カカシがナルトの家に訪れて以来、イルカが授業でナルトの家に行っても、頻繁にカカシと遭遇するようになった。 ナルトの話によると、カカシは最初の家庭教師で、元々ナルトの両親と親交のあった家の息子さんらしい。 ナルトにとってカカシは親戚のお兄さんのような存在なのだ。 小学生の一人暮らしだから、家に大人の出入りがあれば防犯に繋がるし、寂しさだって軽減する事だろう。 もしかしたら、近いうちにナルトの家庭教師はカカシに戻るのかもしれない。 イルカからナルトの学力でも聞き出したいのか、カカシとは授業が終わってから毎回のように駅まで一緒に帰っている。 カカシの目的のためなのかもしれないが、それを差し引いても、最悪な出会いをした相手と、よくイルカにこんな穏やかな人間関係が築けたと思う。 出会いだけでなく、その後も色々なトラブルに巻き込まれたというのに。 この事はイルカにとって大きな進歩だった。 大学に入学してまだ数ヶ月。 イルカの人間不信は、確かな手応えと共に、目に見える形で回復の兆候を現していた。 * * * * * サークルの夏旅行当日。 駅に集まった参加者を見た時、イルカは自分の目を疑った。 「マジで意外だったよ」 イズモがカカシの肩をぽんと叩き、やれやれという調子で呟いた。 しかし、その顔は誤魔化せないほどににやけている。 こんな場面を朝から何度見た事だろう。 アンケートを取ったイズモ自身も当日まで半信半疑だったのか、参加予定者全員が集合場所に集まった事で、ようやく実感が湧いたようだった。 カカシ目当てと解っていても、女子が4人も参加した事が嬉しくて仕方ないらしい。 イズモには申し訳ないが、そんな事はイルカにとってはどうでもいい事だった。 だってイルカは、カカシがいない方という基準でこのコースを選んだのだ。 以前ほど深い溝ではないものの、まだイズモやコテツと同じように接する事は出来ない。 ナルトを介してカカシのプライベートに触れてしまった分、また違った意味での居心地の悪さも感じる。 だがそれも、山に入って自然の中に身を置いていると、とても小さな事のように思えてきた。 これだけ空気がきれいなら、隣を歩くハヤテもこのコースを選んだ甲斐がある。 今回の夏旅行、イズモが心配するほど人が集まらなかった訳ではなかったのだ。 イズモ、コテツ、イルカ、ハヤテ、カカシ、ガイの男子6人と女子が4人の計10人。 ハヤテはイルカにとって貴重な友人で、一緒に図書館に行ったりするほど親しくしている。 ガイはワンダーフォーゲル部に所属している先輩で、山に慣れているという理由で同行が決まった。 イズモとコテツが先頭を歩き、その後ろに女子が二人ずつ続き、次がハヤテとイルカ、最後尾がカカシとガイという順で進む。 この並び方を考えてきたのはイズモだったが、私情を挟んでいる割には理にかなった隊列に思えた。 しかし、そう思っていた矢先。 ハヤテが苦しそうに咳き込むたびに背中をさすっていたら、後ろのカカシから不機嫌そうな声が聞こえてきた。 「調子悪いなら山登りなんてしなきゃいいのに」 「カカシ!何を言う!多少の不調など山の懐に入れば癒されるものだぞ!」 「うみの君、私達と場所変わる?イズモさんの近くにいた方が何かあった時に安心じゃない?」 前を歩いていた女子が、嬉々としてハヤテとイルカにそんな提案をしてきた。 確かに責任者の傍にいた方が休憩も掛け合いやすい。 女子達は単純にカカシの傍に行きたいだけなのだろうが、カカシの嫌味からハヤテを遠ざけるには都合が良い。 イズモには悪いと思いながら、彼女達の提案に賛同する事にした。 「イズモさん、俺達イズモさんの後ろになっても良いですか?ちょっとハヤテが心配で」 イルカの声に振り向いたイズモが、既にカカシの傍へと移動した女子を見て困った顔をした。 イズモから諦めたような溜め息が漏れる。 「いいよ…」 断られた時の事を考えてわざと空けていた距離を詰め、ハヤテと二人でイズモとコテツの傍に寄る。 その分イルカ達と女子達との距離が開き、それはいつまで経っても狭まる気配を見せなかった。 聞き取れるほどではないが、後ろから楽しそうな話し声が聞こえる。 希望通り、カカシの傍に行けて嬉しいのだろう。 せっかくの旅行なのだから、より楽しめる隊列で進めるに越した事はない。 ふと、胸に何か引っ掛かるものがあった。 それが何なのか深くは考えず、イルカも今を楽しもうと思った。 しばらく経って、何となく後方が静かになったような気がして振り返ると、イルカと女子達の間隔がかなり開いていた。 少し心配になったが、向こうにはワンダーフォーゲル部のガイがいる。 山で何かあった時にはきっとイズモより頼りになるだろうし、男手ならカカシだっている。 正面に向き直り、不安を吐き出すように息を吐いた。 すると、温泉地特有の硫黄の匂いが微かに鼻を掠め、無意識にイルカの頬が緩んだ。 「嬉しそうな顔しちゃって」 後ろから突然聞こえた声に咄嗟に振り向くと、イルカの2歩ぐらい後ろをカカシが歩いていた。 予想外の出来事に、一瞬言葉を失った。 それが少し落ち着くと、今度は何気ない表情を見られてしまった気恥ずかしさで顔が赤くなる。 「…う、後ろの女の子達と一緒だったんじゃ…?」 「あの子達さあ、歩くの遅いからガイに任せて先に来ちゃった」 「ごほっ…、カカシさんはいつも上手な言い訳を作りますね」 動揺するイルカをフォローするように、ハヤテが会話に参加してくれた。 