子どもたちとの生活を守れるのなら、護衛なんて誰でも同じだと思っていた。
でも、初めて対面した時から彼は違っていた。
こちらのやりたい事を、否定せず、妨げず。
すべてを片付けてから子どもたちを探そうとしたら、すでに連れてきてくれていた。
以心伝心というものは本当にあるのかもしれない。
今までの人たちとは、あきらかに違う。
この人なら大丈夫だと直感した。
まだ、名前も知らないのに。
子どもたちと彼の車に乗る事にも、なんの抵抗もなかった。
そもそも警戒心が湧いてこない。
非常事態で脳が興奮状態になっているのかもしれない。
だから、念のためヤマトに連絡を入れた。
「新しい護衛の人って、この銀髪の人でいいんですよね? その人の車に、もう乗っちゃったんですけど」
「駄目でしょう…! 素性のわからない奴の車なんて乗っちゃっ…!」
声を荒らげたヤマトに、すいません、と笑いながら謝った。
「あ…、いえ…、こちらこそ取り乱してすみません。これからは気をつけてください。その銀髪で正解です」
それだけ聞ければ充分だった。
ヤマトにお礼を言って、電話を切った。
初めて乗る車には興奮して騒ぐ子どもたちも、イルカの左右でシートに大人しく身を沈めている。
さすがに怖かったのだろう。
安心させたくて、2人の肩に手を回す。
「申し遅れました。はたけカカシです。よろしくお願いします」
そう言いながら、車外にいた彼が運転席に乗り込んできた。
とても静かで、落ち着いた声だった。
はたけ、カカシ、というのか。
「今ヤマトから電話があって、名前くらい先に伝えろ、と注意されました。すみません」
「俺もヤマトさんに叱られちゃいました。素性のわからない人の車に乗るなんて、って」
こんなに正直に、笑って不安を吐き出すのは、どれくらいぶりだろう。
最近は、ずっとピリピリしていた。
簡単に人を頼れた事が、自分でも信じられない。
緩やかな加速で車が動き出した。
彼の運転する車はシェルターの中にいるみたいな気分にさせてくれる。
「でも、しょうがないですよね。この人なら大丈夫って思っちゃったんですもん。こういうのも一目惚れっていうんですかね」
やけに饒舌になっている自分から出た何気ない言葉に、とくん、と心臓が跳ねた。
あれ? あれ? と思っているうちに、どんどん胸の鼓動が早まってくる。
一目惚れって、そういう意味で使ったわけじゃないのに。
こっそり運転席を盗み見る限り、彼は無反応だった。
それはそうだろう。
期待するほうがおかしい。
彼の仕事はイルカの接待ではなく、護衛だ。
能力の高さは、この数十分で実感している。
前任者たちのように短期間で辞めてほしくはない。
疎まれない距離感を築いていきたい。
「カカシさん、って呼んでもいいですか」
「…どうぞ、ご自由に」
カカシの返事に感情はなく、淡々としていた。
当然の事なのに、しゅん、と気持ちがしぼんでいく。
「…イルカ先生、とお呼びしたらいいですか」
嫌だ、と咄嗟に思った。
カカシは単に、ヤマトや子どもたちに倣っただけだろう。
でも、カカシには先生扱いをされたくない。
「先生は…なし、じゃダメですか…?」
本心をそのまま口にしていた事に気がついて、かぁーと頬が熱くなる。
くだけた呼び方を求めるなんて、もっと親しくなりたいと言っているようなものじゃないか。
愛の告白ほどではなくても、子どもたちの前でする事ではなかった。
敬称なんて、相手の呼びやすいものであれば、なんでもいいだろう。
カカシは、友だちでも、親戚でも、ましてや恋人でもないのだ。
自分の恥ずかしい発言を聞いた子どもたちの反応が心配になって、慌てて左右を確かめる。
2人とも、うとうとしていて目を閉じかけていた。
ほっとして、カカシに「忘れてください、それでいいです」と言い直そうとした時だった。
「…イルカさん、でもいいですか」
どきっ、とした。
名前を呼ばれただけなのに。
さらに熱を上げた頬を、両手で覆う。
「は、い…。よろしく…お願いします…」
たどたどしく応えると、ルームミラー越しにカカシと目が合った。
途端に、さっと逸らされる。
もしかして、カカシも照れているのだろうか。
いや、気まずかっただけだろう。
カカシの些細な動きに敏感になりすぎている。
まさか、本当に恋愛的な好意を持ってしまったのだろうか。
カカシを好きになってしまったのだろうか。
「滞在先に向かっています。寄りたい所があったら教えてください」
