ゲンマは定期的な連絡係として、一、ニ週間の周期で里に戻ってくるようだった。

事態が急展開したと飛び出して行ってから、そろそろ一週間ぐらい経つ。

もしかすると今日あたりに戻ってくるかもしれないと、急いで任務を終わらせた。

その足で受付へ入ってゲンマを探したが、姿も気配も全く見当たらなかった。

しかし、今いないという事はこれから来る可能性があるという事だ。

それに賭けて、極力ゆっくりと報告書を記入していった。

人が集まるにはまだ時間が早いので、受付所を利用する忍はまばらだった。

窓口に座る中忍も暇そうで、隣同士で世間話をしている者もいた。

「…ルカ先生、帰って来るらしいぞ。火影様から帰里命令が出たんだって」

「へぇー、そっかぁ。こっちには復帰すんのかなぁ…」

「どうだろ。けど、やっぱり戻ってきて欲しいよな。子供達も喜ぶだろうし」

「だよなぁ」

のんびりとペンを走らせていたカカシの手が、ぴたりと止まった。

聞き違いではないかと頭を捻る。

今、『イルカ先生』と言っていなかったか。

聞き流していた中忍の世間話を懸命に巻き戻し、頭の中で再生し始めた。

…帰里命令…、…こっちに復帰…、…子供達も喜ぶ…。

とにかく全力でそれに集中した。

そのせいで、迂闊にも受付所へ入ってきた新たな気配に気付くのが遅れてしまった。

来た。

とうとう目的の待ち人が現われた。

しかも、まんまと自分からカカシの方へ近付いて来る。

ずっと空席だった、カカシの向かい側の机に落ち着き、報告書を書き始めようとしていた。

「ゲンマ、お疲れ」

息吐く暇も与えずに声を掛けた。

「…!カカシさんっ」

ゲンマが驚いた声を上げた。

その驚き方は、何か後ろめたい事があるんじゃないか、と勘ぐりたくなるには充分なほど大げさだった。

何を隠しているのか見極めるために、じっと顔を見つめた。

「か、カカシさんも今終わったんですか?」

「ん、まぁね」

ゲンマの表情に焦りが混じった。

顔中に汗が浮いている。

「あ、あ、そうだ。カカシさん。この前イルカに送った手紙ってどんな事書いたんですか?」

「別に何でもいいだろ」

「い、いいじゃないですか。教えて下さいよ〜。さらっと書いてたから、そんなに回りくどいものじゃないよね?」

「ま、そんな事より、あれ渡した時のイルカ先生の反応を聞かせてよ」

「…そ、そうだっ、イルカ!今日、帰って来たんですよ!」

「え?」

苦し紛れに、最後の切り札を出したような言い方だった。

さっき窓口で聞いたのは、やはりイルカの事だったのだ。

急に胸が高鳴り出した。

帰って来たというのなら、直接会って話がしたい。

久しぶりに二人で飲みに行くのもいいだろう。

本人の前で伝えたい事が山ほどある。

心配していた事だとか、最初から好きだった事だとか、これからも仲良くしてほしいだとか。

「あー、でも、すごく疲れてたみたいだから、会うんだったら明日の方がいいと思うなぁ」

それを聞いて、そうか、と思った。

もしかして、さっきからゲンマがそわそわしていたのは、疲れて帰って来たイルカの事をカカシに黙っていようとしたからではないだろうか。

ゲンマとの付き合いは短いが、彼はそういう気遣いが出来る男だと思った。

しかし、任務明けで疲れているからといって、一概に会わない方が良いとは言い切れない筈だ。

繁華街で仲間と酒を飲んだり、かつてのカカシのように女を買いに行ったりと、誰かと過ごしたい気分になる者もいる。

言ってしまえば、これはイルカに逢いたいと思っている自分の希望的な観測なのだけれど。

ただ、任務明けのイルカがどういった行動に出るのか全くわからないカカシには、悔しいがゲンマに何も言い返す事が出来なかった。

単に疲れているから家で休みたいと思っているかもしれないし。

「…そんなに疲れてんの?」

「ええ!それはもう!あっちで色々あったから」

でも、そんな事を言われたって、もう遅かった。

カカシの中ではイルカに逢いたいという気持ちが次から次に湧いてきて、どうしようもなくなっているのだから。

だって、一ヶ月もずっと逢いたいと思っていた人と、やっと逢う機会が出来たのだ。

「で、何書いたんですか?出来るだけ具体的に教えて下さいよ〜」

イルカの事だけを考えていたいのに、何を書いたんだ、何を書いたんだ、と続けて尋ねてくるゲンマが鬱陶しくなってきた。

それとも、ゲンマには手紙の内容を知らなければいけない理由でもあるのだろうか。

「…ねぇ、何でそんなに知りたいの」

威圧的な声色を滲ませると、ゲンマは怯んだのか、急に生彩を欠いて大人しくなった。

喋りながらでも、報告書の上を滑っていた手までが止まった。

ゲンマが乾いた唇を一舐めし、咽喉をごくりと鳴らした。

「…カカシさん…実は…」

「何」

「あの手紙…、その…」

「何」

カカシの視線から逃げるようにゲンマが俯いた。

と思ったら、今度はがばっと勢いよく顔を上げた。

「ごめんなさいっ…!イルカに手紙、渡せなかったんですっ」

「はぁ?」

「それでっ!今日中にカカシさんから内容聞いて、イルカに伝えようと思ったんですっ!」

「…マジで?」

「ごめんなさいっ」

イルカに手紙が届いていないだなんて、考えてもいなかった。

それどころか、彼の性格を見越して、手紙をネタに飲みに誘おうと思っていたぐらいだ。

律儀なイルカなら、別れたばかりの相手から送られた物だとしても、何かしらの反応を返してくれるだろうと。

それなのに、あの手紙は届いていない。

飲みに誘うきっかけもない。

それから…。

何よりも重要な事態が頭を掠めた。

「…あのさ、イルカ先生、オレの事何か言ってた…?」

「え?カカシさんの事?んー…、特に何も言ってなかったけど…。っていうか、イルカからカカシさんの話って聞いた事無いような…」

ゲンマの声は遠慮がちに小さくなっていった。

ひょっとして、それは、最悪という状況ではないか。

自分達の時間は、あの手酷い別れ方をした時から止まったまま…。

一瞬、視界が歪んだ。

いや、止まったままなら良い方かもしれない。

「…ん、わかった」

突然現われた大きな壁にめまいがし始め、机を支えにしないと立っていられなかった。

わざわざ残していた報告書の空欄を適当に埋め、急に重たくなった足を引き摺り、やっとの思いで窓口へ提出した。

カカシは生気の抜けたその足付きで、虚しいほど渇いた音を立てて廊下へ消えていった。









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2003.07.27