さっきカカシに言われた嫌味の事は気にしていないのだろうか。 「そう?」 どこかとぼけた様子のカカシと、それをからかうようなハヤテのやり取りを聞いて、二人の仲がイルカが思っているほど浅いものではないのだと解った。 嫌味と冗談の区別もつかずに勝手な思い込みで過剰に反応してしまった事に、今更ながらに自己嫌悪する。 それからイルカは何も言えなくなってしまい、山小屋に到着するまでの約20分、一言も喋らずに山を登った。 イルカ達が宿泊する山小屋は、山の中腹の平らに開けた土地を利用して建てられており、奥の方には家庭菜園もあるようだった。 みんなを外で待たせ、最初にイズモがチェックインのために建物へ入って行った。 その間イルカは、出発前に配られたパンフレットを鞄から出して、近くの温泉場を確認する。 入浴出来るのは、日の出から日の入りまでの限られた時間だ。 「あ、来た」 コテツの声に顔を上げると、後方集団の5人が山道を抜けて来た所だった。 重い足取りだった女子達も、ゴールの山小屋とカカシの姿を見て元気を取り戻したように見える。 建物に駆け寄り、さり気なくカカシの傍に荷物を置き、カカシを取り囲むように腰を下ろした。 清々しかった空気が、急に賑やかなものへと一変する。 途端に居づらくなり、イルカは景色を見るふりをしてカカシの隣からさっと離れた。 「イルカー、あんまり遠くに行くなよー」 子どもに注意を促す時のようなコテツの口調に、笑顔で返事を返す。 目立つ所に立っていた道案内の看板の前で足を止め、パンフレットと見比べながら温泉場に行く順番を考える。 今の時間なら、少なくても3箇所は回れそうだ。 「イルカー」 コテツに名前を呼ばれて振り返ると、建物からイズモが出て来る所だった。 どうやらチェックインが終わったらしい。 ちらっとカカシの方を見ると、女の子4人に囲まれて話が盛り上がっているようだった。 あれだけストレートに複数の異性から好意を向けられれば、誰だって悪い気はしないだろう。 邪魔をしないように、イルカの荷物が置いてあるカカシの傍には戻らず、イズモの近くで説明を聞く事にした。 「チェックアウトはあさっての10時。貴重品は自分でしっかり管理するように。あとは自由行動」 そう言うと、イズモが部屋の鍵を配り始めた。 イルカはハヤテと同室の二人部屋で、イズモはコテツと、カカシはガイとそれぞれ同室になっていた。 「ガイと同じ部屋じゃなきゃ駄目なのー?」 鍵を受け取る時、カカシがすごく嫌そうな顔をしてイズモに抗議していた。 もしかして一人部屋でも希望していたのだろうか。 女の子と過ごすにはその方が都合が良いから。 「カカシせんぱーい、だったら私達の部屋に来ますかぁ?」 イズモとカカシのやり取りを見ていた女子達が、キャーキャー騒ぎながら二人の方へ近寄って行った。 女子の誘いにカカシが何と答えたのか解らない。 どんな答えであろうとイルカには関係ない事だ。 カカシ達の会話を聞かないように荷物を取ると、玄関から広間を通り、渡された鍵番号と同じ番号の部屋へ向かった。 既に部屋のドアが開いていたので、鍵を使わずに部屋へ入る。 中では、さっそくハヤテが荷解きを始めていた。 「少し休んだ方がいいよ」 ハヤテの体には負担の大きい道を進んで来たのだから、無理をして体調を崩したりしたら大変だ。 「これだけやったらそうします。ありがとう、イルカ」 行動の早いハヤテを見習って、イルカも早々に温泉場へ向かう支度に取り掛かる。 「イルカはさっそく出掛けるんですか?」 「うん。5時くらいには戻ると思うから」 パンフレットを指差しながらハヤテに目的地を伝える。 出掛ける時は誰かに一声掛けて行くのが、この旅行のルールだった。 必要最低限のものだけを鞄から引っ張り出して、用意していたスーパーのビニール袋に詰め込む。 残りの荷解きは戻ってからにしよう。 イルカの頭の中はもう温泉の事で一杯で、他の事が手に付かない状態なのだ。 ハヤテに行って来ますと告げ、飛び出すようにして部屋を出た。 広間にはもうカカシも女子達もおらず、無意識に安堵の吐息が零れる。 念の為にと思ってドアに鍵を掛けていると、2つ隣の部屋からイズモとコテツが出て来る所だった。 イルカと似たような装備をしている。 お互いに行き先を伝え合った結果、初日だからという事で3人一緒に出掛ける事になった。 一人だと控えめだった場所選びも、複数なら目的地を増やす事が出来、帰りの時間が予定より1時間も過ぎてしまった。 ハヤテには後できちんと謝ろうと思いながら玄関を潜る。 すると、広間に置かれた大きなダイニングテーブルでカカシと女子4人がカードゲームをして遊んでいた。 「ただいまー」 気の抜けたイズモの声に、遊んでいた全員が玄関を振り返った。 何となくカカシ達の方を見ていられなくて、イルカは俯き加減でイズモの後ろに付いて行く。 「遅かったじゃないですか。心配したんですよ」 カカシの声に顔を上げる。 いつの間に移動したのか、カカシに腕を掴まれた。 肌に吸い付くようにしっとりした冷たい手の感触に、イルカの肩がびくりと震える。 「イズモ達と一緒に行くなら、そう言っておいてよ…」 悲痛な声に顔を上げると、カカシの真剣な目とぶつかった。 それを見て、イルカは何も言い返せなくなってしまった。 ss top sensei index back next |