観覧に行くか迷った。
でも、当たらなかった人たちの事を考えたら、チケットを無駄にするわけにはいかなかった。
それなのに、実際の撮影現場はあまり見ていられなかった。
スケアとカカシは、やはりどこか似ている。
セリフも、仕草も、今の自分には生々しすぎた。
まるでカカシが美しい女優たちと親しくしているように感じてしまうのだ。
寝言に出てきた人たちも、きっと美人ばかりなのだろう。
体の火照りを発散する相手にも、困ってはいなかったのだろう。
もう少しで仕事が落ち着くと言っていたのも、ミオさんと別れて余裕ができるからだったのだろう。
今朝、食卓で抱きしめられた時は、何もなかった事にしてしまおうかと思った。
でも、あの優しさはイルカだけに与えられるものではないのだ。
過去も、現在も、たぶん未来も。
本当にカカシが好きなら、そういう部分も受け入れるべきなのかもしれない。
それができたら、カカシの理想の相手になれたのかもしれない。
でも、自分には荷が重すぎる。
胸が苦しくなって、息を大きく吸い込んだ。
すべては今日の夕方で終わる。
来ないでと言ったって、きっとカカシは来てしまう。
後腐れや未練を漂わせるような事はしたくない。
新しく知ってしまった交友関係にも触れたくない。
色々あったけれど幸せだったカカシとの時間の最後を、汚したくはない。
氷が水になり、やがて蒸発して空気に溶けていくように、カカシの中から静かに消えていきたい。
「すみません、少しだけお時間よろしいですか」
スケアが撮影していたスタジオを出た所で、スタッフの人に声をかけられた。
イルカを呼び止めたスタッフが、観覧ツアーの先導スタッフに何かを伝えて、こちらへ戻ってくる。
「スケアが楽屋に寄ってほしいと申しておりまして」
こそこそと囁かれた。
他のツアー参加者には内緒で、という事のようだ。
いくら面識があるとはいえ、スケアファンの集いで自分一人だけが特別扱いを受けるわけにはいかない。
「今日は遠慮します」
「え…」
「お心遣いありがとうございます、とだけ伝えていただけますか」
一礼をして、ツアー参加者たちのあとを追おうとした。
だが、その腕をがっちりと掴まれた。
「お、お願いしますっ、あなたが来てくれないとっ、おれが怒られるんですっ」
スケアはこんな事で気分を害するような人だろうか。
「…スケアさん、スタッフさんには厳しい一面もあるんですね。もっと大らかなかたかと…」
「っ…、い、いえっ、そのっ…、お、怒るのは監督でっ…」
「監督?」
「す、スケアさんが珍しくNG出したんでっ、なんとか宥めてこいと言われましてっ、本人にどうしたらいいか尋ねたらっ、あなたとお話ができたら、という事だったのでっ」
どうしよう。
行動を共にしていたツアー参加者たちは先に行ってしまって、もう姿が見えなくなっている。
でも、自分だけがスケアに会うのは申し訳ない。
「お願いですからっ、どうかっ、この通りっ…!」
両手をひとまとめにされて、ぎゅう、と握り込まれた。
深々と頭を下げられる。
このままだと土下座までされそうな勢いだった。
「…わかりました」
スタッフの人が心底ほっとしたような顔をした。



楽屋へ行くと、スケアに出迎えられた。
「すみません、お呼び立てして」
促されるまま、ソファーに腰を下ろす。
スケアはテーブルを挟んだ向かい側に座った。
「情けない所を見られてしまって恥ずかしいです。普段はNG出さないんですけど」
「スタッフさんも、スケアさんのNGは珍しいって」
「イルカ先生がいて緊張したのかも」
「え、あ、すみません。すぐに帰ればよかったですね。すみません」
「ちがっ、冗談ですっ、悪いのは全部オレでっ、というか、全部演技でっ」
スケアが本気で慌てているように見えた。
逆に申し訳なくなってくる。
「…なんか、すみません」
「いえっ、イルカ先生が謝る事はひとつもなくてっ、ほんとに演技が悪くてっ、むしろ全部演技なんですけどっ…」
心なしか、スケアが「全部演技」という言葉を多用している気がした。
演技にこだわりがあるのだろうか。
たしかに、生で見るスケアの演技力には驚いた。
後半は少し崩れたようだけど。
