薄々は気がついていた。
すべての犯行に関われるのはヤマトくらいだろうと。
でも、証拠はないし、動機もわからなかった。
イルカを尊重する姿勢が偽りだったとも思えない。
「警察と消防に連絡をお願いします。イルカさんは子どもたちと、この辺りにいてください」
不安そうな顔をしたイルカが、子どもたちをぎゅっと引き寄せた。
イルカの背中が、いつもより小さく見える。
その背中を抱きしめる余裕のない状況を、回避できなかった事が申し訳ない。
せめて、子どもたちを頼みます、という意味を込めてそっとさすり、ウッドデッキのほうへと踏み出した。
枝の爆ぜる音や異様な焦げくささの中で、1歩ずつ、ゆっくりと、慎重に、距離を詰めていく。
ヤマトが膝から崩れ落ちた。
虚ろな黒目に炎を映し、頭を抱えて震えている。
「僕が…? イルカ先生を…? ナルトを…? 木ノ葉丸を…? 嘘…だ…。嘘じゃ…な、い…?」
ヤマトは困惑というより、混濁しているように見えた。
錯乱して襲いかかってきた場合、イルカたちを守りながら戦う事になる。
過去、ヤマトと本気の1対1で負けた事はないが、けして弱い相手ではない。
「みんなが寝静まってから…僕がベンチに爆弾を…体が勝手に動いて…」
絞り出したようなヤマトの呻き声は、悲痛なほど苦しげだった。
これほど動揺している者が、悪意を持って意識的にイルカたちを襲っていたとは思えない。
「急な外泊だったから…入眠環境が整わなくて…。志村先生の所から移籍する時…必ず毎晩するように言われていたのに…」
入眠環境、志村、毎晩。
ヤマトの呟きには、志村による暗示や洗脳の気配を感じた。
もしそうだとしたら、志村はどうしてそんな事をしたのだ。
気味が悪い。
イルカという若く有能な同業者を蹴落とそうとしたにしては乱暴すぎないか。
私怨でもあったのだろうか。
「…イルカさん、志村とはどういう関係なんですか」
視線をヤマトに定めたまま、後ろに向かって尋ねた。
「俺はそれほど面識がないんですが…。先代の…、三代目とは同志のような…戦友のような…ライバルのようなかたで…」
「怨恨は」
「…ダンゾウ先生は…、志村先生は…、総理にならずに引退されたので…、三代目を羨んでいた面はあるかもしれません…」
それが原因なら、かなり根深いものがありそうだ。
「…今までの事件も僕が…っ、ぅ…、ミズキを…利用して…」
ヤマトが床に頭と腕をついてうずくまった。
訓練を受けているヤマトなら、精巧な爆弾を作る知識も技術もある。
イルカの予定も把握している。
ミズキに爆弾と犯行指示書を供給していたというのなら、辻褄が合う。
隠れ蓑としても、手先の実行犯としても、ミズキほど熱烈なイルカ支持者は都合がよかったのかもしれない。
「すみません…イルカ先生…ナルト…木ノ葉丸…全部僕が…すみません…」
ヤマトの姿勢が土下座に見えてくる。
そのままヤマトが自らウッドデッキに頭を打ちつけ始めた。
悔やむような痛々しい音が、何度も、何度も、繰り返される。
今ならヤマトを安全に制圧できるかもしれない。
もう少し近づいたら、一気に距離を詰めて、腕を捻って。
そのあいだに、タオルか衣類か拘束できるものをイルカに取ってきてもらって。
現状で一番危険性の低い方法を考えていたのに。
地面を蹴る足音がした、と気づいた時には、もう遅かった。
「イルカさんっ…」
イルカがヤマトに走り寄っていた。
片膝をついて、ヤマトの肩を押さえている。
自傷行為を止めようとしているようだった。
まずい。
あのままイルカを人質に取られたら。
咄嗟に体が動いた。
額に血を滲ませ、上半身を起こしたヤマトの背後に回り込む。
手首を後ろで交差して固める。
仰け反ったヤマトが、うっ…、と小さく呻いた。
「イルカさん、何か縛るものを」
イルカがポケットからハンカチを出した。
少し小さいがなんとかしよう、と思ったら、イルカはそのハンカチでヤマトの額を拭った。
えっ、と声が漏れそうになる。
「こんな事、やめてください。子どもたちが見ているんですよ」
イルカの制止は、ヤマトだけでなく、カカシにも向けられていた。
ヤマトの暗い瞳に、わずかに生気が戻ってくる。
「あやまちを裁くのは法廷です。裁判官と裁判員です。ここじゃないし、俺でも、ヤマトさんでも、もちろんカカシさんでもありません」
事務的に突き放すような厳しさと、罪と人を切り離すような優しさを含んだ、胸にずっしりと響く口調だった。
