青みがかった灰色の長髪に、ニヤついた口元。
すぐに記憶の中で符合した顔があった。
自分の携帯電話を取り出して、保存されていた写真を確認する。
やはり、警護初日に公園でナルトが気味悪がっていた男だ。
もう一度、ヤマトの画面に目を移す。
前科は窃盗。
名前はミズキ。
高齢かと思ったが、書かれている年齢は自分とそれほど変わらなかった。
イルカの後援会にも入っている。
はっとした。
イルカが急遽ゲスト参加した講演会にいた男と、同一人物ではないのか。
あのとき男の共通点に気がついていれば、もっと早く逮捕できたかもしれない。
公園での陰湿な表情と、講演会での穏やかな表情とでは、別人と言えるほど顔が違っていて見抜けなかった。
だが、後悔と反省を引きずってばかりもいられない。
かなり精度の高い爆発物を作って仕掛けるまで、すべてをミズキが1人でやったとは思えないのだ。
イルカの詳細なスケジュールを把握していた理由もわからない。
「これでひと安心ですね」
ヤマトの清々しい口調に違和感を覚えた。
きっと共犯者がいる。
1人逮捕された事で少しは解明されるだろうが、まだ油断はできない。
ぐび、とコーヒーを流し込んで、寝間着のまま見回りに出た。
建物の周りから細部を調べていく。
身を屈めて、床下の換気口も覗いた。
2階のベランダから梯子をかけて、雨どいや屋根の上の隅々まで確かめた。
明るいおかげで作業が捗る。
あやしい点も、特になかった。
外の遊具や庭一帯の見回りに移るために、階段を下りた。
途端に、いい匂いがしてくる。
イルカが起き出していて、キッチンに立っていた。
「カカシさん、朝メシ食べませんか。ちょうどシャケと卵が焼けました」
イルカの手料理。
その甘い誘惑に、勝てるわけがなかった。
「ごはんとみそ汁はレトルトですけど」
「いただきます」
「みそ汁の具、何にしますか? とうふ、わかめ、ネギ、ナス、なめこ…」
「ナスにします」
見回りを中断して、部屋で簡単に着替えてからキッチンに戻った。
イルカの周りで支度を手伝う。
目を配り、できる事をしていたら、ぼんやりと疑問が湧いてきた。
キッチンで、イルカと、朝食の支度?
ここまで平和と幸福しかない世界が、現実にあるものだろうか。
まさか夢なのか。
心配になって、箸で手の甲を突いた。
ちゃんと刺激がある。
これは、幻ではなく、現実なのだ。
改めて理解したら、胸が震えた。
幸せの定義なんて考えた事がなかったけれど、今わかってしまった。
自分の場合は間違いなく、今の状態をいうのだ。
ダイニングテーブルで勉強をしている子どもたちの邪魔にならないように、キッチンカウンターに2人分の食事を並べた。
イルカと共に席に着くと、それだけで幸せが増えた気がした。
「「いただきます」」
心からの感謝の声が、イルカときっちりと重なった。
言葉にならない喜びが、腹の奥からじんじんと込み上げてくる。
自分の人生に、こんなにも輝いた瞬間が訪れるとは思っていなかった。
室内に満ちたあたたかな空気を胸いっぱいに吸い込んで、まずは鮭から箸をつけた。
焼き具合が絶妙だった。
皮はパリパリで、身はふっくらジューシー。
続いて卵焼きを口に運ぶ。
塩気と甘みのバランスが最高。
しっとり感も、ふんわり感も、完璧。
カカシの好みを調べたのだろうか。
いや、調べた所でわかるはずがない。
そんな記録はどこにもない。
偶然なのだろうか。
イルカと味の好みが合致しているのだろうか。
体の内側から、次から次へと幸福感が溢れてくる。
今が人生の絶頂期なのかもしれない。
ふと、視線を感じて顔を上げた。
こちらを見ていたイルカが、おいしそうにもぐもぐしながら、嬉しそうに微笑んでいた。
ああ、なんて幸せなんだろう。
「半分はレトルトだけど、そこまでおいしそうに食べてもらえると、こっちまで嬉しくなります」
イルカの言葉に胸が、きゅう、となった。
恥ずかしい。
内心が顔に出ていたなんて。
というか、それをイルカが喜んでくれるなんて幸せすぎないか。
少しのあいだくらい、無理に表情を消そうとしなくてもいいだろうか。
