パソコン仕事をしていたマネージャーに事情を話すと、わかりやすく彼女の目の色が変わった。 すぐに面談をする事になり、入館記録に使っているタブレットを取りに行った。 さっと髪を結んでからタブレットを持ち、また廊下に出る。 「入館票の記入をお願いします」 入館時間、電話番号、フルネーム。 タブレットを渡すと、彼は項目に沿ってすいすいと入力していった。 はたけカカシというのか。 「ありがとうございます。お入りください」 タブレットを引き取り、彼に入室を促す。 衝立で仕切られただけではあるけれど、応接室に案内した。 マネージャーがイルカを追い越して奥へと入っていく。 タブレットを戻し、着ぐるみの整備をしに棚のほうへ移ると、マネージャーの声が聞こえてきた。 名刺交換からの自己紹介をしているようだった。 「ホストなの? 現役の?」 「はい。毎年きちんと確定申告をして納税しています」 すべてが腑に落ちる、納得の職業だった。 ちょっと怖い世界との繋がりを連想しそうになったけれど、確定申告や納税という単語にマイナス要素が掻き消される。 「最終学歴は?」 「5年前に火之国大学を卒業しました」 火之国大学といったら、国内で最難関の国立大学じゃないか。 年齢は27歳との事だった。 イルカの4つ上。 5年前の22歳で卒業しているなら、現役で合格しているのだ。 「正社員とアルバイトはどちらを?」 「アルバイトでお願いします」 「ホストの仕事は続けながら?」 「はい。兼業というか、副業というか、そういう形でできればと考えています」 「不勉強で申し訳ないんだけど、ホストって副業OKなの?」 「うちは問題ないです。仕事上で知り得た情報を漏えい、悪用しなければ、ですが」 受け答えがとてもしっかりしている。 これもホストの仕事で培った話術なのだろうか。 「ホストさんに比べると、だいぶ時給が低いと思うけど、大丈夫?」 「それは、はい」 「着ぐるみはニオイがこもるし、暑いし、運動量もあるし、けっこう過酷ですよ。それでも希望します?」 「はい。ぜひやらせてください」 「そうですか。勤務に関して他に何か要望はありますか」 「シフトはうみのさんと同じ日時でお願いします。指導担当もうみのさんで」 自分の名前が出て、ぎくっ、と心臓が鳴った。 他には、とマネージャーが追加で尋ねたけれど、それ以上の要望はないとの事だった。 「イルカちゃーん」 マネージャーに呼ばれて、急いで応接室に顔を出した。 心なしか、足元がふらついている。 「新人くんの教育係、よろしくね。教えるの上手でしょ。イルカ先生」 「いや、そんな、上手というわけでは…」 「またまたー。カカシくん、イルカちゃんのシフトは祝日とほぼ毎週末って感じだからよろしく。休日は来園者が増えるから、ほんと助かる」 「よろしくお願いします」 そう言って彼がマネージャーではなく、イルカに向かって丁寧に頭を下げてきた。 こちらこそ、と慌てて頭を下げる。 「イルカちゃん、カカシくんの身分証のスキャンお願い。終わったら園内を案内してあげて。諸々の使い方も教えておいてね」 「わかりました」 さっそく彼に運転免許証を借り、カラーで両面をスキャンした。 すぐに応接室に戻り、免許証を返す。 「カカシくん、いつから出勤できる?」 「うみのさんの次の出勤日からで」 まったく迷いのない声だった。 言われたこちらのほうが戸惑う。 「話が早くていいね。じゃあ次の土曜からお願いします。いくつか書類があるから印鑑持ってきて」 「はい」 「じゃあ、あとはよろしくね」 機嫌よく立ち上がったマネージャーがイルカの肩を、ぽん、と軽く叩いて応接室を後にした。 任されてしまった。 新人の指導は初めてではないけれど、なんとなく身構えてしまう。 「…ご案内します」 彼に声をかけ、2人で休憩室を出た。 着ぐるみ担当ならば、まずは最初に覚えたほうがいい屋外ステージの裏側へと向かった。 「うみのさんって、イルカ先生なんですか」 「あ…。えっと…」 隠す事でもないので、自分のフルネームと職業、本業が休みの日に働いている事を彼に伝えた。 「オレも呼んでいいですか、イルカ先生って」 「…すみません。園内で呼ばれるのはあまり…。学校じゃないので…」 「あ、そうですよね。すみません。じゃあ、イルカさんって呼びますね」 驚いて彼を凝視した。 距離の詰め方が急じゃないだろうか。 わざわざ呼び方の断りを入れてくる所は礼儀正しいけれど。 接客業の頂点みたいな仕事をしている人だからだろうか。 「イルカさんも着ぐるみは副業なんですね」 「あ…、はい。そうなんです。はたけさんのお仕事は土日祝日はお休みなん…」 「カカシって呼んでください」 「…え…」 だから、急じゃないか。 マネージャーは彼をすでにそう呼んでいたけれど。 生徒ならまだしも、年上のイケメン相手に。 違和感が半端ない。 いいのだろうか。 いや、よくないだろう。 でも御本人からの要望で。 決まりがつかなくて、試しに頭の中で彼を「カカシさん」と呼んでみた。 想像の中でこちらを向いた彼が、当然ながらものすごくいい男で、眩しいほどの笑顔を見せていた。 現実でもないのに顔が熱くなる。 「ね?」 ちょっと困ったみたいな表情と、どこか甘えるような声で確認された。 