授業みたいな言葉の羅列なのに、イルカに言われると猛烈に反省しなければいけない気持ちが込み上げてくる。
でも、たしなめられているだけで、責められている感じはしない。
ヤマトの体から、力が抜けていくのがわかった。
自分も同じ気分だった。
降参だ。
イルカの声には、人の心を動かす力がある。
この国の未来のためにイルカを守りたい、と言ったのはヤマトだった。
イルカを守るために、護衛として最高ランクに属するカカシを呼んだのもヤマトだ。
前任者たちのお粗末さを聞く限り、カカシが担当するまでは碌な護衛をつけていなかったはずだ。
いよいよ洗脳が深まっていく中でカカシを選んだ事が、ヤマトに残っていた最後の良心だったのかもしれない。
ヤマトから慎重に手を離した。
腕は、だらりと提がったままだ。
抵抗してくる気配はない。
「罪は償えばいいんです。誰にでも失敗はあります」
どうしてイルカはそんなに包み込むようなあたたかさのこもった言葉を発せられるのだろう。
こんな人に敵うわけがない。
爽快な敗北感に打ちのめされていると、遠くから消防のサイレンが聞こえてきた。



イルカはウッドデッキに腰かけて、連行されるヤマトの背中を、ぼうっと眺めていた。
子どもたちはイルカを挟んで座り、消火活動が終わっても、ずっと手を握っていた。
ひと通りの事後対応を済ませて、3人の所へ戻る。
「六代目…」
こちらを向いたナルトに呼びかけられた。
ナルトも木ノ葉丸も、心配と不安でいっぱい、という悲愴な顔をしている。
ヤマトを説得している時にはあんなにも頼もしかったイルカの眼差しが、今はとても心細そうに見える。
こんな時、自分はイルカのために何ができるのだろう。
抱きしめるだけで安心させられる関係だったら、どんなによかっただろう。
「イルカ先生の手、ずっと震えてるんだってばよ…」
「冷たいのが直らないんだコレェ…」
「…ごめんな。大丈夫…だから…」
「寒かったのかもね。中に入ろう。あったかい飲みもの作るよ」
先に子どもたちが立ち上がった。
2人でイルカの手を引いている。
だが、イルカの腰は上がらない。
立てないのかもしれない。
イルカの横に屈んだ。
背中に腕を回して、もう一方の腕を両膝の裏に回す。
側面から、すっ、とイルカを抱き上げた。
木ノ葉丸が居間に続く窓を大きく開け、ナルトはイルカの靴を脱がせている。
いいチームワークだ。
イルカの腕が躊躇いながらカカシの首に回ってきた。
すみません…、と言って肩口に顔をうずめて、弱々しく縋りついてくる。
申し訳なさそうにしないでほしい。
もっと頼ってほしい。
イルカに頼られたり、イルカの意を汲んだ行動を取れる事は、生きる喜びであり、生きる糧なのだ。
自分が当たり前のようにイルカに頼られる人間だったら、こんな時でも申し訳なさそうに言われる事はなかった。
堂々とイルカに頼ってもらえる人間になりたい。
もっと深くて強固な関係を築きたい。
これから、少しずつでいいから。
イルカをそばで守りながら、支えながら。
できる、できない、じゃない。
やるか、やらないか、だ。
どうせもう、イルカと離れる事なんて考えられない。
この国でイルカのために生きていくのだ。
カカシの望む情愛がイルカから返ってこなかったとしても。
遠慮がちに回していた腕から、遠慮を抜いた。
ぎゅう、と力をこめてイルカを引き寄せ、抱きしめるようにして運んでいく。
スリッパを履いて居間に上がると、なんの指示を出さなくても木ノ葉丸が先導してカカシの部屋のドアを開けた。
イルカを休ませたかったのだろう。
だったらイルカが寝ていた部屋に、という事なのだろう。
ベッドにイルカを下ろすと、キッチンへ行って手を洗った。
出した鍋にオレンジジュースを注ぎ、弱火にかける。
屋外を素足で動き回っていたために汚れていた足を浴室で洗い、別のスリッパに履き替える。
改めて手を洗い、湯気の出てきた鍋にはちみつを溶かし、チューブのおろししょうがを混ぜる。
軽く沸かして火を止め、4つのカップに分けた。
ナルトと木ノ葉丸をテレビの前に座らせ、ローテーブルにカップを2つ並べる。
「アニメでもスポーツでも、好きなの見てて」
動画の選択画面を表示させて、残りのカップを持ち、イルカの元へと向かった。






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2022.02.12