こういう素に見える表情も、誰にでも見せているのだろうか。 むしろお客さんには積極的に見せているのだろうか。 見せられた側は自分だけが特別に与えられていると勘違いして、一層カカシにのめり込んでしまうのではないだろうか。 「どんな夢なのか…、伺っても…?」 カカシに見惚れたまま、ぽろりと尋ねていた。 言ったそばから、はぐらかされてしまうだろうな、と思った。 匂わせて気を持たせて、会う回数を増やす事がカカシの仕事なのだから。 「…すみません。不躾でしたね」 カカシにはぐらかされる前に、自分から一線を引いた。 目を伏せて唇を噛む。 わかっているのだけど、なぜだか涙が出そうだった。 「とんでもない。オレの個人的な事に興味を持ってもらえて嬉しいです」 言葉どおりの嬉しそうな声に顔を上げる。 カカシはやはりどこかはにかんだような、こちらの胸の奥がむずむずするような顔をしていた。 「ちょっと恥ずかしいんですけど…。オレね、犬をたくさん飼って、その犬たちと住める大きな家を建てたら隠居して、のんびり暮らしたくて」 全然恥ずかしがるような事じゃない。 ただ、意外だった。 犬と家が夢だなんて、職業の華やかさと比べると堅実な感じがする。 それに、カカシの年齢で隠居という言葉が出てきたのも驚いた。 「そのために20代のうちにがっつり稼いで、なに不自由なく暮らせる資産を築こうと思って。一般企業の平均年収と比べると、ホストは頑張れば1年目から2桁違ったので」 夢というより、かなりしっかりした人生設計という感じだった。 仕事選びにも、きちんと理由があって。 自分とは生きているステージがまったく違う。 この年で初めて告白されて悩んでいるなんて、そっちのほうがよっぽど恥ずかしいし、情けない。 「イルカさんはひとりになってから、経済的に大変じゃなかったですか?」 「あ…。はい。大変でした。いつもぎりぎりで…」 カカシと違って、人生設計なんて教師になる事くらいしか考えていなかった。 あとはせいぜい、お世話になった人に恩返しをする、と決めたくらいで。 「奨学金ですか?」 「はい。給付型の。大学までの学費と生活費の大体はなんとか。高校からはバイトもしたんですけど」 親のいない子どもが、大学までの学費と生活費を給付型で支援してもらえる機関は、国内に数か所しかない。 このあたりの地域だと1か所だけで、当然それなりの成績と出席を求められる。 そして、そこはイルカの母校であり、現在の職場でもある。 「オレは素行が悪くて、給付型は義務教育の学費までしか出なくて。けどもしかして、イルカさんの行ってた学校って木の葉学院ですか…?」 「そうです。よくご存じで。今も教師としてお世話になっています」 「そうでしたか! オレも中学までは木の葉に通っていたんです」 「えっ! そうなんですか…!」 あまりの事に声が上擦った。 まさかカカシと母校が同じだったなんて。 ますます親近感が湧いてくる。 「高校からは、働きながらでも通いやすい芸能コースのある学校に移っちゃったんですけど」 「そうなんですね。あ、そうだ。来月、文化祭があるので、もしご都合よかったら来てみませんか」 鞄から文化祭の入場券を出して、カカシに渡した。 最近は防犯の関係で、卒業生でも券がないと入れない事になっている。 「行きます。必ず。イルカさんに会えるなら」 イルカに会いたいから行く、と聞こえない事もなくて、きゅ、と唇を引き結んだ。 この人は誰に対してもこういう言葉を使うのだ。 自分だけが特別だと思うな、と言い聞かせる。 カカシは入場券を賞状でも受け取るみたいに恭しく受け取った。 「カカシさんはいつから通われてたんですか? 俺は小学校3年生からだったんですけど」 過剰な自意識から気を逸らすために、子どもの頃の話を続けた。 「小1からです。でもイルカさんが入った時オレは中1で、校舎が違うから会ってはいないのかな。あの頃は部活も学校行事も仕事でほぼ参加しなかったから、下級生と関わる機会もなくて」 「もしかして、寮ですれ違ってないですかね?」 「寮には入らなかったんです。学生のあいだは父の残した家で暮らしていて。家政夫さんに手伝ってもらいながら、なんとかひとりで」 「えっ? 幼稚園生の時からですか?」 「はい」 イルカより、よっぽど早いじゃないか。 家事代行者を雇える経済力があったという要素は大きいかもしれないけれど、ひとりで生きる大変さを知っているから、なおさら尊敬する。 「すごいですね…」 「子どもだし、やっぱり大変は大変でしたよ。大人だってひとりで暮らすのは大変なんだから」 カカシの言葉には実感と、ひとりで暮らす全員に寄り添うような優しさが滲んでいた。 それは、イルカも含めて。 「そうですよね…。俺も最初は、日々の生活を成り立たせるのが精一杯で。頼れる人もいるような、いないようなで。精神的にも、ひとりでなんとかしなきゃって感じで…」 いつもなら黙っている事も、今日はブレーキがかからなかった。 たぶんそれは、自分と境遇の近いカカシだから。 「そうそう。具合が悪い時とかキツいよね」 「そうなんですよね!」 興奮して、つい声が大きくなってしまった。 心なしか、頬も少し熱い。 「なんか…こんなに自分の事をオープンに話せるのって初めてかもしれません」 「オレもです。