並木道の街路樹が太陽を不規則に遮って、目がちかちかする。

大通りには高層ビルが立ち並び、少し奥へ入るとひっそりとお洒落な店が連立する都会のど真ん中。

今日は休日という事もあって若者達で溢れている。

この街は洋服を奇抜にアレンジしている人が多くて、テレビや雑誌でもよく紹介されている。

お菓子を作る上で流行は大切だが、イルカは普段、この辺りの地区を敬遠していた。

「やっぱり日曜は渋滞してましたね〜。あ、イルカ先生、車酔いとか大丈夫ですか?」

渋滞が楽しいと言わんばかりのカカシの口調が不思議だった。

カカシは渋滞が好きなのだろうか。

イルカは別に車酔いはしていなかったが、カカシがこの辺の店に連れて行こうとしている事が気重だった。

「もしかして、もう遅かったですか…?」

丁度赤信号で停まった時に、こちらを向いたカカシの顔が心配そうに曇っていた。

重い気持ちが顔に出てしまったようだ。

「いえっ!車酔い、した事ないです!免許は持ってるんですが車を持っていないので、余り車には乗りませんけど」

「じゃぁ、今度この車運転してみます?」

「えっ、いえっ、こ、こんな高そうな車、ぶつけたら大変なのでっ」

「はははっ。イルカ先生は可愛いなぁ。イルカ先生にだったら、ぶつけられたって文句言えないのに」

こっちは本気で焦ったのに、またカカシにからかわれた。

ちょっと頭に来たので、拗ねているのをカカシに見られないように、ぷいっと窓側を向いた。

すると反対側の歩道に、黒い服を着て怖い化粧をした女の子数人が歩いているのを見て、悲鳴を上げそうになった。

世間ではビジュアル系と呼ばれているが、イルカはそういう格好をした人が苦手だった。

人を見掛けで判断するのは良くないが、どうしても恐怖心が先立ってしまうのだ。

それがこの辺を敬遠してしまう理由。

「もうすぐ着きますからね」

その声にカカシの方へ向き直ると、急に車内が暗くなり、街路樹の隙間から零れる光すら感じられない場所へ入った。

暗くて狭い道をらせん状に下っているのがわかり、地下の駐車場に入ったのだと気付いた。

「イルカ先生にも気に入ってもらえるといいんですが」

そしてなぜか、薄暗い所で見るカカシの横顔に、胸がドキリと鳴った。

「うちのレストランで働いてた者が独立して出した店なんです。建て物が大通りに面してるんで、ちょっと目立ちますけど」

都会の大通りに面しているビルで店を出せるなんて、かなり優秀な料理人なのだろう。

カカシに対する劣等感がむくむくと込み上げて来たが、嬉しそうにしていたカカシの笑顔を思い出して首を左右に振った。

こんな一等地で店を出そうなんて大それた事は考えていないが、イルカだっていつか独立したいと思っている。

折角の機会なのだから、色々な物を見学して、色々な事を吸収していこう。

「イルカ先生…、何か喋って下さいよ…。からかったのは謝りますから。それとも、オレ他に何か失礼な事言いましたか…?」

大通りで目立つ店ってどんなだろうと思いを膨らませていた所で、弱々しいカカシの声が聞こえた。

さっき、からかわれたのは確かに不愉快だったが、その腹癒せで黙っていたわけではない。

ただ何となく言葉を返すほどの事は言っていないだろうと思って、カカシの話を聞いていただけだ。

「…すみません。この辺に来るのが久しぶりだったので、つい考え事をしてしまって」

「…この辺に、何か思い出でもあるんですか?」

カカシは弱々しい声のままで訊ねた。

「いえ…別に…。街並みとか、人の流れとか、漠然と考えていただけで…」

「そうですか」

そう言ってふわりと笑ったカカシが、何の前触れもなくシートベルトを外した。

流れるような動作で、イルカの座る助手席のシートに右腕を掛け、やや覆い被さってくるように体を傾げた。

何が始まるんだろうと変にどきどきしていると、ギアをリアに入れて車を後退させる時のピー、ピー、という音がしてきた。

バックで車庫入れをしているだけだった。

白線内にすんなりと納まった車のエンジンが切られると、不自然なほど車内が静かになる。

