ホストに愛された教師






訳あって副業をしている。
そのメイン業務である着ぐるみショーの、本日最後の公演が終わった。
舞台から引っ込んだ途端に現実に戻り、明日出勤する本業の事が頭をよぎった。
そうすると、否応なく呼び起こされる出来事があった。
告白。
先週だ。
人生で初めての。
同い年で、同性の、同僚からだった。
その場では答えられなくて、今は返事を待ってもらっている。
同性に好意を抱いた事はないけれど、告白された時の嫌悪感は特になかった。
本業の教師という仕事柄、偏見や差別的な言動にならないように日頃から注意をしているし、子どもたちにも、そう指導していた。
というのとは別に、自分が恋人いない歴イコール年齢なのがいけなかった。
これが誰かと付き合う最初で最後のチャンスかもしれない、という切実な課題に突き当たってしまったのだ。
そうしたらもう、思考の沼から抜け出せなくなっていた。
教職に就いている自分が、そんな浅い理由で交際を始めてもいいものなのか。
不誠実ではないのか。
相手の事は嫌いではないけれど、恋愛的な意味で好きというわけでもないのに。
でも付き合うという状況を体験してみたい。
でもそんな事。
今日も堂々巡りで答えが出ないまま、スタッフ専用通路から休憩室へ向かった。
ゴールデンウイークの後半で、まだ5月上旬だというのに、もうかなり蒸し暑い。
お客さんの視線もない場所なので、遠慮なくウサギの頭部を脱がせてもらった。
脇に抱えて歩いていく。
「2列目にいた男の子、すごかったね」
イルカより15歳くらい年上の、着ぐるみベテランのママさんが、頭部を装備したまま話しかけてきた。
ママさんの言った男の子は自分も気になっていた。
「めちゃくちゃ興奮してましたね。目をきらきらさせて飛び跳ねて、全身で喜びを表現してくれて」
この仕事をやっていてよかったと思う瞬間だ。
思い出すと頬が緩む。
休憩室に入るために、ドアの横にある装置にセキュリティーカードをかざそうとした時だった。
たっ、たっ、たっ、という、軽やかだけどものすごい勢いの足音が聞こえてきた。
音のほうを向くと、通路の先、来場者も使える喫煙所のほうから、こちらに突進してくる人がいた。
見知らぬ男。
不審者だろうか。
でもあんなに目立つ不審者がいるだろうか。
銀髪で、すらりと背が高く、カジュアルではあるけれど下町の遊園地には不似合いな黒いジャケット姿。
ふいに相手と目が合ってしまって、恐怖を感じた。
そんなこちらの気も知らず、彼は嬉しそうに微笑んだように見えた。
なぜだ。
それでもママさんを守らねばと思い、着ぐるみ頭部を盾にして半身で構えた。
わずかに膝を曲げて重心を落とす。
だがその人はイルカの目の前で、ぴたりと立ち止まった。
ほんの少し遅れて、香水なのか柔軟剤なのか、いい匂いがふわりと流れてくる。
不覚にも、どきっ、としてしまった。
その隙に、あいていた左手を着ぐるみ越しでもわかるほど丁寧に、そっと両手で持ち上げられた。
行動の奇怪さとは裏腹な、あまりにも優雅な仕草に驚いて、びくっと肩が跳ねる。
「あなたに惚れました」
「えっ」
「つやつや、きらきら、きゅるるーんって感じで、すごく好みで」
「えっ…?」
「どうしたらいいのか、よくわからなくて」
わからないのはこちらも同じだ。
翻弄されているというか、混乱させられている。
いい意味か悪い意味かもわからないけれど、心臓がどきどきする。
非常事態だからだろうか。
頬が紅潮してくるのも感じる。
彼が色男だからだろうか。
惚れた、なんて初めて言われたからだろうか。
彼に暴力的な所はない。
でも、意味不明な事を言っているし、鼻息も荒い気がする。
まだ不審者でないという確信は持てない。
「あら。さっき客席にいた超絶イケメンじゃないの」
そう呟いたママさんの声は、今まで聞いた事がないほどに華やいでいた。
「モデルさん? あ、役者さんかしら?」
ママさんから彼へのその問いかけで、ようやく彼の意図を察した。
ほっとして肩の力が抜け、緊急用の防御姿勢を解く。
「そういう事でしたか…。ありがとうございます。えっと…、経験者のかたですか?」
「え? 同性との経験ですか?」
「同性との…? いえ、特に相手方の性別は問わないと思いますが…」
「それでしたら、まあそれなりに…」
歯切れの悪い口調だった。
でも、やはり経験者だった。
「そうですか。俺、バイト募集とか人事方面には関わっていないので、そっちの部署の人に話してみますね」
「えっ?」
「えっ? うちで着ぐるみの仕事がしたいって事じゃなかったですか?」
相手は、ぽかんとしていた。
違ったのだろうか。
「俺のウサギの動きとか、子どもたちとの触れ合いの仕方とか、役者さんの視点で惚れ込んでくださったのかと…」
