2学期の学期末考査も無事に終わり、年を越し、冬休みが明けてしばらく経った。

休み明けで浮ついていた生徒達も、最近では大分落ち着いた。

カカシのスキャンダルも幾分落ち着いたが、完全に鎮火するまでには至っていない。

アカデミーに取材に来る記者もいて、何人もの職員が掴まっていた。

イルカもその内の一人で、理事の女性問題について、と質問された事があった。

いかに読者の興味を引く見出しを作るかに情熱を注ぐ彼らは、過激な事ををストレートに尋ねてきた。

いきなり、カカシが参加した飲み会の後に乱交パーティーに誘われた事はないか、という質問をされて目を見開いた。

衝撃が大き過ぎた。

一体どこからそんな発想が生まれるのか、そんな事を聞かれたこちらの立場になった事があるのか、逆に聞きたかった。

黙っていたら、次は、学校に顔を出す時は毎回違う女を連れてくるのか、と質問された。

記者の問いに正直に答える必要はないし、アカデミーからも相手にしないようにという指示が出ていた。

イルカも答えるつもりはなかったが、その質問に対しては何か引っ掛かって、自分の記憶を辿って真面目に考えた。

婚約してからはそんな事はなかったと思う。

でも、婚約する前は確かに派手だったかもしれない。

カカシはイルカがアカデミーで働くようになってから一年も経たない内に婚約した。

婚約前のカカシは余りアカデミーへ来ていなかったが、それでも来る時はきれいな女性を伴っていた。

どの女性もきれいだったという記憶はあるが、特定の人ではなかったので顔までは思い出せない。

その時は嫌な事を思い出してしまったと後悔し、無言のまま記者を振り切った。

年明け早々の帰り際に起きた出来事はまだ鮮明で、思い出す度に生傷を抉られるような気がする。

新しい年が始まって、カカシの事もアカデミーの事も留学の事も、気持ちよくスタートしたかったのに上手くいかない。

ただでさえ3学期は授業日数が少ないから、一日一日を大事に使わなければならないのに。

3学期は実習を中心にして、実技を見に付けるようなカリキュラムを組んでいる。

一日の時間割のうち、半分以上は実習だ。

「イルカ先生、ちょっと」

そんな大事な実習時間中に、廊下から声を掛けられた。

授業には余り関係ない事務職員だった。

調理器具のぶつかる音や、生徒のやり取りでざわついた実習室で、その声に気付いたのはイルカだけのようだ。

「五代目がお呼びです」

「え、今すぐですか?」

「はい」

授業中に呼び出されるのは珍しい。

大体は休み時間か放課後に回されるものだから、どれほどの緊急事態なのかと冷や汗が垂れた。

講義と違って、実習ならば各自で進めていけるので、クラス委員に席を外す事を告げて、実習室を後にした。

緊張感を拭えないまま、急いで火影室へ向かう。

ノックしてから、静かにドアを開けた。

「失礼します」

「ああ、悪いね。授業中に」

五代目は酷く申し訳なさそうな口振りで、でもどこか苛ついた雰囲気を漂わせていた。

その複雑な気配に息を飲む。

「今すぐアンタに代われって、アイツがうるさくてね」

アンタとかアイツとか、代名詞が多くて、事態を把握出来ない。

どんな深刻な問題なのかと考えながら、乾いた唇を舐めて潤す。

「昨日なんだが、理事全員宛に来年度の職員採用状況と退職者の書類を送ったんだ」

五代目の手元で電話が鳴った。

内線電話のようで、受話器を取らずにそのまま会話出来る状態に切り替わる。

「なんだい」

『カカシ理事から催促の電話が来てます。保留にしてちょっと待たせると切られて、またすぐに掛けてくるんです。早く出て下さい』

「悪いね…イルカ。そういう事なんだよ。早く代わってやってくれ。事務員達も迷惑してる」

「はぁ…?えっ?」

「ほら」

五代目にコードレス電話の子機を渡される。

火影室内の応接セットへ促され、ソファーの前で肩を押されて、ぼふっと腰が落ちた。