事務的で冷ややかなカカシの声を聞いても、胸のざわめきが収まる事はなかった。



寝室はメインとサブの2部屋と、スタッフ用の1部屋。
キッチンと浴室も、メインとスタッフ用が別々にある。
高級ホテルのスイートルームなだけあって、リビングも広い。
滞在先を手配してくれたのはヤマトだった。
別荘代わりに使っていた先代の契約が残っていたのを思い出してくれたのだ。
この部屋に来てから、夕食後に子どもたちを入浴させてから自分が入る、という流れができた。
最近は、そのあいだにヤマトが子どもたちを寝かしつけてくれている。
いつものように腰にタオルを巻いて、髪を拭きながら浴室を出ると、リビングにカカシがいた。
音量を絞ったテレビをかけながら、ソファーで新聞を読んでいる。
物静かで落ち着いたカカシの雰囲気のおかげで、風呂上りでも気兼ねなくうろうろできる。
こんな安心感は久しぶりだ。
信頼できる人がそばにいてくれるだけで、ずいぶんと違うものだ。
カカシには前任者たちと同じく副寝室を、ヤマトにはスタッフ用の部屋を割り振ってあった。
自分は子どもたちと一緒に主寝室を使う。
標準ではベッドは2台だけど、1台追加してもらった。
2台だと、どちらがイルカと寝るかで毎日ケンカになっていたのだ。
「あいつら、もう寝ましたか」
「そのようです。今日は早かったってヤマトが。ヤマトは寝る準備とやらをしに行きました」
ヤマトの寝る準備は、こだわりのルーティーンがあるようだった。
アロマを炊いたり、癒しの音楽をかけたり、気温や湿度を調節したり。
冷蔵庫を開け、入浴前に冷やしておいた水道水を取った。
この国の人々が納めた血税からいただいた歳費で、ミネラルウォーターを買うなんて贅沢は、できるだけ控えたい。
「そんな格好でいたら…、風邪を引きます」
「大丈夫ですよ。俺、体は丈夫なん…」
後ろから、肩にバスローブをかけられた。
振り向くと、カカシはもう背中を向けていた。
目が合わない。
それどころか、風呂を出てからカカシの顔を見ていない気がする。
絡みつくような視線を送られるよりはいいけれど、少しさみしい。
「…ありがとうございます」
「いえ」
言動は優しいのに、声は素っ気ない。
裸に近い格好をだらしないと思われたのだろうか。
カカシは何事もなかったようにソファーに戻って、新聞をめくっている。
「カカシさんも適当に休んでくださいね」
「はい」
「風呂も好きに使ってください」
「オレは奥で入ります」
スタッフ用の浴室の事だろう。
「でも、ヤマトさんの準備、長いですよ? あと1時間はかかると思います」
「…すいません。やっぱり使わせてもらいます」
カカシがそそくさと自室から着替えを持ってきて、浴室へと向かった。
結局、目が合わなかった。
次からは、カカシに嫌悪感を抱かれないように、何か身に着けてから出てくるようにしよう。
寝間着にしている浴衣に、今日は早々に着替えた。
ダイニングテーブルに資料を広げ、明日の後援会で話す内容をまとめていく。
10分ほどして、カカシが出てきた。
白いTシャツに、七分丈の黒いボトム姿だった。
長い前髪をオールバックにしていて、隠れていた素顔が露わになっている。
左目に、大きな傷が縦に走っていた。
顔の傷なら、自分にもある。
その共通点を持つ人と出会ったのは、カカシが初めてだった。
嬉しくて、思わず笑みが浮かんでしまう。
「おそろいですね」
何が? という様子でこちらを向いたカカシと、ようやく視線が重なった。
鼻の傷を撫で、自分の左目の、カカシの傷の位置を指先で辿る。
あの冷静なカカシが、ぅわっ、と声を上げてもおかしくないような驚いた顔をした。
浴室を出てきた時には感じなかった、カカシの頬や耳の赤らみに、急に目が行く。
でもすぐに、首にかけていたタオルで水分を拭き始めた事で見えなくなってしまった。
そのままカカシは何も言わずに自室に入っていった。
無視、されてしまった。
おやすみなさい、も言えなかった。
わずかに覗いたカカシの横顔は、くしゃっと歪んでいるように見えた。
顔の傷がコンプレックスだったのかもしれない。
余計な事を言ってしまった。
ほとんど目が合わないし、無視までされて。
もしかして、もう嫌われてしまったのだろうか。






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2020.12.20