カカシとは七班の担当になった事がきっかけで、たまに飲みにいくようになった。 面識を持つ前は、下忍をことごとくアカデミーに送り返す上忍、という認識しかなかった。 てっきり、癖のある偏屈な人なのかと思っていた。 でも全然違った。 気さくだし、けっこう笑ってくれるし、下忍たちを見守る目もあたたかい。 戦場に出れば一変するのだろうけれど、里の中では「至っていい人」という印象だった。 その上、大部分が隠れていてもわかるほど顔は整っているし、スタイルはいいし、高給取りだし。 狙っている女性は多そうだ。 噂話も事欠かない。 主に女性関係の。 カカシは誰も好きにならない、とか。 体の関係だけで、まともな交際はしない、とか。 複数と同時進行で、飽きたらあっさり捨てる、とか。 一度でも面倒事が起きたら終わり、とか。 それらに少なからずショックを受けるくらいにはカカシに好感を抱いていた。 意識しているから余計にカカシの話題が耳に入りやすくなっているのかもしれない。 実際に会うカカシにそんな非道な雰囲気はないのに、イルカの知らない所ではそういう一面があるのでは、と時々頭をよぎる。 一緒に飲みに行く程度の浅い関係では、本当の姿を見せる必要もないのだろう。 それでもカカシと飲むのは楽しいから、疲れている時でも、つい誘いに乗ってしまう。 あの日は、酔いが回るのがやけに早かった。 だからといって、まさかあんな事になるなんて思いもしなかった。 まったく記憶がなくて。 でも翌朝の体にはそれなりの余韻があって。 いきなり、体の相性がよかったから付き合おう、だなんて。 意識のない体を弄んだ挙句、またヤらせろ、と言っているだけじゃないか。 すぐにあの噂がよぎった。 じわっと涙の滲んだ目元を、咄嗟に布団で隠していた。 好きでもないのに体だけは繋がろうとしてくる事を、悲しく思うくらいにはカカシを好きになっていたのだと、この時になって初めて気がついた。 女性経験も男性経験もなかったのに、カカシが初めての人だったのに、あらぬ疑いまでかけられて。 続くカカシの言葉はすべて、体だけの関係を正当化するための言い訳に聞こえた。 取ってつけたように好きだと言われて。 責任感以外の理由がわからなくて。 つとめて冷静でいようとしているのに、こちらを惑わす事ばかり返してきて。 里でトップクラスの上忍に、泣きそうな声色で嫌いかと尋ねられて。 それが嘘でも演技でも、自分が悪い事をしたような気分になってきて。 こうやって数々の人をたぶらかしてきたのだろうとわかっても。 考えがまとまらなくて戸惑っている時に、さらに重ねて交際を申し込まれて。 せっかく好きな人と付き合える機会なのに、何を躊躇っているのだろうと思えてきた。 カカシのような立派な人と、自分のような凡人ではつり合わないよな、とか。 こういう状況になったら好きだと言えば面倒事には発展しないと思っているのかな、とか。 どうせすぐに別れを告げられるんだろうな、とか。 今だって他に関係を持っている人が複数いて、たまたま空席がひとつあるタイミングだっただけなんだろうな、とか。 自分なんて所詮、誰かに席を渡すまでの繋ぎで、数ある中継地点のひとつでしかないのだ。 だったら、ほんの一瞬くらい末席を汚しても、カカシの輝かしい経歴に影響はないだろうか。 自分の気持ちには常にブレーキをかけて。 けして騒がず、浮かれず、迷惑をかけず、その時が来たら潔く明け渡すから。 カカシとの特別な時間を、どうか許してほしい。 「…わかりました。お付き合い、させていただこうと思います」 了承してからも次々と甘い言動を繰り出してくるカカシに、流されてはいけない、と強く心に誓った。 カカシとの時間は信じられないほど幸せに満ちていた。 ときどき身の丈を忘れそうになる。 普通の食事が、普通の会話が、どうしてこんなに嬉しくて楽しいのだろう。 意識のある状態で初めてカカシに抱かれた時もそうだった。 カカシの都合だけで使い捨てるように扱われる事を覚悟していたのに。 乱暴な所はひとつもなくて、気持ちよさしかなかった。 快感が続く苦しみがあるのだと初めて知った。 肌を合わせていない時でもカカシはいつも優しくて誠実で、好意を表す事にもためらいがなくて、唯一の恋人のように接してくれる。 任務で訪れた各地に情人がいてもおかしくないような人なのに、他の交際相手の気配も感じさせない。 すべてはカカシの豊富な経験によって培われた能力なのだろう。 