話し相手がいなくなったので、カカシが戻るまでの間、思う存分ブルーベリーヨーグルトを研究しようと、それをじっと見つめた。

ムースの表面は非常になめらかで、気泡による凹凸が少ない。

所々に見える黒っぽい粒はブルーベリーの皮だろうか。

果物は皮と実の境目が一番おいしいと言われるから、皮を剥かずに丸ごとブルーベリーを潰したのだろう。

上にかかっているソースもブルーベリーの果肉が入っているが、ジャムを作る時の要領で固まりすぎない所で火を止めたらいいのだろうか。

「お待たせしました。あ、他にも何か注文します?」

「あ、いえ、もう結構です。そんなに一度に欲張ると、後で悪い事が起きそうなので」

きっと仕事の電話だろうから、名残惜しいが早く別れてしまった方がいい。

「はははっ。イルカさんは面白い事を言いますね」

「カカシ先生、お仕事が入られたんじゃないですか?お忙しいようでしたら、そろそろ失礼しますが…」

これ以上一緒にいたら、嫌な自分ばかりを見せて、カカシに悪い印象を残しそうだ。

それだけじゃない。

イルカ自身、早くカカシと離れたいような、ずっと一緒にいたいような、複雑な心境を持て余しているから。

「…これからうちに来ませんか?あなたとは落ち着いてゆっくり話がしたい」

やばい、と思った。

だってすごく嬉しい。

家に招待してくれるなんて、特別だと思ってくれているのだろうか。

もしかすると、自分はカカシの事が好きなのかもしれない。

でも、この気持ちを認めてしまったらきっと後悔する。

「仕事は…」

「今日は一日休みだから。うち、けっこう夜景が綺麗なんですよ」

カカシは男で、自分も男で。

カカシには婚約者がいて、有名人で、実業家で。

今言わなければならない言葉は、頭ではちゃんとわかっている。

「遅くなったら家まで送るよ。部屋はあるから泊ってもいいし」

断りを入れようと口を開いたが、肝心の言葉が出てこない。

「行きましょう」

疑問形ではなく肯定形で促され、黙ったままカカシに手を引かれる事しか出来なかった。







* * * * *







車で30分ぐらいだろうか。

高層ビルが立ち並ぶ繁華街のど真ん中にカカシの住む高級マンションはあった。

地下駐車場の入口から暗証番号が必要で、カカシがカードキーを出してゲートを開ける。

高級外車がずらりと並ぶ場内を徐行して突っ切る。

しばらくして指定された駐車スペースまで来たようで、車をバックさせる音が聞こえた。

カカシは先程の駐車場と同じように、また助手席へ体を傾けて車庫入れをした。

気持ちを自覚した今、こんなに近い距離でカカシを見たら変な気分になってしまう。

例えば、キスされたらどうしようとか。

「今何考えてた?」

体がびくりと震えた。

やけに的を射たカカシの質問に、心の中が読まれているのではないかと疑いたくなった。

「オレも同じ事考えてたよ」

カカシがにっこり笑う。

動けないでいると、カカシの手が頬に伸びてきた。

包むようにそっと添えられ、親指だけでするすると頬を撫でられる。

もう一度にっこり笑うと、カカシが車を降りて歩き出した。

イルカもカカシの後に付いて歩道を進んだ。

エレベーターホールの自動ドアの前で再びカードキーを出し、照会させてドアを開ける。

こんなに厳重なセキュリティーが敷かれていたら、鍵を持っている住居人ぐらいしか建て物に入る事が出来ない。

エレベーターは3箇所の乗り場があり、カカシは『46−58』と書かれたエレベーターを選んだ。

大して待たずにやって来たエレベーターに乗り込むと、カカシは55階のボタンを押した。

「30階までが店舗とオフィスになってまして、それ以上が居住区なんです。ここのレストラン、中々いいんですよ。今度一緒に来ましょうね」

カカシの誘いを曖昧に笑って誤魔化した。

一緒に来ようと言われて、はいそうですねと安易に言えるような場所ではない。

上層まで一気に上昇するエレベーターは、標高の高い山に行った時のように耳がキーンとなる。

途中停止もせず、55階まで到着した。

やけに幅の広い廊下にうろたえて、周りをきょろきょろと見回す。

カカシが廊下の突き当たりにあるドアの前で立ち止まった。

カードキーを出してそのドアを開ける。

「どうぞ」

「…お邪魔します」

第一位印象は『広い』。

玄関から真っ直ぐに伸びる廊下の先にドアがあり、そこを開けると一面ガラス張りのリビングになっていた。

玄関からリビングのドアまでの奥行きだけでイルカの部屋ぐらいありそうだ。

「その辺に座ってて下さい。今コーヒーを煎れますから」

半分は放心状態で近くの白いソファーに座ろうとしたら、予想を遥かに上回る柔らかさに体のバランスが崩れる。

体が埋もれるぐらい沈むソファー。

あの窓から見える夜景が自慢の景色なら、夕日に照らされた今の景色もきっと綺麗なのだろうが、外を見る余裕が全くない。

これが本物の『身分の違い』というものだ。

今肌で感じている。

なんだか泣いてしまいそうだ。

貧相な自分がこの部屋にいる事で、カカシに悪い事をしているような気がする。

沈むソファーに飲み込まれて、膝の高さと同じぐらいのガラステーブルを見つめる。

今謝ったら、帰らせて貰えるだろうか。

「この部屋、景色だけは色々な人が褒めてくれるんですよ」

ここに来た人達が口々に褒めたという景色を、自分などが見てはいけないと思った。

カカシの言う色々な人という枠に、自分なんかが入ってしまっていい訳がない。

じわじわと涙が染み出て来て、徐々に視界がぼやける。

溢れてしまう前に、人差し指でそっと目の端を拭う。

明日も仕事だし、纏めたい資料があるからと言ったら、きっとおいとまさせて貰える。

「今お湯を沸かしてるから、もう少し待っててね」

「…カカシ先生、どうかお構いなく…。俺、帰りますんで…」

出した声が余りにも暗い。

ガラステーブルを見つめたままだったが、キッチンカウンターの奥にいるカカシの纏う空気が急変したのを感じた。










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04.01.11