例えば、差し入れのケーキとか、どこかに行った時の土産の酒とかだったら。

丁寧にお礼を言って、何度も頭を下げて、素直に受け取っていたと思う。

「あの…?」

「ここの電話会社のは、海外に行ってもこのケータイが使えるんだよ。イルカさんにぴったりでしょう?」

テレビが見れて、国外でも使える、最新型の携帯電話だという事は理解した。

でも、そんな事が聞きたいんじゃない。

どうしてこんな物を、簡単に人に与えようとするのだ。

カカシの考える事が理解出来ない。

前もそうだ。

結局は逢えなかったけど、二人で逢うからといって、わざわざ新車を購入して。

こんな事がカカシの業界では当たり前なのだろうか。

仕事上のコネクションを持続させるために。

それにしたって、イルカに渡すメリットなんて皆無だ。

大事な留学前だというのに、心を掻き乱さないでほしい。

「…留学祝い…というか…、まあ、その、ほんの気持ちだから」

イルカの心情を察したのか、苦し紛れに付け足したように聞こえた。

はっきり断ろうとしたのに、先手を打たれてしまった。

留学祝いと言われて受け取らなかったら、カカシの厚意を踏みにじる事になるではないか。

最初から僅かしかない断る口実を一つ一つ潰されていく。

カカシから携帯電話なんて渡されても困る。

その事にどんな意味が込められているのか、深読みしてしまう。

これから、文化も違う知らない土地で、一人で強く生きていかなければならないのに。

優しさに甘える事を覚えたらいけない。

「お気持ちだけで…充分です…」

陳腐な言葉だとわかっていても、他には出てこなかった。

泳いだ目をコーヒーカップの方へ逸らす。

まもなく縁が切れる人から、繋がりを期待してしまうような物なんて、絶対に貰えない。

「…イルカさんならそう言うと思った。でも、お願いだから受け取って」

黙り込む事で、拒否の態度を取る。

カカシにはこちらの考える事なんて、全てお見通しなのだ。

そこまでわかっているなら、持って来なければいいのに。

もしかして、嫌がらせだろうか。

イルカの困っている姿を見て、心の中で笑っているのだろうか。

カカシはそんな事をする人ではないと思うけど、イルカが知っているのはカカシのほんの一部分だけだ。

本心では何を考えているかなんてわからない。

「…渋る俺よりも、カカシ先生から携帯電話を渡されて喜んでくれる人にあげた方がいいですよ」

わざと冷たい言葉を選んだ。

からかっているのなら、おもちゃにされるのはごめんだ。

さっき電話を取ったホステスなら、カカシから携帯電話を渡されたらとても喜ぶと思う。

以前スキャンダルされたグラビアアイドルだってそうだ。

「誰でも良い訳ないでしょ…。オレがいつでも連絡取りたいと思う人だから持っててほしいの」

「でも俺は…」

「イルカさんは思わなくても、オレが思うの!」

必死に訴えているように見えた。

しかし目に見えるものだけを信じる事が出来ない。

「だって好きなんだもん!あなたが好きなんですっ。だからっ」

カカシに顔を向けられないまま、眉間に皺を寄せた。

いくら何でも、そこまで言わなくたっていいじゃないか。

カカシには本当に全部ぱれていたのだ。

好きになってしまったイルカの気持ちも、とっくにばれていたのだ。

だからそんな、人の弱みに付け込むような酷い事が言えるのだ。

「…もう…やめて下さい…。…二週間後には出国するんです…。俺にとっては大事な留学なんです…」

カカシと逢うのは今日で最後かもしれないのに、こんな険悪な状態でだけは別れたくなかった。

改めて自分で最後という言葉を噛み締めたら、両目にじわっと涙が広がった。

いくら唇を噛んでも、溢れてくるものは止まらない。

「これは…受け取れません。もう…帰って下さい」

情けないけど、声が震えた。

息継ぎも上手く出来なくて、のどからひくっと音がする。

最後にこんな無様な姿を見せる事になるなんて思わなかった。

「え…。うっ、あ…の…、泣かな…、泣かないでっ…」

カカシの手が伸びて来て、肩にそっと触れた。

僅かな接触にイルカの上半身はびくりと大きく揺れ、反動で涙の粒がぼろっと落ちた。

カカシが慌てて、すいません、と言って手を遠ざける。

正面に座るカカシに泣き顔を見られないように背を向けた。

陰に隠れて、服の袖でごしごしと顔を拭う。

「ケータイが嫌なら、残念だけど諦める。留学が不安だったら、オレが付いて行くよ。向こうで一緒に暮らそう?」

後ろから優しい声がした。

携帯電話については諦めてくれたようだった。

でも、それに続く言葉に引っ掛かった。

今、何と言った。

留学にカカシが付いて来るとか、一緒に暮らそうだとか。

こんな時に、判りきったその場限りの嘘を吐かれたって全然嬉しくない。

優しい嘘は罪だ。

「…本当にもう…帰って下さい…」

驚きで一旦は弱まった涙が再び溢れて来て、のどを詰まらせながら言った。

カカシが動き出す気配がして、これが最後の最後なのだと思ったら、更に込み上げた。

「オレは本気だよ。しばらくフランスに行く事決めたから」

玄関へ向かうと思ったカカシが、イルカの正面へ移動して来た。

膝を折って、顔を覗き込んでくる。

当然のように伸びて来た大きな手で頭を撫でられたが、今度は身体はびくつかなかった。

「好きな人と一緒に居たいんです。イルカさんと離れたくない」

「なに…を…言ってるん…ですか…」

「滞在先は決まってる?まだならオレの所に来てよ」

駅から近くて便利だし、安全な地域だし、お金も掛からないし、と続けた。

心地良い手に流されないように気を付けながら、カカシの言葉を反芻する。

「利用してると思っていいから…。あなたを放っておけないよ…」

カカシが膝立ちになって、イルカの頭を胸に抱いた。

規則的な心臓の音が聞こえる。

遠い昔、両親に抱き締めてもらった記憶が蘇えった。

カカシにも三代目のように、イルカに対して親心が芽生えたのだろうか。

それとも、短い時間でも関わりを持ってしまって情が移ったのだろうか。

「4ヶ月も逢えなくて、どうにかなりそうだった。理由は何でもいいからオレの傍にいて」

頭だけを抱いていた手がイルカの背に回った。

隙間がなくなりそうなくらい、ぎゅうっと抱き締められる。

カカシの財力を利用するなんてとんでもない。

そんな心配を掛けるほど、イルカの姿は頼りなく見えていたのだろうか。

「俺はこれから一人になるんです…。甘えてばかりはいられません…」

「一人じゃないよ。一人なんてしない。オレがいる。今まで一人で充分頑張って来たじゃない。甘えて良いんだよ」

カカシの言う通り、独りになってから、今までずっと頑張って来た。

それが日常だった。

次の日も、その次の日も、毎日がそうで、いつしか頑張っている事を忘れるようにした。

いつまで続くのかわからない緊張を意識すると、不安で堪らなくなったから。

それをやめてもいいのだと、よく頑張ったのだと、初めて許された気がした。

「カ…カシ先生…」

身体の力を抜いて、カカシの胸に体重を預ける。

以前は気になった香水の移り香はしなくなっていた。

それがどういう意味なのか、ちゃんと真正面から受け止めようと思った。










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2004.08.29