カカシがサンダルを脱ぐ音が聞こえた。 慌てて玄関へカカシを迎えに行く。 「お、おかえりなさい!カカシ先生、今日は外食にしましょう!」 台所は玄関と壁一枚隔てただけの構造になっている。 見つかる前に出掛けてしまえば、丸く収まるはず。 「イルカ先生?」 「ナ、ナルトも一緒に三人でメシ喰いに行きましょう!」 「イルカ先生?今、夕飯作ってたんじゃないんですか?」 カカシが台所に入ろうとしたので、腕でも裾でも掴めるものには手を延ばし、何とか先へ進まないように阻止した。 「外食より、オレはあなたの料理を食べたいんですが」 顔を見られないように俯いて、ぐっと口を引き締めた。 自分の作った料理を食べたいと言った? それは本心ですか?それとも建て前ですか? 掴む手が白くなるほど握り締めた。 本当は静かに食事している間中、『早く終われ』と心の中で呟いているのではないのですか? 今日はカカシとゆっくり話すというのが本来の目的なので、イルカとしては外食にしても一向に構わない。 むしろイルカとしては、外で食事する時のカカシをじっくり観察してみたいから、その方が有り難い。 それなのにどうして? 情けないが、泣きそうになった。 「イルカ先生、これ食べないの勿体ないってばよ…」 台所の壁から顔だけ出し、複雑な表情のナルトが上目遣いにこちらを窺った。 「ナルトもそう思うだろ?それで、今日は何を作ってくれたんですか?」 イルカが俯いたままカカシの手を離すと、カカシがゆっくり台所へ入った。 中の状態を確認し、カカシがナルトに向き合った。 「ナルト、イルカ先生に何か言ったの」 小声だったが、そう聞こえた。 ナルトが気まずそうな顔で何か言い掛けたが、それを奪って捲くし立てた。 「すいません!…俺、あなたが嫌いだった事知らなくて…」 「いえ、別に…」 困った顔をするカカシに申し訳なさを感じた。 「…だから、今日は外で…」 「別に嫌いというわけじゃないんです。あまり食べないだけで」 カカシが慰めるように優しく言うので、そんな彼に縋りたくなって手を伸ばした。 「カカシ先生…」 しかし、カカシの肩越しにナルトの金髪が覗き、おずおずと手を引っ込めた。 「イルカ先生、カカシ先生、ゴメンってばよ…」 しょんぼりしたナルトが、上目使いで自分とカカシを交互に見た。 「オレってば、今日は帰るな…」 あっと思った。 こんな状況じゃ居心地が悪かっただろうに。 任務で疲れているところを折角来てくれたのに。 ナルトの頭を撫でながら、出来るだけ優しく言った。 「ごめんな、ナルト。でもメシは一緒に食べよう?」 小さな頭が左右に振られる。 「やめとく」 「でも…」 「悪いな、ナルト」 カカシは穏やかに、だが、やや強い口調で。 「今日はイルカ先生と話があるから、悪いけど帰って」 それを聞き、迷いもなく頷いたナルトには意思を変える気はないようだ。 むしろ、その言葉を聞いてドキッとしたのは自分の方。 カカシは話があるという。 一体何を。 だが、ナルトが帰ってしまうというのに狼狽えてばかりもいられない。 「ちょっと待って」 一声掛けて、出来たての天ぷらを器に盛ってラップを掛けた。 「悪いな、ナルト。お前が持ってきてくれた野菜、一緒に食べたかったんだけど」 ナルトは小さく首を振って、イルカに渡された皿を持ち、玄関へ向かう。 「イルカ先生、カカシ先生、バイバイ」 「うん。またメシ喰いに来いよ」 場の空気を読めるようになった元教え子の背を見送る。 程なくして黄色い頭が見えなくなった。 その短い間は、カカシとの話し合いへの心の準備でもあり。 「イルカ先生」 心臓がギクッと鳴った。 意識的にゆっくり振り返った。 「はい」 「ごはん、食べましょう?」 バツが悪そうに頬を掻いて、カカシが苦笑した。 「…はい」 まず台所に戻り、調理中に汚れたコンロ周りと流しを簡単に片付けた。 カカシが手を洗いに行く。 油切り網から天ぷらを皿に移し、つゆを用意した。 ナルトから貰った野菜は料理する時間がなかったので、落ち着いてから手を付ける事にした。 