だから思う。 どうしてその有能さをイルカ程度の相手に消費するのか、と。 無駄だとか、もったいないとか、惜しむ気持ちはないのだろうか、と。 色々な味をつまみ食いしているのが楽しいのだろうか。 たまには変なものを試したくなったのだろうか。 イルカの体が目的で始まった関係なのに、キスだけ、食事だけ、お茶だけ、会うだけ、という日もあって増々わからなくなる。 カカシほどの上忍が忙しくないわけがないのに。 性行為という主たる目的を果せないのなら、わざわざ時間を作って会わなくてもいいじゃないか。 怖いのだ。 すごく怖い。 日に日にカカシを好きになる。 こちらの気持ちを考えずに体の関係を持つような人なのに。 いつでも別れる準備ができていると匂わせる予防線を張るのが精一杯で、ブレーキなんて全然かけられない。 一緒だと楽しくて、いつの間にか料理まで好きになっていて。 どうせカカシは一時的な付き合いしか求めていないのに。 離れたくない気持ちがどんどん強まっていく。 カカシの重荷になんてなりたくないのに。 たった一度しかない大切な初めての時間を忘れてしまった後悔も膨らんでばかりいる。 これ以上、カカシに心を近づけたくないのに。 明日や明後日に終わりが来るかもしれないのだ。 カカシにあからさまな好意を示す相手はたくさんいる。 イルカの代わりにカカシが出席してくれた飲み会の事も、後日ゲンマが様子を話してくれた。 かなり盛り上がったようで、カカシも満更ではなかったらしく、最終的には女性数人と連れ立って帰ったそうだ。 ゲンマが誘ってきたような飲み会に、仮とはいえ恋人がいる時に出席する事に対して、自分は否定的だけど、カカシはそうではないだろう。 やけにこだわっていたから、最初からカカシは飲み会に興味があるように見えた。 だったら、こちらの主義を押しつけるわけにもいかない。 何より、あの飲み会でゲンマの求める参加者としてカカシは適任だと思った。 そうなれば、自分にできるのはカカシが変に気を遣わないように背中を押す事だけだ。 別の日には、カカシが女性と親しげにしてる所を実際に目撃した。 休日に入った急な受付の手伝いを終えて、イノイチと行き会った時だ。 警戒心の低くないカカシが白昼堂々、若い女性と親密な距離間で接していた。 共に過ごすあいだは、どんなにイルカを尊重してくれたとしても、周りはカカシを放っておかない。 カカシのほうも、向けられる好意に応える事への抵抗が薄いのだろう。 今までも、これからも、カカシはそういう人なのだ。 交際は1対1であるべき、というこちらが勝手に培ってきた価値観に当てはめる事が間違っている。 そんなカカシを理解したいとは思う。 だけど、カカシだってイルカひとりに100%を注いだり、100%を受けとめたりしたいとは思っていないだろう。 自分だけが特別なのではない。 日中は考えすぎないようにできても、最近は夜に風呂でひとりになると心許なくて泣いてしまう事が増えた。 毎朝、目元に名残がないか確認する事が日課になっている。 名残があっても対処の方法は心得ているので、誰にも気づかれた事はない。 書類を渡しに三代目に会っても、何も言われなかった。 大丈夫だ、今日もちゃんと隠せている。 「ついでで悪いが、これをカカシまで届けてくれるか。今は待機所におる」 自分にとって特別な名前に、ぎくりとした。 それでも平静を装って、はい、と短く返事をする。 差し出されたのは、三代目の机にあったA4サイズ程度の白い封筒だった。 受け取ると、厚みがあるわりには軽かった。 「あいつにもそろそろ身を固めてほしいんじゃが」 心臓が、ぎゅっとなった。 とうとう来た。 「そうですね。カカシ先生に届けてきます」 失礼します、と挨拶をして火影室を辞した。 この封筒にはきっと、身上書や見合い写真が入っている。 カカシは結婚にこだわりがなさそうだから、勧められたら受け入れるのではないだろうか。 足を引っ張るような事はしたくない。 最初からそのつもりだった。 自分の役目はここまでだ。 たぶん、頃合いだったのだ。 任務でもないのに日々の感情を抑え込んで、気持ちに蓋をするなんて。 わかっているのに、気がついたら唇を噛みしめていて、慌てて口元の力みを抜いた。 なんでもない事のように、自然に、普通に、いつも通りの顔で、声で、カカシに渡すのだ。 待機所の前で立ち止まり、丹田に力を入れた。 |