テレビ画面の左上に表示される時計を目安にして行動するので、朝起きるとすぐにスイッチを入れる。

朝食の支度をしながらだと、テレビに背を向ける事になるのだが、キッチンには小さいアナログ時計を置いているから大丈夫だ。

出勤着が汚れないように、パジャマ姿にエプロンを着ける。

だらしない格好だが、ずっと独り暮らしだから、咎める人はいないのだ。

作り置きしているポトフ。

ホイップタイプのピーナッツバターをたっぷり塗ったトースト。

砂糖を二つ入れたカフェオレ。

ふわっとして、とろっとした、スクランブルエッグ。

トーストはフライパンを使うと、一番美味しく焼き上がる。

丁度いい柔らかさのスクランブルエッグを作るのは、意外と難しい。

最近では滅多に失敗しないが、始めた頃は惨敗が続いた事もあった。

教師になってから始まった、出勤日の朝食メニュー。

明日は出勤日ではないが、朝からカカシと出掛けるから、これと同じ朝食になるはずだ。

全部の用意を終え、トレイに皿やカップを乗せて、テレビに近いテーブルへ移動する。

「いただきます」

イルカの朝食に掛かる時間は、ほんの15分足らずだ。

家を出るまでで、ニュースをじっくり見て、聞いていられる時間。

逆にいえば、その間くらいしか、朝の時間はテレビを見ていない。

土曜日は平日と構成が違うのか、テレビ番組では新聞朝刊の内容を取り上げて、見慣れない出演者がコメントをしている。

派手な見出しを競うかのようなスポーツ新聞の一面は、ほとんどが野球の勝ち負けを大袈裟に書いていた。

しかし、その中で唯一、スクープ扱いの記事を載せている新聞があった。

『はたけカカシ、深夜のアイドル食い!』

『料理評論家がベットの上で新人グラビアアイドルを調理!?』

『フルコースを朝まで堪能』

下品な表現とカカシという名前に、イルカの体が固まった。

一面にでかでかと載っているのは、普段着のカカシが露出度の高い服を着た胸の大きな女性と引っ付いている写真。

音量は変えていないのに、イルカの耳に解説者のコメントは届かなくなっていた。

聞こえるのは、浅くて短い自分の呼吸音。

しばらくすると、どきどきという心臓の音も聞こえるようになった。

ポトフの器を押さえていた手を離し、リモコンの電源ボタンを押した。

一瞬で画面が真っ暗になる。

乾き始めた唇を舐め、同じく乾き始めた瞳をまばたきで潤す。

口に含んでいたじゃがいもを飲み込むと、咀嚼が足りなかったのか、咽喉に異物感を覚えた。

それを拭うためにカフェオレを飲んだら、コーヒーの苦みがやけに舌に残った。

いつもの朝食が、急に味気ないものに成り果てる。

溜め息のような深呼吸を吐く事で、自動車の通行する音や、人の足音が耳に戻ってきた。

毎回必ず検分する朝食の味は、どうでもよくなってしまった。

残っているものを機械的に掻き込んで、トレイごと流しへ片付ける。

歯を磨いて、エプロンを外して、出勤着に着替えて、靴を履いて、鍵を閉めて。

いつも自然にやっている事を、意識しながら進めていく。

錆びた階段を下りる軋んだ音が、嘲笑われているようで、耳に障る。

それが嫌で、わざと大きな音を立てて駆け下りていった。







* * * * *







平日であれば、朝から夕方までみっちり授業をしている時間帯。

そんな時間に自分の仕事が出来るなんて、非常に贅沢な事だと思う。

しかも人気が無くて静かなので、通常の二倍も三倍もはかどる。

この調子なら、明日は丸々空けられるだろう。

今日中に全て終れば、あさっての振替休日だって休む事が出来る。

明日、カカシと出掛けて、疲れて帰っても安心だ。

昼を過ぎると、ぱらぱらと教師が出勤してきた。

もう午後なのに、おはようございます、と挨拶する。

今来たのは、イルカの学年より2つ上のクラスを受け持っている教師。

彼の席はイルカとは二列も離れた場所だが、その学年の教師はもう一人出勤していた。

席の近い二人は、話し相手を見つけるなり雑談を始めた。

「理事の女性問題発覚って聞いたか?」

「ああ、カカシ先生だろ」

大声ではないのに、離れたイルカの耳にもしっかり届いた。