「スケアさんの演技、すごかったです。すごく自然体で、リアリティがあって…」
「っ…、全部演技ですけどねっ、ただの役柄であってっ…」
演じている時のスケアの姿が頭をよぎった。
思わず目を伏せてしまう。
関係ないとわかっているのに、どうしてもカカシと重なってしまう。
「…今日のイルカ先生、あまり顔色がよくないみたいなんですけど…。何か、あったんですか」
ひく、と顔を上げた。
どうしてスケアには気づかれてしまうのだろう。
「また、恋人と何かあったんですか…?」
心配するような優しげな声だった。
察しがよすぎる。
涙腺が、ぐらっときた。
「誰かに話したほうが、楽になりませんか…?」
とどめを刺すようなひと言だった。
か細い息をつくと、少しだけ肩の力みが抜けていく。
「…俺の他に…お付き合いされている女性が、複数いるみたいで…」
「え…」
「過去に妊娠させた女性もいたみたいで、お子さんが…いるかも…しれなくて…」
できるだけ感情を挟まないようにしたけれど、語尾がかすれた。
スケアは絶句している。
こんな厄介な話を聞かされたら、そうなるだろう。
迷惑でしかないと思うのに、気持ちも言葉もどんどん込み上げてきてしまう。
「そのかたたちと会うのに忙しいなら、無理して俺の所になんて来なくていいのに」
自分はただ、カカシを大事にしたいだけなのだ。
零れそうになった涙を、指の背で拾った。
聞いてくれる人がいると、ついつい喋ってしまう。
「…来ないでって…そういう…」
「え…?」
「あっ、のっ…、無理なんてしてないと思いますっ、忙しくても会いたいからイルカ先生の所に行っていた、って事じゃないですかっ…」
スケアは、とてもきれいな言い方をしてくれた。
でも、現実はそんなに甘くない。
「どうなんでしょうね…。俺が独占できる人だとは、最初から思っていなかったですし…」
「さ、最初からっ…? そんなさみしいこと言わないでくださいよ…。イルカ先生なら独占できるに決まってるじゃないですか…」
なんていい人なのだろう。
こんなくだらな話を真剣に聞いてくれて、励ましてもくれる。
相手の事も、けして悪く言ったりしないで。
「悪い噂って事はないですか…? その、う…浮、気の…証拠とかも、ないんですよね…?」
「証拠というか…、本人が言っているのを聞いてしまって」
「そんなわけっ…」
「寝言だったんです。たぶん、俺とミオさんという人が浮気相手で…。本命はユイさんかリエさんか…。本妻がいればサキさんという人かもしれません」
自分で言いながら、悲しくなってきた。
カカシの醜聞を耳にした事はあるけれど、ただの噂でしかないと思っていた。
惚れてしまうと、都合の悪い事が見えなくなるのかもしれない。
ぱた、と微かな音がした。
ぱた、ぱた、と同じような音が続く。
こちらに身を乗り出していたスケアの顔から、テーブルに落ちていた汗の音だった。
いつもは汗なんてかかないような、涼し気な顔をしている人なのに。
目も虚ろで、小刻みに震えているようにも見える。
「スケアさん…? 大丈夫ですか…?」
「な、何か…何か事情が…、あったのかも…しれないじゃないですか…」
「俺の事より、スケアさんが…」
「オレは大丈夫ですからっ…。それよりっ、仕事上の会話が寝言になった、って可能性もあるんじゃないですかっ…」
「…好き、って。別れて、って。捨てないで、って。妊娠させた、って。仕事上の会話だと思いますか」
「うっ…、で、でもっ、相手の言い分も聞いてみないとっ、ちゃんと話し合ったほうがっ…」
「これから別れ話に…」
「別れっ…! わ、別れるなんてっ、そんなっ、早まらないでくださいっ…!」
コン、コン、コン、とドアを叩く音がした。
はいっ…! と応じたスケアの声は、なぜか悲鳴のようだった。
「間もなく本番です。よろしくお願いします」
スケアを呼びに来た人は、事務的な早口で言って慌しくドアを閉めた。
「長居してすみません」
こちらも急いでソファーから立ち上がった。






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2019.03.21