イルカの耳にどくどくと届く早い鼓動が、カカシにも聞こえるのではないかと緊張した。

何事もなくカカシが車から降りたので、イルカもそれに倣った。

慣れた足取りでエレベーターホールへ向かうカカシの後に着いて歩く。

イルカは身分の違う人と並んで歩く事に躊躇いを感じて、ついカカシの三歩後ろを歩いていた。

三代目と歩く時もそうだったから、もう習慣として身についているものなのだろう。

エレベーターホールの自動ドアが見えた所で、不意にカカシが振り返った。

「オレってそんなに近付き難いですか?もっと傍に来て下さいよ、イルカ先生」

カカシが困った顔で笑った。

そんな風に笑ってほしくないと思って、たった三歩の距離でも駆け寄った。

追い着くと、カカシは満足そうな顔をしてイルカの頭をよしよしと撫でた。







* * * * *







連れて行かれたのは、真っ白な外壁が目に眩しい細長いビルの一階。

ピカピカのガラスケースがあり、テイクアウト用の商品が何種類も並んでいる。

軽く覗いただけでも目移りする物ばかり。

二階はパーラーになっているようで、テイクアウトとは別のメニューが楽しめるらしい。

入口の横にそう書いてあった。

それから、その注意書きにはもう一つ重要な事が明記されていた。

『男性のみのお客様にはご入店をお断りしております。女性同伴、もしくは女性のみでお越し下さい』

なぜだかわからないが、時々こういう店がある。

店の方針だから仕方ないが、まるでゴール直前にリタイヤしなければならないマラソンランナーのような気分になる。

きっとカカシはその方針を知らずに、イルカをここへ連れて来たのだろう。

普通に女性とこの店へ来ていたら断られる事もないから。

場所を変えるのだろうなと思っていたら、カカシは一片の迷いもなく二階への階段を昇り始めた。

おずおずとカカシに付いて行き、上を覗き上げると、大勢の女性と数人の男性が行列を成していた。

とてもじゃないが、すんなり入れてもらえそうにない。

それなのにカカシはどんどん階段を上がって行く。

男のみでは入れないという事にまだ気付いていないのかもしれないと思って、慌ててカカシのジャケットを掴んだ。

「カカシ先生、このお店男性だけだとパーラーに入れてもらえないみたいですよ?」

振り向いたカカシが何食わぬ顔で言い放った。

「ああ、それなら大丈夫ですよ。オレ一人で入った事もありますし」

「え…、でも、入口に」

「大丈夫」

カカシの元従業員の店だから大丈夫なのだろうか。

そうしたらその人と無関係のイルカは、一人だけ入店拒否をされてしまう。

またカカシとの格の違いを見せつけられて、暗い気持ちでこの階段を降りる事になるだろう。

カカシは行列の最後尾にはつかず、そのまま階段を昇った。

行列に並んでまで席が空くのを待っている人達から、冷たい視線が送られる。

階段を一段昇る毎に足取りが重くなっていく。

二階に着くと、その入口にも『男性のみお断り』の看板が出ていた。

零れそうになった溜め息を我慢して、俯いて口を引き結ぶ。

「恐れ入ります。お客様、入店ご希望でしたら列の最後に並んで頂けますか。それから、当店は男性のみでのご入店はお断りしておりますので」

「あー、一応店長には今日来る事を伝えといたんだけど、聞いてない?はたけが来るって」

「はたけ様でしたかっ、失礼致しましたっ。どうぞ、こちらへ」

店員がフロアーの中央を突っ切って案内するものだから、否が応でも客席から注目されてしまった。

男性のみで入店が出来ない店なのに、接点のなさそうな男二人が並んでいるなんて。

カカシは仕事中と言える服装だが、イルカはただの普段着なので、更に居心地が悪い。

「裏から入ってくれば良かったですね」

衝い立てで客の視線が遮断された場所まで来て、カカシが小声で囁いた。

裏口があるなら、初めからそっちに通してほしかった。

店員が『VIP』と書いてあるドアを開けると、眩しいくらい明るい部屋が広がっていた。

窓が多くて、都会のビル街なのに日光がたっぷりと吸収出来る。