ホストに貢ぐ人の気持ちがわかるかもしれない。 カカシみたいな人にそんな言い方をされたら、なんでも無条件で受け入れてしまいそう。 自分の常識が通用しないし、判断力がどこかへ飛んでしまう。 同性の自分でさえそうなのだから、女性だったらどんなに。 なんと答えたらいいかわからなくて、はぁ、と曖昧な返事をした。 「オレの仕事は、出勤日も出勤時間もわりと自由に決められるんですよ」 そういえば、土日祝日は休みか、とカカシに質問していた。 質問した側が忘れかけていたのに、流したり誤魔化したりせず、丁寧に答えてくれて。 自分は特別優しくされているのでは、と勘違いしそうになる。 「イルカさんは平日は先生で、祝日と週末はほとんど着ぐるみって、ちゃんと休めてるんですか?」 「あー…、それは…」 それは最近になってきちんと考えている事だった。 副業を続ける理由も、もうなくなったようなものだし。 「そろそろ、ちゃんと休もうかなと思っています」 「まだ若いから体力はあるだろうけど、休む事も大切ですからね」 「そうですね…。あ、ここ狭いので気をつけてください」 もともと半地下になっていて薄暗い場所に入った。 ここは足元が悪い上に、人がすれ違えないくらいの幅しかない部分がある。 そのせいか、心なしかカカシとの距離が近づいていた。 あのいい匂いが、またふわりと香ってくる。 どきどきするから、あまり距離を詰めてこないでほしい。 「着ぐるみだと視野が狭くなるので、出口まで何歩か数えておくといいですよ」 「…はい…」 緊張しているのか、カカシが色っぽくかすれた相槌を返してきた。 どきどきを紛らわすために仕事の話をしているのに、そんな声を出されたら余計にどきどきするじゃないか。 心なしか耳の後ろや襟足のあたりに視線を感じて、さらに体温が上がってしまう。 「そこが出口です」 「えっ…、そんな急に」 「すぐに慣れますよ。ここから階段なので気をつけてください。5段です」 階段を上がって表舞台に出ると、カカシが眩しそうに目を細めた。 「狭い所、苦手でしたか?」 「いえ、得意なほうかもしれません。イルカさんとなら、まだ何時間でもいられそうだったので」 イルカさんとなら。 イルカさんとなら。 イルカさんとなら。 それが頭の中で何度も繰り返されて、まともな返事ができなくなる。 ホストってみんな、こんなに人たらしなのだろうか。 カカシにとっては日常会話だとしても、自分には刺激が強すぎる。 「なんていうか、狭くて暗い道って、けっこう楽しくて。せっかくイルカさんが説明してくれてるのに、すみません」 「いえ、それなら着ぐるみでも問題ないかもしれませんね」 答えやすい話題に変わって、内心ほっとした。 そのあとは舞台の床に貼ってある印の意味を教えたり、簡単に動きの順序を伝えたり。 ひと通り済ませて次のエリアへ移ろうと、表舞台の端にある外階段へ向かった。 「次はゲームコーナーに行きましょう」 「え、裏の通路から行かないんですか?」 「あ、はい。表からのほうが近いので」 カカシの口調は少し残念そうだった。 狭い所がよほど得意なのだろう。 それからは園内を隅々まで案内した。 時折カカシがぼんやりしていたり、目がバキバキに開いていたりして、ちょっと心配になった。 彼なりの覚え方や、集中の仕方があるのかもしれない。 移動中に着ぐるみ以外の業務なども説明して、初日の指導を終えてスタッフルームへと戻った。 「イルカさんの教え方が見事すぎて、何度も見惚れてしまいました」 「俺じゃなくても、みなさんお上手だと思いますよ」 「でも、声も口調もすごく心地よくて、ぽーっとなっては我に返るっていうのを繰り返してました」 「最初は覚える事が多くて大変ですよね」 「はい。でも、イルカさんの一言一句、一挙手一投足は、ちゃんと頭に入っています。これから体にも沁み込ませます」 ちょっと怖いくらいのモチベーションの高さだ。 今時、学生でもこんなに熱心な人はいない。 「頑張ってください」 心からそう言いながら、装置にセキュリティーカードをかざした。 カカシがイルカの後任として育ってくれたら、とても助かる。 「オレはイルカさんと一緒じゃないと、ここに出入りできないんですよね」 カカシがにこにこと、なぜか嬉しそうな声を出した。 自由に出入りできない事が嬉しいのだろうか。 そうだとしたら、カカシ用のカードが出来上がるのは残念な事なのだろうか。 「すぐに用意してくれると思いますよ。はたけさんのセキュリティーカードも」 「カカシって呼んでください」 うっ…、と口ごもった。 あまり困らせないでほしい。 本当の事を言うと、今日会ったばかりの年上相手に、馴れ馴れしく接する事をよしとするような経験は積んでこなかったのだ。 「…すいません。失礼なんじゃないかと…思ってしまって…」 「全然まったく! 遠慮はいりませんから! ね、まずは一度呼んでみてください。練習で」 「…か…、カカシ、さん…」 「うん。いいね。よろしくお願いします」 手放しに褒められて、かぁー、と頬が熱くなる。 返ってきた笑顔は、思ったよりも眩しくはなかった。 ふわっとしていて穏やかで、心がぬくもるような笑顔だった。 想像していたのとは違ったけれど、これはこれで、なんだか心を掴まれてしまいそうだった。 |