カカシが熱っぽい流し目を送ってくる。 泊る…、という事は…。 「と、泊るのは駄目です!それに、俺だって付き合いで飲みに行く事があるんですから、絶対行かないとは約束できません!」 「…そうですか。…でも、飲みに行く事になったら俺が必ず同伴します」 それならば同意しようと口を開いたら、キスされた。 「カカシ先生!」 恥ずかしくて、怒った振りをする。 思いが通じ合ってからまだ間もないうちに、一体何度キスをしただろう。 恋人同士とはこんなに甘く付き合うものなのか。 「あなたが好き過ぎて、些細な事でも嫉妬するんです」 こんな事ばかり言われたら、自分の牙城はすぐに崩れる。 泊っていきますか、と口を滑らせてしまう。 もう限界なほどに甘い危機感を感じたので、急いでカカシを追い出した。 次の日、朝から受付で紅に声を掛けられた。 「イルカ先生、昨日はごめんなさい。お詫びに、今日は奢るから一緒に食事でもしましょう?」 自分の真横にはカカシがいた。 食事なら、カカシの同伴はいらないのだろうか? 本人に聞いてみようと、隣に目を向けた。 「カカシ先生、食事なら…」 「悪いけど、今夜は俺が昨日のお詫びでご馳走する事になってるから、無理」 間髪入れず、そんなセリフが耳をすり抜けた。 そんな自分勝手な、と思った。 でも、すごく幸せだった。 |