今日会ったばかりなのに、イルカさんには話しやすくて。共通点が多いからかな。夢の話を誰かにしたのも初めてだし」 嬉しい。 とにかく嬉しい。 それに、とてもすっきりしていた。 清々しいほどに。 なんだろう。 この晴れやかな気持ちは。 普段は閉ざされている重たい心の扉が、風に揺れる暖簾くらいの軽やかさで開放されたような。 「オレたち、苦労しましたね」 カカシがしみじみと呟いた。 その横顔は朗らかで、笑っているようにも見えた。 「今までひとりで、本当によくがんばってきましたね」 そう続けたカカシは、イルカよりもよほど長いあいだ苦労しているはずなのに。 おれたち、と。 イルカも仲間に入れてくれた。 ひとりだったけど、ひとりじゃなかったのかもしれない。 たしかにとても苦労した。 とても頑張ってきた。 惨めな思いもたくさんしてきた。 でも、優しくしてくれた人や親切な人にもたくさん出会った。 そう思ったら、急だった。 急に何かの堰が決壊したみたいに、涙がぼろぼろと溢れては零れ落ちていく。 全然止まらなくて、その場に立ち尽くす。 どうしてだ。 鼻水もずるずるに出てくる。 「イルカさん…? えっ…。えっ、えっ、どうしよ…、どうしたの…?」 戸惑ったカカシの声がして、顔を覗き込まれた。 払っても払っても溢れてくる。 こすってもこすっても乾かない。 ぅぐ、ぇぐ、と嗚咽まで止まらなくなる。 すいません、というカカシの声が聞こえた。 言い終わるか終わらない所で、ぎゅっ。 ぎゅぎゅー、っと。 かなり強めに抱きしめられた。 戸惑ったのは一瞬だった。 全身を包み込むようなあたたかさに、途端に強張りが解けた。 また優しくしてくれる人に出会った。 嬉しい。 どんどん涙が出てくる。 でも、なんで泣いているのかわからない。 カカシは小声で、すいません、すいません、と繰り返している。 どうして謝るのだろう。 謝らなければいけないのはイルカのほうなのに。 そう思っているあいだも腕の力がじわじわと強まってくる。 申し訳ないのに、振りほどけない。 どうか、どうかもう少しだけ、このままでいさせてほしい。 絶対的な安心感に、少しずつ呼吸が落ち着いてくるのが自分でもわかった。 そうすると冷静さも徐々に戻ってきて、さすがにいつまでも甘えてはいられないと思えてきた。 自ら離れようとすると、カカシも腕をそっと外してくれた。 「…すいません…」 「いえ…。こちらこそ…すいません…。落ち着きました…?」 「はい…。ありがとうございます…。お恥ずかしい所をお見せして…すみません…」 「とんでもない。もう、大丈夫ですか…?」 「はい。もう大丈夫です。すみません」 ひゅー。 ひやかすような口笛が聞こえた。 今になって、ここは駅に繋がる道で、当然ながら人目がある事を思い出した。 抱擁は解けているけれど、それに準じた接近度。 慌ててカカシから距離を取った。 深々と頭を下げる。 きれいな女性とカカシならドラマのようで素敵でも、野暮ったいイルカでは迷惑でしかない。 カカシに恥をかかせてしまった。 こんな恋愛偏差値ゼロの自分が、その対極にいるカカシの品位を、これ以上おとしめるわけにはいかない。 「申し訳ありませんでした…」 言いながら1歩離れ、さらにすみませんと謝りながら、また1歩離れる。 今日初めて会った人に泣き顔を見せてしまった。 胸を貸してくれるままに縋ってしまった。 このまま走り去ってしまいたい。 「…ちょっと。イルカさん、帰ろうとしてませんか。喫茶店、一緒に行ってくれるんでしょ」 手首を掴まれた。 逃げようとしている事に気づかれてしまった。 「俺といるの…嫌じゃないですか」 「嫌なわけないでしょ。むしろ一緒にいたいです」 ああ、まただ。 ホストがゲストを喜ばせるための言葉なのに、胸がぎゅっとなる。 いちいち引っかかっていてどうする。 これはカカシの個性で。 誰にでも使う言い回しで。 特別な意味はないのだ。 もう何度目かわからないくらい改めて言い聞かせてみるけれど、胸の違和感は消えてくれない。 ありがたいし、嬉しいはずの言葉なのに。 カカシに言われると、よい気持ちのあとにつらい気持ちが込み上げてくる。 なぜなのだろう。 自分の気持ちなのに、自分でもよくわからない。 わからないまま、口元にだけは懸命に笑みを浮かべた。 「そうですか。カカシさんがいいなら行きましょう」 再びカカシと並んで歩き出す。 カカシはきっと、かなりレベルの高いホストなのだろう。 ホストという職業の人と会うのはカカシが初めてだけど、そのくらいは自分にもわかる。 「…イルカさんはオレといるの、嫌じゃないですか」 「嫌じゃないですよ」 「ほんとに? ホストなんかと一緒にいたくないとか思ってない?」 「思ってないです」 他のホストは知らないけれど、今のところカカシと一緒にいて不愉快な思いはしていない。 車道の向こう側に、1、2階に喫茶店が入る縦長のビルが見えてきた。 そこを指差す。 「あそこです。けっこう混んでそうですね」 この距離でも、ガラス張りの店内にはそれなりに人がいた。 2人で座れるだろうか。 「席がなかったら、あっちのファミレスでもいいですか?」 「はい。イルカさんがいれば、オレはどこでも」 ぐっ、とのどが詰まった。 頬に熱がこもりそうになる。 こういう物言いに、早く慣れないと。 |