『もしもし?五代目?早くイルカ先生出しなさいよ。大事な話があるんだから』

手元から小さな音量でカカシの声が聞こえる。

「え、五代目っ、ちょっと待って下さ…」

「後は頼んだよ」

胸元から出したタバコをイルカに見せ、喫煙所へ行く事を間接的に告げる。

大袈裟なウインクを寄越して、それを合図に一瞬にして火影室から消えた。

『イルカ先生出せって言ってんの。早くしてよ』

こんなに苛ついたカカシの声を聞くのは初めてだった。

びくびくしながら受話器を耳に当てる。

「あ、あの、何か、御用でしょうか」

『だから!イルカ先生出せってっ…イルカ先生?!』

「は、はい」

『イルカ先生!何で急に退職する事になってるんですか?!』

「それは…その…」

『オレから離れるためですか?!そんなにオレの事嫌いになりました?!』

「俺は…」

『昼間は授業だから電話出来ないし、夜は遅い時間になっちゃうからダメだし、土日はオレが忙しいから掛けられなくて、ずっと我慢してたのに…』

カカシの声が泣きそうな擦れ声に変わった。

心細い声で独り言のように、あなたが離れて行きそうで怖いよ、と聞こえた。

言葉と声のトーンから、電話越しでもカカシの気持ちが充分に伝わって来る。

「退職の事とカカシ先生の事は全然関係ありません。俺、4月から留学するんです」

カカシが息を飲む音が聞こえた。

以前から五代目には相談していたものの、理事までは届いていなかったのだろう。

一般職員の退職情報を、わざわざリアルタイムで理事へ回したりはしないのが通例だから、当然の結果だ。

前から決めていた事だし、五代目の許可は得てるし、理事の手をわずらわせるほどの事でもないと思っていた。

だから言わなかったという、それだけの事。

『…いつ頃から決めてたんですか』

「ずっと前からです。俺、独立するのが夢なんです」

こんなにカカシが意気消沈するとわかっていたら、もっと早く伝えていたかもしれない。

最近仲良くして貰っていたから、友人の一人という扱いをさせて貰って、早めに伝えておけばよかった。

「カカシ先生、今お仕事中じゃないんですか…?長電話してても大丈夫なんですか…?」

『そんな事いいんです!』

「あ…すいません」

突然大声を出すから、びっくりして謝った。

確かに、理事に対して失礼だったのはイルカの方だ。

電話をしていられない状態ならば、カカシの方から切っているはずなのだから。

『あ、あ、スイマセン、怒鳴ったりして…。こんな事ばっかりしてたら、オレ本当に嫌われるよ…』

もしかしてカカシは泣いているんじゃないか、と思うぐらいに打ちひしがれたトーンになった。

『イルカ先生も授業中だったんだよね。それなのにオレ…。勝手してごめんなさい』

「いえ、こちらこそ、お忙しいのにご連絡頂いて。ご心配お掛けしました」

『今夜…、いや、明日の夜に電話します。何時頃なら大丈夫ですか?』

「明日ですか…。明日は7時半くらいには家にいると思います」

『じゃぁ、明日の夜に家の方へ電話します』

沈んではいたけれど、冷静な声に一安心して電話を切った。

電話をテーブルに置いて、両手で顔を覆う。

知らずに涙が溜まっていて、零れるほどの量ではなかったが、エプロンの裾でぐいっと拭った。

また両手で顔を覆って、背もたれに身を預ける。

上を向いて、固まって詰まった息を吐き出す。

早く先生の顔に戻って、実習に復帰しないといけないのに。

心を決めて火影室のドアを開けようとしたら、隙間に紙切れが挟まっていた。

五代目の字で、午前中の授業は私が見ておく、と書いてあった。

僭越ながらも、今回ばかりは素直に甘えさせてもらおうと、応接ソファーに戻って身体をうずめた。











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2004.06.13