カカシの銀髪と白い肌が光に溶けてしまいそうだと思った。

「お決まりになりましたらお呼び下さい」

店員はそう言って部屋から出て行った。

密室にカカシと二人きり。

「イルカ先生、すっきりしたのと、まろやかなのと、どっちがいいですか?」

「え、え?何の話ですか?」

「ここのメニューですよ。どっちがいい?」

聞き慣れないカカシの砕けた言い方に、また胸のドキドキが始まった。

この部屋は防音になっているのか、外からの雑音が余り聞こえない。

今度こそ心音に気付かれてしまうかもしれない。

「緊張してるの?ま、座りましょう。…で、どっちがいいですか?」

「あの、すみません…、よくわからないので、か、カカシ先生のお好きな方を…」

きっと優柔不断な男だと思われた。

でも動揺してしまって、物事をしっかり考えられないのだ。

「そんな泣きそうな顔しないで下さいよ。ホントに可愛いなぁ。じゃ、勝手に決めちゃいますよ〜」

カカシが席を立ち、壁に埋め込まれたインターホンのようなものに向かって何か話をした。

戻って来て、イルカの頭を撫でてから席に着く。

「カカシ先生、俺なんかをVIPルームに連れて入ってよかったんですか?」

頭に触れた手がとても優しかったので、ぽろりと本音が漏れた。

しかし、カカシは何も答えてくれずに黙り込んでしまった。

沈黙が気まずくなって、話題を変えようと思った。

「…それ、やめません?先生って呼ぶの。カカシでいいですよ」

「え…」

「ね、カカシって呼んで下さいよ。オレはイルカ先生にそう呼ばれたい。折角の初デートなのに、仕事の延長みたいなのはイヤです」

「デートてっ。それに、カカシ先生だって俺の事先生って呼ぶじゃないですか」

それを聞いたカカシが、してやったりという顔をした。

「じゃあ、オレがイルカ先生って呼ばなかったら、イルカ先生はカカシって呼んでくれるんですね?」

「ち、ちがっ、そうじゃなくてっ」

「はい、決まり。さ、早く呼んでみて下さい。カ、カ、シ、って」

「でもっ!、学校でも、業界でも、カカシ先生は先生じゃないですかっ」

「もう、往生際が悪いですねぇ。仕方ない。譲歩して、プライベートの時はって、条件を付けましょう。これなら良いでしょう?イルカさん」

不意打ちで名を呼ばれ、一気に胸が跳ね上がる。

どうしようと困惑していると、突然ガチャリという音と共に後ろのドアが開いた。

「なんだ、カカシ、来たのか。来るかもしれないって言ってたから、きっと来ないだろうと思ってたんだけどな」

部屋に入ってきたのは、とても健康的で整った顔立ちをしている女性だった。

さばさばした口調が男勝りで、話し方を聞いただけでは、とてもお菓子に携わる仕事をしているようには見えない。

「そういう言い方やめろよ。いつもいい加減な奴だと思われるだろ」

「しっかし珍しいな。あんたが男を連れて来るなんて」

「っ!だから、一々そういう言い方するのはやめろって!イルカさん、こんな奴の言う事なんて信じないで下さいよ」

二人は随分と親密な話し方をするのだなあと思った。

「ここのオーナーのみたらしアンコです。あんなに繊細な作品を作るのに、作者はこんななんですよ」

「失礼だな。世界のスイーツを制覇した人間に『こんな』なんて」

アンコは二人分のデザートと紅茶セットを載せたトレイをテーブルの上に置いた。

食器の擦れる音も立てず、それぞれを完璧に並べる。

口調は豪快だが、やる事はしっかりやっている。

こういう所はしっかり見習わなければ。

「忙しいのに、オーナーが直々に運んでやったんだ。感謝しろよ」

アンコは捨て台詞のようにそう言って、部屋から出て行った。

本当に忙しいのだろう。

それでもカカシと顔を合わせるために、わざわざ厨房を抜け出して来たのだ。

「良い人ですね」

笑顔でカカシに同意を求めると、彼は本気と冗談を混ぜた顔で、そうですね、と言って苦笑した。










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03.12.15