「大人しかったのは婚約中だけって?」

「そうそう。破棄した当日に一人食って、日替わりで翌日に二人目。それがスクープされたらしい」

「へぇ。そしたら今夜も三人目の予約とか入ってんのかね」

「四人目も五人目も入ってんじゃねぇの」

カカシは20日が来期の業務計画提出日で、その日に婚約解消が決まったのだと言っていた。

という事は、20日が婚約解消当日で、昨日が二日目で、今日が三日目で、明日が四日目で。

昨夜カカシと一緒にいたのはイルカなのに、どうしてあんな記事が出たのだろう。

可能性があるとすれば、イルカに会う前に一緒だったか、会った後に一緒だったか。

やめた。

もう、これ以上考えたくない。

頭を左右に振って、ぬるくなったブラックコーヒーを煽ると、飲み慣れていない苦味が口に広がった。

食欲がなくて抜いた昼食のおかげで、胃が痛い。

体にとってはマイナスだった苦いコーヒーや胃の痛みは、気持ちの切り替えにはプラスに働いてくれた。

集中力を取り戻し、仕事を再開する。

定時のチャイムで我に返り、外を見ると、夕日も沈んで真っ暗になっていた。

区切りがよかったので一休みしようと、椅子の背もたれに寄り掛かり、思い切り伸びをした。

「ふぅー…」

「イルカせんせー!」

教員室のドアのない入口で、腕ごと手を振っている生徒がいた。

試験前は生徒の入室を制限する決まりを、しっかり守っているのだ。

金髪を掻き回して褒めてやろうと思って、そちらへ向かう。

「どうした、ナルト?」

「オレ補習終ったから、イルカ先生と一緒に一楽行こうと思って、誘いに来てやったってばよ!」

いつも通りに元気なナルトを見て、気持ちがふっと楽になる。

今日は少し、根を詰め過ぎたかもしれない。

区切りもいいし、残りはあさってにやりに来よう。

「ちょっと待ってろ。すぐ支度するから」

教員室に残っていた職員に声を掛け、帰る事を告げる。

アカデミーの近くにも、アヤメの父親が経営する一楽グループのラーメン屋がある。

値段が良心的なので、生徒に説教をしたり、親睦を図ったりするにはもってこいの店だ。

欠点を挙げるとするならば、うま過ぎてナルトの食生活が偏る、という事だろう。

「やっぱり一楽は中止。スーパーで食材買って、何か作ろう」

「ええー!」

「補習の成果、ちゃんと見せろよ」

買い物をして、学生寮へ行くと、教え子達がイルカの元へ集まって来た。

なんだかんだと言って、みんなで食材を持ち寄り、ナルトの部屋での食事会をする事になった。

部屋の主は会場のセッティングに大忙しで、補習の成果を披露するのは延期となる。

結局、料理したのは要領の良い女子生徒達で、男子生徒達は他の手伝いをさせられていた。

後片付けまで終えて、イルカが帰宅したのは、20時を過ぎていた。

明日は何時に起きようかなんて考えながら鍵を開けていたら、お隣さんのドアが開き、声を掛けられた。

「うみのさん、朝からずっと電話鳴りっ放しだったよ。一度切れても5分、10分すると、また掛かってきて」

「あ、すいません、ご迷惑お掛けしました」

「変な勧誘とか、借金の取り立てとか、心当たりない?気を付けなよ」

「あ、はい、ありがとうございます」

「困ってんなら、話ぐらい聞くからね」

何度も頭を下げて詫びと礼を言い、一日鳴りっ放しだったという電話と対峙する。

とはいえ、イルカ宅の電話機には着信履歴を残す機能は付いていないので、手掛かりは何もない。

用があるならまた掛かって来るだろうと思って気を抜いたら、計ったように電話が鳴った。

「はい、うみのです」

相手は無言で、反応がない。

一日中掛けてきていたのがこの電話相手なら、悪質ないたずら電話だろうか。

「もしもし?切りますよ?」

『…あっ!すいませんっ!もしもし!?』

「はい?」

『お、オレっ!カカシ、ですっ』

直接電話をくれた事実と、電話越しでも伝わって来る緊迫感とで、喜びと不安が同じ分量で胸に募った。










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2004.05.17