カカシに出会って、今年で3年が経つ。 どうせまた突然ふらりと現れて、いつもの席から声を掛けてくるのだろうと思っていた。 きっと心のどこかで、それを期待していたのだ。 昨年立てた誓いと反する事だけど、気持ちに嘘は吐けない。 でも結局は、イルカが海の家に滞在している間、カカシは一度も姿を現さなかった。 「書類にはサインしといた。今年も助かったよ」 里に提出する書類を店主から受け取る。 「ありがとうございます。お世話になりました」 丁寧に挨拶をして、足元の鞄に書類を詰めた。 このやり取りも何度目になるのだろう。 「実はさ。この店、今年で廃業することになったんだ」 鞄の口を閉じようとしていた手を止め、さっと顔を上げた。 店主が残念そうな顔をしている。 「ここの海岸が保護区域に指定されることになって、商売ができなくなるんだ」 「保護区域ですか…」 「これからは街に出してる店一筋で頑張るよ」 こちらの店と違って、そっちの店舗は従業員が集まりやすいから、わざわざ里に依頼を出す必要もない。 つまり、今年が最後になるという事。 「最初にイルカを派遣してくれた木の葉さんには感謝してる」 「店長…」 中忍になって5年が経っているのに、未だにこういう場面では目頭が熱くなってしまう。 何度もお礼を言って、散々別れを惜しんだ。 店を出て振り返り、世話になった海の家をしっかりと目に焼き付ける。 ここで起こった色々な出来事が、まぶたの裏に蘇ってくる。 店主には少し申し訳ないけど、一番の思い出はやはりカカシだった。 そのカカシとも、今度こそ本当に、二度と会えなくなる。 里への長い帰り道、そんな事を思って、一人泣きながら歩いた。 * * * * * 里の人手不足が深刻になり、アカデミーの教員が受付業務を兼任する事になった。 目を掛けていたナルトが卒業試験に合格してすぐだったので、言い方は悪いが、イルカの寂しさを穴埋めするには手頃な業務だった。 そのナルトも無事に下忍になれて、上忍師の元での下積み修行が始まったばかりだ。 しかも上忍師はかなり有名な人物らしい。 詳しい事は知らないのだが、三代目から名前を聞いた時は驚いた。 はたけカカシ。 海の家で出会った男と、下の名前が同じだった。 苗字は知らないから、はたけカカシと彼が同姓同名なのかはわからないのだけど。 「お疲れ様です」 隣の窓口で応対をしている同僚が、報告にやってきた忍に向かって声を掛けた。 夕方の受付で、あんな男の事を思い出している場合ではなかった。 イルカも手元の報告書に素早く目を通し、受付印を押す。 「お疲れ様でした。次の任務は明後日になります」 「了解」 短い返事が返ってきて、入れ替わりに次の忍が一歩前に出た。 差し出された報告書を受け取ろうと、手を伸ばす。 「えっ…」 目の前で起こった出来事に、思わず声が漏れた。 イルカに報告書を渡そうとしていた忍が、突然、真横から突き飛ばされたのだ。 飛ばされて倒れた忍と、飛ばして割り込んで来た忍を交互に見遣る。 「あの。すみません」 割り込んできた方の忍が、何事もなかったかのようにイルカに話し掛けてきた。 唯一覆面で隠れていない片目で、じっと顔を見つめられる。 「付かぬ事をお伺いしますが」 乱暴な事をした人とは思えないほど、丁寧な言葉遣いだった。 受付所が騒然とし始める。 「カカシという名前に聞き覚えはありませんか」 不躾に尋ねられて、僅かに眉間に皺が寄った。 怪しい風貌と鋭い目付き。 その二つには心当たりがあった。 三代目に見せてもらった資料に載っていた顔写真。 「はい。存じております。7班の上忍師になられた方ですね。挨拶が遅れて申し訳ありません」 この事態を早く収拾するために、当たり障りのない言葉を選んだ。 上忍を下手に刺激するのは危険だ。 カカシはイルカの答えに納得していないのか、何か言いたそうに更に顔を近付けてきた。 「いえ、そうじゃなくて…」 「邪魔して悪かった。こいつは俺らが連れて行く」 「カカシよ。ライバルの私に恥をかかせるな」 アスマとガイに挟まれて、カカシが出口へと引きずられて行った。 誰かが待機所に通報してくれたのだろう。 来たのがあの二人で助かった。 突き飛ばされて怯えるような目でカカシを見上げていた忍が、窓口の机に手を掛けて立ち上がる。 特に怪我はなさそうだ。 負傷者や損壊物はなく、騒ぎの元もいなくなれば、受付所が平常を取り戻すのに時間は掛からなかった。 仕事を終えて帰路につくと、道の真ん中に一人の男が佇んでいた。 忍服も額当ても身に着けていないので、おそらくは一般人だろう。 この時間なら通行の妨げになるような人通りもないし、わざわざ注意してまで移動させる必要はない。 変わった人がいるなあと思って、特に気に留める事もなく通り過ぎようとした。 「イルカ先生…」 唐突に呼び止められ、ぴたりと足を止める。 知り合いだとは思っていなかったので、薄暗い中で慌てて男の顔を注視した。 「オレのこと、覚えてるよね…?」 「…な…んで…」 愕然とした。 目の前の光景が信じられなくて、きょろきょろと周りを見渡す。 ここには海も砂浜も、もちろん海の家もない。 「あなたのこと、地元の人だと思ってた」 イルカの前で喋っているのは、南国で出会ったカカシに間違いなかった。 体だけを求め、気が済んだら捨てていく身勝手な男。 自分でも言葉にならない感情が、心の奥から沸々と湧き上がってくる。 「去年は休暇が少しずれただけなのに店がなくなってて…。オレがどれだけ…」 伸びてきたカカシの手を、咄嗟に払い落とした。 顔をしかめ、カカシから目を逸らす。 会う場所が違ったって、どうせ置いていかれるのだ。 都合の良い時だけ相手をさせられて。 「…まさか…。新しい恋人でも…出来たの…?」 問いには答えず、黙ったまま、カカシを避けて歩き出した。 後ろからカカシに手を掴まれそうになって、それを容赦なく払いのける。 「もう別れたつもりですかっ…!」 懲りもせず、またイルカの手を掴もうとしてくるので、それも確実に叩き落す。 どうせカカシも本気で捕まえる気がないから、軽々と手を払われ続けているのだ。 だって、南国にいる時はもっと強引だった。 カカシに回り込まれて正面に立ち塞がれ、否応なく立ち止まらされる。 ここで弱腰になったら、今までの葛藤が水の泡になる。 自分にけじめをつける意味でも、ここははっきりと言わなければならない。 「…俺なんかに構わないで下さい。あなたほどの人なら、たくさんの上客がいらっしゃるでしょう」 カカシの顔は見られなかったので、自分のつま先を見つめながら言った。 俯いていると、思考まで下向いてくる。 もしかして、別れ話を持ち出して示談金でもふんだくろうとしているのか、とか馬鹿な事まで考えてしまう。 早く立ち去ってくれ、と心の中で唱えていると、強い力で両肩を掴まれた。 前後に揺らされ、首ががくがくしているうちに顔を上げていた。 「…上客って何の話ですか」 カカシの真剣な目に射竦められ、身動きが取れなくなった。 |