「お前は自己評価が低すぎる。もっと自分を正当に扱え。再提出。今週中な」 放課後、綱手に呼び出され、先日提出したばかりの自己査定表を突き返された。 自分では甘すぎず厳しすぎず評価したつもりだったのだけど。 どこを修正したらいいのか考えながら教員室に戻る途中、待機所を通りかかった時だった。 「先輩とイルカ先生って、どういうご関係なんですか」 「そんなの聞いてどうするの」 ヤマトとカカシの声がして、ふと足を止めた。 イルカも知りたいと思っていた話題に、つい聞き耳を立ててしまう。 「特別な関係でないのなら、僕ももう少しイルカ先生とお近づきになりたいと思いまして」 「ふーん? ご自由にどうぞ?」 「えっ、いいんですか? 僕てっきり、2人はイイ仲だと思っていたんですが…。先輩もイルカ先生が好きなんだと…」 「好き? まさか。ないない。いや、最初はあったのかな? いや、最初からないか」 わかっていた。 はじめから、ちゃんとわかっていた。 決定的な事は何も言わずに関係を続けてくれる所がカカシの優しさなのだ。 「…もしかしてそれって、空気みたいな存在、って事ですか」 「ちがう、ちがう」 ヤマトは何もわかっていない。 ないと生きられない空気のような存在になんて、なれるわけがないじゃないか。 カカシにとってはイルカなんて、いてもいなくても同じ存在なのだ。 こんな明白な事を今改めて聞いて、胸を痛めている事だっておこがましい。 ヤマトは一体、カカシの何を見てそんな勘違いをしたのだろう。 「あのね、オレはイルカ先生に対して」 ヤマトに言い聞かせるような、ゆったりとした口調だった。 硬くこぶしを握る。 無意識のうちに体に力が入っていた。 たぶん防衛本能だ。 カカシの本音に耐えられるように。 「正直、いとしいっていうか、離したくないっていうか、オレだけのものにしたいっていうか、空気みたいにふわっとしたものじゃなくて、好きなんて生易しい気持ちでもなくて、もっと重たくてどろどろした感情を抱いてるのよ」 「なっ…」 「口説けるもんなら口説いてみな? 絶対に渡さないから」 「ご、ご自由にって…そ、そういう意味だったんですか…」 「当たり前でしょ。イルカ先生は身も心もオレの虜だし、オレもイルカ先生の虜だし」 かくん、と膝の力が抜けた。 壁に手を付いても立っていられなくて、その場に尻もちを着く。 目の覚める思いがした。 カカシがイルカなんかに心を傾けるわけがないと信じ込んでいて、微塵も疑った事がなかった。 今までカカシに対して、なんて申し訳ない事をしてしまっていたのだろう。 「わっ、イルカ先生っ、どうしたんですかっ」 ふいに頼りない足取りで待機所から出てきたヤマトが、イルカの情けない姿を見て手を差し伸べてくれた。 反射的に縋ろうとしたヤマトの手が突然、ぱしん、と誰かに払いのけられる。 それとほぼ同時に、突然現れたカカシに抱き起こされた。 「大丈夫?」 「あ…、はい…。すみません…」 カカシに至近距離から顔を覗き込まれて恥ずかしくなり、そっと腕を解いて離れた。 ヤマトの視線が気まずくて、目を泳がせてしまう。 「あの…、カカシさん…。ちょっと今お時間よろしいですか…。お話ししたい事が…」 「うん、いいよ。ここで平気? それとも移動する?」 「移動してもいいですか…」 「そうだね。ここだとイルカ先生をやらしい目で見てる奴がいるから」 ヤマトが口をへの字に曲げて渋い顔をした。 失礼します、と小さく告げて待機所へと戻っていく。 「カカシさん…、向こうで…」 移動の際に先導しようと、カカシの半歩前に出た。 途端に素早く手を取られる。 何事かと思ったら、ふんわりと繋がれて心臓が跳ね上がった。 ただ顔を赤くしながら、カカシを空き教室に連れていく。 きっちりとドアを閉め、改めて向き直る。 カカシは穏やかに微笑んでいて、イルカが話し出すのをのんびりと待っていてくれた。 「か…、カカシさん…」 「はーい。なんでしょーか」 「俺っ…、カカシさんが…、す、好きですっ…!」 唐突な告白だというのに、カカシの目が細まり、頬まで緩めて、さらに笑みが深まった。 ほとんどが布で覆われていてもわかる、あまりにも素敵な笑顔に、息が止まりそうになる。 「うん。知ってるよ?」 余裕たっぷりに受けとめてくれたカカシに、胸がいっぱいになった。 衝動を抑えきれなくて、思わず抱きついてしまった。 それでも嬉しさが溢れてしまって、勢いに任せて口布の上からカカシの唇を塞ぐ。 すぐに離したけれど、初めてのキスの余韻で唇が痺れた。 「…キス、苦手じゃなかったの?」 「ちが…、違うんです…」 「ふふっ。照れてるだけだったんでしょ? ちゃんとわかってましたよ」 否定する事ができなかった。 そう思ってくれていたのなら、本当の理由を話す必要なんてあるだろうか。 「でもね、どうせなら布越しじゃなくて、直接がいいな」 口布を下げたカカシに、ぐい、と腰を引き寄せられた。 ベストとアンダーのあいだに手が入ってくる。 そちらに気を取られた瞬間、今度は直に唇が重なった。 舌で煽るようにゆっくりと歯列を辿られる。 口内の粘膜まで舐め回されて、びくびくと肩が跳ねた。 反動で離れかけた口づけを結び直すように、舌に舌がねっとりと絡みついてくる。 「んっ、んっ、ふ…っん」 薄い服の上から体の側面や背中をさすってくる手に煽られて、簡単に体が昂っていく。 体の一部を繋げながらあちこちを愛撫される行為は、もう性交になるのではないだろうか。 口接も深まるばかりで、お互いの唾液が混ざり合い、ぴちゃ、くちゅ、と場違いな音までしてくる。 イルカの下腹部だって、すでに熱を溜め込んで形を変えてしまっている。 どうしよう。 ここは子どもたちが講義を受ける教室なのだ。 そんな神聖な場所で、教師の自分が何をしているのだ。 でも、もう、理性では止められない。 カカシがやめてくれないと、自分では止められない。 「んっ、は…ぁ、カカシさっ…、お願っ、ですからっ…」 濃厚な口づけを必死に解き、感覚の遠のいた舌で精一杯に訴えた。 お願いだから、取り返しのつかない状態になる前に、早く止めて。 この程度の接触で興奮してしまうのは不慣れな自分だけなのだ。 まだまだ冷静なカカシに、続きを強制するわけにはいかない。 優しい人だから、こちらから求めたらきっと応じてくれてしまう。 「ふふっ。皆まで言わなくてもわかってます。イルカ先生の考える事は大体ね」 なんとなく、またカカシに勘違いされている気がした。 イルカがキスを拒んでいた理由と同じように。 胸の奥がざわざわしてきた。 「ちゃんと結界を張って、誰も入れないようにして、声も音も漏れないようにするよ」 ブン、という微かな震動を鼓膜に感じた。 結界を発動した時特有の音だ。 やっぱり勘違いされていた。 自分は別に、続きを求めていたわけではないのだ。 カカシに無理をさせたくないだけなのだ。 小さなひずみが積み重なっていきそうな気配に、今度ははっきりと胸が軋んだ。 |