なんなんだ、なんなんだ、なんなんだ。 気を許してくれているのは伝わってくるけれど、無防備すぎるだろう。 危うく勃起する所だった。 どうして半裸で出てくるのだ。 湯上りのイルカは、舐めてくれと言わんばかりの溶けかけのアイスクリームのようだった。 目のやり場がない。 あの姿を前任者たちも見たのだろうか。 少なくても、イルカのベッドを穢した男は見たはずだ。 他の男たちも見た、と思うだけで腹が煮え返ってくる。 彼らがイルカに性的な目を向けたかどうかは関係ない。 今からでも全員の眼球を潰しに行ってやりたい。 イルカを見ないように、意識しないように振る舞うのが精一杯だった。 心も体もこんなに中途半端な状態で、1時間も入浴を待つなんて耐えられなかった。 逃げるようにシャワーを浴びて出てくれば、無邪気に「おそろいですね」なんて。 顔の傷について指摘される事は、今までマイナス面ばかりだった。 きれいな顔に傷がついてもったいない、とか。 犯罪者みたいだから隠して、とか。 それを初めて、あんなに嬉しそうに言われたこちらの気持ちが、イルカにわかるだろうか。 しかも、2人分の顔傷をなぞる仕草まで付けて。 愛くるしい、としか言いようがなかった。 誘っているようにしか見えなかった。 加えて、あの浴衣姿だ。 ゆったりと着付けているせいで、襟から胸元、足回りが緩くて、肌がちらちら、ちらちら、と。 半裸より、エロい。 同性に対して欲情を含む好意を抱いた事などないのに。 冷水で必死に己を収めてきたのは無駄な抵抗でしかなかった。 あきらかな兆しを隠しきれない気まずさから、無言で自室に直行した。 部屋の奥である窓側の隅に寄り、携帯電話を取り出す。 ヤマトから貸与されたものとは別の、個人用のほうだ。 馴染みの女性に電話をした。 だが繋がらなくて、メッセージを送る。 『これから会えない?』 こちらの意図は、これで伝わるはずだ。 あとは折り返しの連絡が来るまで、気を紛らわせるしかない。 何かをしていないと、自分が駄目になってしまう気がする。 洗濯でもしようか、と思い立った。 まとめてクリーニングに出すつもりだったけれど、時間をつぶすには具合がいいかもしれない。 落ち着け、落ち着け、落ち着け、と3回唱え、深呼吸をして部屋を出た。 リビングは薄暗い間接照明だけになっていた。 イルカはいない。 ほっとして、洗面室へ向かう。 いつ連絡が来てもわかるように、見やすい位置に携帯電話を立てかけた。 備えつけの洗濯機は、カカシが入浴する前から稼働中だった。 自分ひとりの分なんて、手洗いしても大した量ではない。 洗面台のくぼみに湯を浅く溜め、洗剤を溶かした。 衣類をがしがしと無心でこする。 すると、ほどなくして電話がかかってきた。 手が濡れているので、スピーカーフォンで応じる。 「どーも」 「もう。いつも急なんだから。今どこなの?」 「六本木」 リビングから物音がした。 スピーカーをオフにしようと、タオルを取る。 視界の隅に人影が入った。 「だったら高層階のホテルにしてね。窓際で夜景を見ながら立ちバックで挿れてほしいわ」 慌てて電話を切った。 なんて言葉を使ってくれたのだ。 そういう明け透けな所が気楽な相手だったけれど、今は非常に困る。 リビングに来たのが、ヤマトなら問題ない。 この際、未成年のナルトや木ノ葉丸でも構わない。 とにかく、イルカ以外なら。 「…ケータイ、目覚ましにしてるのにリビングで充電してたの忘れてて…」 申し訳なさそうなイルカの声がした。 体の中央から、嫌なリズムの動悸が聞こえてくる。 戦場で追い詰められた時のように息が上がる。 思考が停止している。 いくつもの修羅場をくぐってきたのに、この状況での最善策がわからない。 選択肢すら浮かばない。 イルカが電話を聞いていなかった、という可能性に縋る以外、何も。 「…すいません、立ち聞きしてしまって」 駄目だった。 もう何も手立てがない。 しかも、謝るべきは自分のほうなのに、イルカに先を越されてしまった。 そんな事さえ気が回らない自分は、一体どうしたらいいのだ。 「俺、今日はもうここから出ないので、夜は…自由に行動してくださって…大丈夫、ですから…」 絞り出したような、かすれた声だった。 おそるおそるリビングのほうを向く。 陰になったイルカの顔は、怒っているわけでも笑っているわけでもなかった。 「朝…までに、戻って…いただけれ、ば…」 悲しげな響きに、胸をえぐられた。 イルカに、女を抱いて朝帰りすると思われた。 軽薄な男だと思われた。 自分のだらしない部分を知られてしまった。 イルカを幻滅させた。 「先に…休みます。おやすみなさい」 踵を返したイルカの目元が、洗面室の明かりを反射してわずかに光ったように見えた。 涙なのか。 まさか泣かせてしまったのか。 信頼を裏切ったから。 それとも他の理由があるのか。 自分の不甲斐なさに、返事さえできない。 足も動かなくて、追いかける事もできない。 不用意だった。 あんな連絡なんてしなければよかった。 後悔しかない。 元はといえば、イルカの色気に当てられたのがいけなかった。 それを安易に誤魔化そうとしたのもいけなかった。 プロ失格だ。 仕事中に私用で対象から離れようとするなんて、自覚に欠けていた。 この国に来て気が緩んでいたのは、自分のほうだった。 ようやく頭が冷えてきた。 体にこもっていた熱も、いつの間にか消えている。 明日、朝一番でイルカに謝ろう。 こんな事は二度としないと伝えよう。 手が自然と携帯電話に伸びていた。 さっきの女性も含めて、肉体関係のあるすべての相手の番号を着信拒否に設定する。 メッセージも受信拒否にした。 反省を込めて、音を立てないように丁寧に洗濯をして、水分を硬く絞った。 明かりを落として自室に戻る。 濡れた服をハンガーに通して、窓側にかける。 明日の準備をして、ベッドに入った。 イルカに誠意を見せたい。 信頼を取り戻したい。 護衛初日で浮ついていた。 もっと冷静にならないといけない。 今日はおかしかった。 笑顔に惹かれて、人柄に惹かれて。 かわいく見えたり、色っぽく見えたり。 ヤマトに嫉妬して、前任者たちに嫉妬して。 自分はこんな単純な人間ではなかったはずだ。 それなのに。 もう後戻りはできないかもしれない。 もう自分の気持ちから目を逸らせないかもしれない。 もう好きになってしまったのかもしれない。 map ss top count
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