結局、喫茶店には2人で座れる空席がなくて入れなかった。 数軒先にあるファミリーレストランに行くと、無事にテーブル席に案内された。 2人ともドリンクバーだけを注文する。 カカシはホットコーヒーにしたようだった。 カップを持って席に戻り、向かい合って座る。 若くして高給取りになった人は、こういうお店に来たりするのだろうか。 「ファミレスって久々に来ました」 久々、という事は来た事はあるようだ。 まったくの別世界にいる人ではなくて、少しほっとした。 自分もファミレスには滅多に来ないし。 「イルカさんは何にしたんですか?」 「ほうじ茶です」 「コーヒーはあまり飲まないですか?」 「はい。夜は。できるだけカフェインを摂らないようにしていて」 「ちゃんとしてますね」 「いえ…。夜にカフェインを摂ると眠れなくなっちゃうので…」 「なにそれ…。かわいすぎる…」 口元を押さえたカカシが、色白の頬をほんとりと染めて、照れたように目を伏せた。 どういう事? かわいいと言われて恥ずかしいのはこっちのほうなのに。 どうしてカカシが恥ずかしがるのだ。 意味がわからない。 ふいにカカシの手が外れ、隠れていた口元が見えた。 何かをこらえるように、もぞもぞと動いている。 そういう事か。 「笑わないでくださいよ」 「だって、かわいいから」 「馬鹿にしてるだけじゃないですか」 「いえ、まったく、そんな。ほんとにかわいいからで。ご気分を害されたのならすみません」 頬が熱い。 あたたかい飲みものにしたのは失敗だったかもしれない。 「…聞きたい事ってなんですか」 早くカカシの用事を済ませてしまいたくて、さっそく切り出した。 そうすると、意外と言ったら失礼だけど、まともな質問ばかりが飛んできた。 舞台上での動きや注意点、難しい部分、イルカが新人の頃に大変だった事など。 イルカに対するカカシの態度から、つい忘れてしまいそうになる。 カカシの明晰さや学歴の高さを。 小さい頃から苦労をしていて、しっかりしている事を。 「ありがとうございます。すごく参考になりました」 「このくらいでしたら遠慮なく」 「ありがとうございます。よろしくお願いします」 カカシが、ぺこりと頭を下げてきた。 こちらもお辞儀を返すと、カカシが窺うような上目遣いでじりじりと顔を上げた。 「…イルカさんは何かお困りの事とか、悩んでいる事とかあったりしませんか…?」 いえ特には、と反射的に答えそうになった吐息を、咄嗟に飲み込んだ。 悩み事なら、ある。 しかも、相談相手としてカカシが適任と思えるような悩みが。 「オレに何かできる事があれば、お力になりたくて…。さっき泣いてたから…」 「あれは…、忘れてください…」 「イルカさん頑張りすぎてないか心配で…。胸くらいならいつでもお貸ししますし、気がかりな事があれば話すだけでもスッキリすると思うので」 「あ…」 カカシに胸を借りる。 カカシに話を聞いてもらう。 それがどんな意味を持つのか。 今更ながらに思い当たって、急に血の気が引いていく。 とんでもない事をしてしまったかもしれない。 「…ホストさんのハグ料金って高いですよね…。相談料金も…」 どうしよう。 まったく相場がわからない。 ハグ1回で1万円を超えていたりするのだろうか。 相談は10分で1万円とかだろうか。 いや、もっと高い可能性は充分にある。 慌てて財布の中身を確認した。 いつもながら手持ちは多くない。 電子マネーの残高も思い浮かべる。 それほど余裕はない。 相談はまだしていないから、このまましないという選択肢があるけれど、ハグはもうしてしまった。 いざとなったらクレジットカードで払えたりするのだろうか。 絶望的な気持ちになってカカシを見ると、なぜかカカシのほうが青白い顔をしていた。 今にも泣きそうな顔というか。 「オレもう…ホスト辞めようかな…」 「え…」 カカシの声は震えていた。 そんな、急にどうしたのだろう。 「違うんです…。すいません…。イルカさんからお金を取ろうとしているわけでは…決してなくて…」 カカシが目元をこすった。 本当に泣いているのだろうか。 「すみません。ちょっと感情的になってしまいました。イルカさんには何があっても、未来永劫1円たりとも請求しないので安心してください」 カカシが力なく笑った。 未来永劫って。 やけに壮大な話になっている。 「バイト先の先輩だし…、親しいお付き合いが末永くできたらいいなと思っているので…。お悩みがあれば、ほんとになんでも言ってください」 悩みならあるのだ。 まだ誰にも相談していない悩みが。 「もしかして、恋のお悩みだったり…?」 図星の、ど真ん中だった。 ホストというのは、人の顔色を見てそこまでわかるのか。 カカシとはレベルが違いすぎて、深く俯いた。 情けないというか、恥ずかしいというか。 「今…付き合ってる人の事ですか…?」 カカシに問われ、俯いたまま力なく首を横に振った。 どこから打ち明けたらいいのだろう。 「…俺…まだ誰とも付き合った事がなくて…。年齢イコール恋人いない歴なんですけど…」 「そうでしたか」 カカシの声は仏さまみたいな包容力と朗らかさに満ちていた。 よかった。 馬鹿にされる事も、笑われる事もなかった。 それでも、ぼそぼそとした小さな声しか出せそうにない。 「この前…人生で初めて告白というものをされまして…。返事をどうしようか迷っていて…」 おそるおそる顔を上げた。 カカシは思いのほか深刻な顔をしていた。 小学校低学年の計算問題を解くくらいの、もっと鷹揚に構えているかと思ったのに。 「…迷う理由があるんですか。