「あ…」
「それが好みって事じゃ…なかったですか…?」
彼が「しまった」という顔をしたように見えた。
意図を読み違えたのかもしれない。
「すいません、すごいイケメンさんですもんね。わざわざ顔を隠して働く必要はないですよね。失礼しました」
「いえっ、そんなっ、顔は関係なくてですねっ、ウサギさんもイケメンですしっ、そうなんですっ、ここで着ぐるみの仕事がしたいと思いましてっ」
彼が熱っぽい目で訴えてくる。
ウサギさんというのはイルカの事だろうか。
心なしか、握られている着ぐるみの人工毛皮越しの彼の手から、体温が伝わってくる気がした。
自分がイケメンだなんて、今まで一度も思った事がないし、誰かに言われた事もない。
しかもママさんが「超絶イケメン」と評した人物からだなんて。
彼の謙遜にイルカが利用されただけでは、と疑いそうになる。
たしかに彼は、いかにもなイケメンだ。
最近のアイドルや俳優なんて勝負にならないほど、本当に整った顔をしている。
身につけている服も時計も靴も、どれもが高価そうな品ばかりだし。
青年実業家とかだろうか。
本業の教師と副業の着ぐるみで稼いでいるイルカとは、明らかに生きている世界が違う。
そんな人が着ぐるみの仕事をしたいだなんて、ちょっと信じられない。
「カカシくん!」
彼の後ろから、かわいらしい声がした。
彼の眉がぴくりと動き、なぜか口元が歪んだように見えた。
ほっそりとした女性が駆け寄ってくる。
でも彼は振り向きもしない。
それどころか、こちらの腕を、ぐいっと引いてきた。
整った顔が、急に、すぐそばに。
どき、を通り越して、ばき、と心臓が鳴った。
「…ちょっとだけ、待っててもらえますか」
いい声が耳に吹き込まれて、彼の吐息が柔らかく髪と耳元に触れた。
ひぃっ、ともれそうになった弱々しい悲鳴を、のどの奥になんとか押しとどめる。
「探しちゃったよ。タバコじゃなかったの?」
彼女の言葉に、ようやく彼が振り返った。
なかなか離れなかった彼の手も、ようやくイルカから離れた。
やって来た女性は当然のように美人だった。
明るすぎない色で染めた長い髪が、照明を艷やかに反射している。
服装にもアクセサリーにも高級感と上品さがある。
いかにもというくらい、お似合いのカップルだった。
にも関わらず、彼はやけに怠そうに彼女と出口へと向かっていった。
彼の姿が見えなくなった途端、がくっ、と力が抜ける。
足腰の感覚が遠くて、腰砕けの一歩手前のような状態だった。
廊下の壁にもたれて、なんとか体を支える。
緊張していたのだろうか。
不審者まがいの人が現れたから。
「大丈夫?」
「…あ、はい」
「なんか、びっくりしたね」
そう言いながら、ママさんがカードで鍵を開けてくれた。
ママさんに続いて自分もふらふらと休憩室に入る。
「イルカちゃん最後、イケメンにキスされてなかった?」
「えっ…? さ、されてないですよっ」
「あら、そう?」
放心状態で着ぐるみを脱いだ。
ぼーっとしたまま定位置に収納して、いつも通りシャワー室へ直行した。
体が火照っていて、ぬるめの湯を浴びる。
まだくすぐったい気がして、何度も何度も耳をこすった。
じかに触れられていないから、本当にキスじゃない。
というか、キスなんてした事がない。
でも、吐息を介してなら彼と繋がったような。
「あ…」
思わず声が出た。
しまった。
待ってて、と彼に言われたのに惰性でシャワーを浴びていた。
急いで洗って、流して、拭いて、着替えまでを終わらせた。
首にタオルを引っかけて、小走りで廊下に出る。
そこに、彼はいた。
壁に寄りかかっている。
それでさえ絵になるというか、映画の一場面のようだった。
ただ、さっきと比べると、やけに暗い顔をしている。
彼女と何かあったのだろうか。
「すみません、お待たせしました」
声をかけると、ぼんやりしていた彼の瞳に生気が差したように見えた。
というか、あからさまに目を輝かせて、白い肌をほのかに赤らめている。
直前まで影さえ感じた彼の姿が、一瞬で日向にいるみたいになった。
「そんな、全然大丈夫です、1時間でも1日でも1年でも待つつもりだったので」
「え…」
「髪、下ろしてるのも素敵ですね」
「っ…」
言葉に詰まった。
恥ずかしくて、首にかけていたタオルの両端を強く握り込む。
髪くらい結んでから来ればよかった。
「あ。すみません、さっきウサギさんのお名前を伺っていなくて」
「…うみの、といいます。今、担当に確認するので、もう少しお待ちいただいていいですか…」
逃げるように休憩室に戻った。






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2026.03.22