「なんで笑ってるんだコレェ?」
「六代目が笑ってるの、初めて見たってばよ」
食事と幸せを噛みしめているうちに、ナルトと木ノ葉丸の課題が終わったようだった。
「先輩って、そんな顔できたんですね。僕も初めて見ました」
「もう、なんなの…。オレだって人間なんだから…」
イルカ以外の、その他の視線がわずらわしくなって、後半は駆け足で朝食を終えた。
食器を流しへ運び、洗い物を始める。
「もうブランコ行っていい?」
「イルカ先生も一緒に行こうコレェ」
「片付けしてからな」
「それはオレが。イルカさんは行ってきてください」
イルカはカカシだけのものではないのだ。
自分より子どもたちの気持ちを優先したつもりだったけれど、イルカがどこかさびしげな顔をした。
昨夜、車にもたれて星空を見上げていた時と同じように。
「すいません、何か…」
「あっ、片付けありがとうございます、お任せしちゃってすみません、ああ、そうだ。俺、カカシさんの部屋で寝てたんですよね」
いかにも取り繕ったような早口が返ってきた。
部屋というか、同じベッドで寝ていた。
後ろめたさが重なって、はぁ…、まぁ…、と曖昧に答える。
「ナルトも木ノ葉丸も先に起きてたから気がつかなかったんですけど、カカシさんの安眠を妨げていたらすみません」
「いえ、とんでもない」
大変よく眠れました、とお礼を言いたいくらいだった。
この後ろめたささえなければ。
「イルカ先生、早くってば!」
腕を引かれたイルカが、子どもたちと3人で玄関へ向かった。
ドアが閉まる前に、イルカの携帯電話が鳴った。
仕事関係なのか、敬語で話すイルカの声が遠くに聞こえてくる。
キッチンと繋がった居間の大窓から、ブランコに駆け寄っていくナルトと木ノ葉丸が見えた。
イルカは通話しながら、ゆっくりと2人のあとを追っていく。
そういえば、まだ庭の安全確認が終わっていなかった。
少し不安になって、ブランコに目を凝らした。
骨組み、金具、土台は、あんな形状だっただろうか。
余計なもの、見慣れぬものは、付いていないだろうか。
いや、この距離で見る限り問題はない。
ブランコを囲む低い柵にも、特に不自然な箇所はない。
柵の脇に置かれた手作りのベンチも、一部塗装が剥がれているくらいか。
いや、座面の裏にあんな部品はついていただろうか。
ベンチの構造的に不自然じゃないか。
異物を否定する材料が見当たらなくて、洗い物の手を止めた。
ナルトはブランコを漕ぎ始めている。
木ノ葉丸も柵に掴まって順番を待っていた。
イルカはブランコではなく、脇のベンチのほうへ向かっているように見えた。
玄関で靴を履く時間が惜しかった。
ウッドデッキへと続く大窓へ走り、開けて外に飛び出しながら叫ぶ。
「ブランコから離れろ!」
静かな庭に響き渡り、イルカと木ノ葉丸が振り返った。
ナルトも途端に漕ぐ力を緩める。
裸足で3人の元へ走りながら、尚も叫んだ。
「家側に来てください! とにかくベンチから離れて!」
それでもイルカは子どもたちの所へ行こうとする。
ブランコを飛び降りたナルトが、木ノ葉丸と共にイルカに駆け寄った。
イルカが左右に2人を伴って、ようやくこちらに向かってくる。
自分も3人と合流して、踵を返した。
視線は後ろのベンチに向けたまま、3人の背面を守るように走る。
思い違いだったら、それに越した事はない。
移動音に交じってベンチのほうから、カチ、という乾いた音が微かに聞こえた気がした。
枝葉のこすれた音かもしれない。
だが直後、激しい爆発音と共にベンチが真上に吹き飛んだ。
煙のような土埃と、その中心から何メートルもの高さの火柱が上がる。
爆発の仕方、火柱の上がり方は、ショッピングモールの時と酷似している。
だが、威力は何倍もあった。
視線を戻すと、状況の一部始終を見届けられるウッドデッキに、暗い目をしたヤマトが幽霊のように佇んでいた。






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2021.12.05