相手が既婚者だったとか、未成年だったとか」 「実は…相手が…同性で…」 「同性…ですか」 「はい…。同僚で…同期で…同い年でもあるんですが…」 「…気持ち悪いとか、思いましたか…?」 「それはなかったんですけど…」 なぜかカカシが安心したように、ふっと肩の力を抜いたように見えた。 男女間ではない恋愛相談でも、それほど厄介な部類ではないと判断されたのだろうか。 「授業ではジェンダーに関して扱う事もあって、生徒たちには偏見を持たないようにと教えていて…。それなのに断ったら自分は矛盾していないか、って思ったりしてしまって…」 「それは好みの問題じゃないですか。どんな性別でも、好ましい相手なら付き合えるだろうし、そうでなければ断っても偏見にはならないだろうし」 「あ…。そう…ですよね」 カカシの言う通りだ。 恋愛巧者の言葉は的確で、すっと頭に入ってくる。 男女間であったとしても、上手くいかない事はあるだろう。 好みでなければ断っても構わないのだろう。 でも。 「でも…誰かに告白される事なんて…人生でもう二度とないかもしれないから…付き合うっていう状況を経験してみたいという気持ちもあって…」 「イルカさんなら告白が人生でもう二度とないって事はないです」 やけに力強く断言された。 本当だろうか。 根拠は何もないのに、カカシの経験から出る意見は心強くて、簡単に信じてしまいそうになる。 「それより、お相手の事はイルカさん的にはアリなんですか」 「それは…よくわからなくて…。同僚以上でも以下でもないというか…」 「無理はしなくてもいいんじゃないでしょうか。断ってもいいし、付き合ってみても…いいと思います。その人と永遠を誓うわけでもないですし」 どこか感情を押しころすようなカカシの口調と、選択肢を提示してくれるのに押しつけない冷静な言葉には、かなりの説得力があった。 おかげで、色々な事が腹に落ちてくる。 「そいつ…、どんな男なんですか。オレより顔がよかったりしますか。背は? オレより高い?」 カカシが矢継ぎ早に尋ねてきた。 容姿でカカシに勝てる人なんて、なかなかいないだろう。 イルカに告白してくれた彼も含めて。 「おや、カカシじゃないか」 急にカカシにかけられた声のほうを向くと、金髪の美女が立っていた。 かっちりした紺のパンツスーツ姿。 いかにも仕事ができそうなキャリアウーマンという感じだった。 「っ…、は? 社長っ? なんでこんな所に…」 「そんな呼び方するんじゃないよっ、どこで誰が聞いてるかわかったもんじゃないんだっ」 社長と呼ばれた美女が焦ったように辺りを見回した。 カカシのお客さんだろうか。 それとも元カノとかだろうか。 「またサボってるんですか。シズネさんに連絡します。綱手様の位置情報」 カカシがスマホを出した。 それを社長が電光石火の速さで奪い取った。 「ちょっ…!」 「返してほしければ、あたしの事はあと1時間は黙ってな」 「わかりましたよっ、返してくださいっ、これから仕事なんですっ」 そうだったのか。 本業の前にこんなくだらない話に付き合わせてしまって申し訳なかった。 「お前のビジュアルなら今からでも売り出せるぞ。こっちの業界に戻ってこないか」 社長が、じゃれ合うようにカカシの手をひらひらと躱しながら、真面目な顔と声で話した。 「そっちに未練はありません。返してください」 「モデルも女優もきれいどころがわんさかいるぞ」 「興味ありません。返してください」 「強がるな。あれだけ遊んでた男が」 「なっ…、みんなパトロンですっ、スマホ返してくださいっ」 「女たちはそうは思ってなかっただろ」 相手の女性たちはカカシと恋人関係のつもりだったのだろう。 若く美しい青年と過ごしたい女性はいくらでもいそうだ。 それに、モデルさんや俳優さんたちとカカシなら、さぞかしお似合いのカップルだったに違いない。 自分が今、カカシと一緒にいる事が、急に場違いに思えてきた。 カカシも美人社長も華やかで、明るい舞台上にいる人たちで、自分だけが薄暗い観客席にいる感じがする。 再び財布を取り出した。 折り目のついた千円札をテーブルに置いて立ち上がる。 年齢も年収もカカシのほうが上だけど、荒波では自分のほうが先輩だから、自分が2人分のドリンク代を負担してもおかしくはないだろう。 「すいません。俺、帰りますね」 「えっ、イルカさんっ」 これから仕事だというカカシを解放するには、ちょうどよいタイミングだろう。 「お前が女以外を連れてるなんて珍しいじゃないか」 「なに言ってるんですかっ、そんな事ないでしょうっ」 「いや、初めて見た。さっきから何をそんなに必死になってるんだ」 旧知らしい2人に軽く会釈をして出口へと向かう。 仕事かプライベートかはわからないけれど、カカシが女性としか行動しないというのは納得できる気がした。 今日も荒波遊園で女性と一緒だった。 顧客かパトロンか交際相手か、そのいずれかなのだろう。 カカシが自分のような相手に時間を割く事は、基本的にはないのだ。 もう二度とないかもしれない。 いや、高いお金を払えば可能性はあるのだろうけれど。 「イルカさんっ、違うんですっ」 「すいません、これからお仕事だったの知らなくて。ご迷惑になったら申し訳ないので、お先に失礼します」 「あ、いえ、言ってなくてすいませんっ、迷惑とかではまったくなくてですねっ、また土曜日にっ」 「はい。よろしくお願いします。お疲れ様でした」 もう少し話したかったなんて名残惜しさが漂わないように、できるだけさっぱりと挨拶をしてお店をあとにした。 |