カカシが席に着く。 こちらも配膳が終わる。 イルカはカカシの向かいのいつもの席に腰を下ろした。 「「すいません」」 箸を持つ前に、お互い声が重なった。 カカシが謝る事はないのにと思って、それに続く言葉を待っていると、自然な間を挟んでカカシの口が動いた。 「オレ、苦手な食べ物あるんです。あるのに言わなくて、ごめんね」 「そんな事…」 「黙ってたのはね、理由があるんだけど」 やっぱり…。 最初から何を食べても嫌な味だから、好きも嫌いもなかったのだろうか。 カカシに顔を見られないように下を向き、ぎゅっと目を瞑った。 「…」 理由を、早く…。 何か喋ってくれないと、心臓の音がカカシまで届いてしまう。 「でもね、まだ言いません」 予想外の台詞に顔を上げた。 カカシは頬杖をついて、とても幸せそうに笑っていた。 目尻が下がり、正に『でれでれ』という表現が相応しい顔。 「まだ秘密です」 ニコニコして言うので警戒心が一気に吹き飛んだ。 「何ですか?教えて下さいよ!」 「ま、近いうちにね」 カカシは嬉しそうに微笑むばかりで、何度聞いても答えてくれなかった。 「もういいです!早く食べましょう!」 外方を向いて、唇を尖らせて、不貞腐れたフリをしても結果は変わらず。 仕方ないので、本格的に食べ始めることにした。 「俺、大葉の天ぷらが好きなんです。次がエビで」 天ぷらが苦手と言ったカカシが、果たして本当に食べてくれるのか。 どうしても気になって、でもそれを悟られないようにカカシを盗み見た。 すると、さっきまで嬉しそうに笑っていた顔は、すっかり成りを潜めていた。 「カカシ先生、お嫌なら無理に食べなくても…」 気の毒に思って、助け船をだした。 「いえ!食べます、食べます!スイマセン」 大人にだって、嫌いな食べ物があって構わないと思うのだが。 自分も混ぜご飯が嫌いだし。 しかし、中々踏ん切りがつかないようで白飯ばかり食べている。 「カカシ先生、本当に無理しないで下さいよ?」 「食べますって!」 突然カカシが大声で怒鳴ったのでビックリして、体が固まった。 手から箸が落ちる。 その衝撃で我に返り、慌てて箸を拾った。 「ごめんなさい…」 真っ先に謝る。 カカシにはカカシのペースというものがあるのだ。 自分などが口を挟むものではなかった。 「あの、俺…、すいません。…職業柄か、どうしてもお節介をやいてしまう癖があるみたいで…」 自分で言って、下手な言い訳だと思った。 でも、今更ながらにカカシとの壁を感じてしまい、言わずにはいられなかった。 嫌われたくないから。 「ごめんなさい」 今度は頭を下げ、腿の上で握った拳をじっと見つめた。 キュッと唇を噛む。 「…あ…、スイマセン…」 カカシはテーブルから身を乗り出し、下げている頭を撫でてきた。 「頭上げて下さい、イルカ先生」 「でも…」 ガタッと、席を立つ音がした。 体が強ばった。 「急に怒鳴ってごめんね…」 カカシが後ろから抱き締めてきた。 ホッと肩の力が抜ける。 俯いている頬にカカシの髪が触れた。 「こんな風に俺と食事なんかしても楽しくないでしょう…」 「そんな事ないよ。オレは…イルカ先生と食事するのが…」 続きは言ってくれない。 ちらりとカカシを見ると困った顔をしていた。 カカシの腕に力が入り、ぎゅうっと抱き締められた。 (ああ…) 嬉しいのに、すごく切なくて涙が出そうだ。 口元に笑みを刻み、食べましょう、と再度食事を促した。 結局、カカシは天ぷらを食べてくれた。 しかし、いつもと同じで味について何も言わなかった。 風呂場からシャワーの音が聞こえた。 カカシはいつも、イルカが台所で後片付けをしている間に風呂に入る。 今カカシはシャワーを浴びながら、何を考えているのだろう。 優しく抱き締めてくれるくせに、何も言ってくれない人。 言葉がすべてではないけれど、言葉がほしい時もあるのだ。 カカシの気持ちは信じているが、自分にはカカシに好かれ続ける自信がない。 だから不安になる。 時々はその部分をちゃんと埋めてほしい。 これは過ぎた願いなのだろうか。 |